日中、梅の花の見物に行ってきた。数年前から気になっていた『佐布里緑と花のふれあい公園』まで。
自宅から車だと小一時間くらいで行けた。
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平日でしかもコロナ禍とは思えないような盛況ぶり。週末だったらどれほど混雑するのだろう?
ちなみに園内での飲酒は禁止とのこと。
園内は思ったよりも広くてカメラ片手に気分よく散歩することができた。
これで明日、明後日も明明後日も休みだったら最高なのに。
帰宅してポストをのぞくとDMが一通投函されていた。そのDMを見ただけで一気に気分が悪くなった。
自分の年齢は49歳。50代になるまでにはまだ三ヶ月以上もある。
ただ、封書の裏をよく見ると自分が住んでいる全世帯に投函していると書かれていた。
自分意外に不愉快を感じた50歳手前の人はいなかったのだろうか。
自分自身では何かとアラフィフと口にしたり言葉に書いたりしているが、それとこれとは別だったみたいだ。
変なところで神経質になってしまうA型の本領発揮かもしれない。
ポートレートの撮影会を通して知り合った人が少しはいる。ほとんどの人はポートレートの撮影歴は自分よりもずっと長くて全員が男性だ。
そんな先輩の言葉で印象強く残っているものがある。それは次のようなものだった。あるモデルさんは結婚したからもう撮影しない。
定年を超した年齢でしかも妻帯者、子供もきちんと育て上げて自分よりも大人に見えた彼が、そんなことを考えているとは思っていなかったのでかなり驚いた。グラスを傾ける時には写真に関する持論を熱く語っているような人が、モデルの選択基準に既婚か独身かを入れていることに。
だが、彼のそんな気持ちも少しはわかる。
撮影者が心惹かれないものを写真に撮っても、それが誰かに伝わることはまずないだろう。
自分にポートレートの撮影を教えてくれたプロカメラマンが心惹かれないものは、撮るなと言っていた。
昨年末くらいからポートレートの撮影ペースが落ちている。
今冬は雪遊びを優先していること、blogの更新ペースを落としていることも多少は関係しているが、それ以上に自分の心持ちが影響しているような気がする。
ポートレートを撮るのは楽しいことでもあるが、辛いことでもある。
自分が心惹かれる女性をモデルに選んでいるので心浮き立つ時だって少なくはないが、写真を撮るとなると別な感情にも支配される。
写真を撮ることは文章を書くことと同様に自分にとっては自己表現の一つ。
気軽にスナップ写真を撮りはじめたとしても、いつの間にか熱くなっている時がある。撮影技術はたいしたことがないくせに。
モデルさんに協力してもらっている分だけ、ポートレートはさらに別なプレッシャーもある。
それに比べるとスキーやスノーボードで一人、遊んでいる方がずっと気楽なのに、駄文を連ねてカメラのシャッターを切るのをやめないのはどうしてなのだろう?