淡白マスヲのたんぱく宣言 

40歳過ぎのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で毎日書くので気楽に読んでください。

2019年の流行語大賞を予想する

 今年も残すところ、40日と少し。あまり実感がないのだが、2019年も少しずつ終わりに近づいている。
 このblogで二年連続、流行語大賞を予測して当てている、マスヲ。
hatehatehahaha.hatenablog.com
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 当然、今年もと息巻いていたが、考え始めるとその思考になかなか入り込めなかったので、その理由を考えてみた。
 この一年で5ヶ月間、仕事をしていなかったことが影響しているのかもしれない。
 ひとつは働いてお金を得ていなかったので、社会との接点が薄くなっていた可能性はある。自分では全く感じていないが。
 もうひとつは、不本意な労働をしても微かなお金しか得られないので、世間への関心がどうしても高まらないことだ。
 理不尽なことに耐えて働いても、微銭しか得られないことが、どうしようもなく馬鹿馬鹿しく思えてならない。
 最近の自分はどうも地に足がついていないような気がする。特に本業では仕事に全く身が入らないし、少しでも真面目に仕事をしている風な人を見ると、小馬鹿にしたくて仕方がない。
 それでも、余計なことをまわりに言わないようにして、黙って仕事をしているフリをしながら毎日を過ごしている。

 脱線しそうなので、話を今日のテーマに戻そう。
 昨年までと違って、今の自分に世間を読む力があるとは思えないが、一応今年も予想することにする。それも真剣に。
 今年の自分の流行語大賞の予想はズバリ、『令和』。この予想を見て面白味にかけると感じる人はどれくらいいるだろう? 自分が見る側だったら、おそらく舌打ちしているだろう。
 だが、仕方がない。何事も本命再度の予想の理由はつまらないことが多いのだから。
 参考までに今年の流行語大賞の候補にノミネートされた言葉を以下に紹介しておく。
www.fashionsnap.com
 候補の仲で、一番興味を持ったのは『セクシー発言』。もともと嫌いな小泉進次郎だったが、彼自身の結婚とその相手を知って、大嫌いになれた。
 さらに、首相官邸での結婚記者会見を行ってくれたので、わずかに残っていた好感度は完全に消え失せた。
 なぜ、たった一人の国会議員の結婚記者会見を公的な場所で行ったのだろう。それを許可したのは誰なのだろうか。思い当たる人物が自分には、一人いるが。

 ノミネートされてはいない言葉であれば、自分としては『桜を見る会』を選びたい。この言葉がニュースになりだしたのはここ最近のこと。
 流行語大賞の候補がノミネートされた後だったのだが、来年の候補に入ることはあるのだろうか。
 自分としては世相を表す大事な言葉なので、選んで残しておきたいと考えているが、世間の人はどうだろう?

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今日の写真のモデルは中嶋乃蒼さん。

『たんぱく宣言』を家で読めなくなった理由

 昨夜、名古屋市内の真ん中にある繫華街、栄の錦にある焼肉屋で小学校からの友人二人と食事をした。全員が、今は名古屋市内で勤務しているので、平日の夜に集まって食事をするのには何かと都合がいい。
 自分から声をかけたのだが、その二人にはいくつかの共通点がある。尾張北部に住んでいること、職場恋愛で結婚して夫婦仲が良好なこと、子供がいないことなどなど。他にも挙げればいくつかあるかもしれない。

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友人たちと楽しんだ焼肉、スマホで撮影。
 昔からの友人同士なので、お互いに気兼ねなく肉を焼いて食べ、ビールを呑んだ。いつものようにくだらない話をしながら。
 ちなみに二人とも、自分がこのblogを書きはじめたころからの読者でもいてくれている。
 二時間の食べ放題飲み放題のコースだったが、コースの終了が迫ったころだった。
 自分がこのblogにポートレートを載せるようになった理由を説明したら、友人の一人がびっくりするようなことを口にした。
 女性モデルの写真があるために、家でblogを見られなくなったと。奥さんと仲が良すぎるために、焼きもちを焼かれるらしいからだ。
 その話題が出たあとは、いつもとは違う盛り上がりがあったような気がした。

 羨ましいとは思わないが、微笑ましいとは思う。結婚して20年も経っているのに、妻からそんな風に見られるなんて。
 妻と仲がよかったころに、自分は焼きもちを焼いたことはあっただろうか。妻から焼きもちを焼かれたことはあっただろうか。

 だが、自分が撮っているポートレートは水着や下着などの露出が高くていかがわしいものはないはず。
 40歳を過ぎた大人の女性が何をそう、眉をひそめる必要があるのだろう? 夫婦揃って一緒に写真を楽しんでくれてもいい気もするのだが、価値観は人それぞれなので、仕方がないのかもしれないが。
 逆に友人の妻が男性芸能人の写真などを見ていたら、友人も何か思うところはあるのだろうか。昔から知っている彼は、そんなタイプにはとても見えないが。

 自分のまわりの子供がいない夫婦は誰一人、別れていないし、自分から見たら全てのカップルが羨ましいほどに仲がよい。
 考えたら自分と妻も娘が産まれるまでの夫婦仲は、それほど悪くは無かった気がしている。
 もちろん娘を授からなかった人生よりは、娘と巡り会えた今の方が素晴らしいとは思っている。例え娘と直接、接する機会が少なくても。

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今日の写真のモデルは徳川宗……ではなくて、昨夜撮ったちょっとシュールなポートレート
 年内にはもう一度、彼らと忘年会をするつもりでいる。
 その時にはまだ、このblogを家で見えないままかを真っ先に聞いてみたい。
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今日の写真のモデルはりんかさん。

選ばれた人も選ばれなかった人も

 自分の中ではやっと秋らしくなってきたと感じているのだが、厳密に言えば立冬を越したので暦の上ではもう冬。
 今年の秋は今までの自分になかった秋をいくつか経験できた。こう書くと真っ先に自分が写欲の秋とでもほざくと思っていた読者はいたかもしれないが、残念でした。自分にとって今年一番感じたのは、ミスコンの秋だ。

 自分がそんなことを感じられるようになったかのか、今となっては謎だ。
 写真を撮るようになってから、自分とSNSの距離は急速に縮まったことは関係しているだろう。InstagramTwitterは特に。
 直接会ったことがない人間との交錯が急に広まったのだ。その流れや力はとてつもなく早くて力強かった。
 SNS上で新しく知り合った人間とはどんな経緯で知り合ったのかは、ほとんど説明できない。自分だけなのだろうか。

 SNSではオフラインでは今までは交流を持てなかった人たちとも交われた。その接点は他人から見たら決して深くはないのかもしれない。もちろん、相手にとっても。
 浅い交わりかもしれないが、少なくとも今日の自分は影響を受けているとはっきりと言える。
 今秋、新たにオンラインで知りあったり、より相手のことを深く知り得たのはミスコンにエントリーした人たちだ。それもたった数人、ブッシュマンが数えられる人数だけ。

 気がついたら、彼女たちを心から応援している自分がいた。彼女たちがそれぞれ参加していたミスコンは、オンライン上で毎日投票できた。
 毎日忘れずに、というわけではなかったが、それでも誰かに強制された訳ではなかったのに、気がつくと週に何度も投票していた。見返りがあるわけではないのに、どうしてだろう?

 だが、彼女たちを応援することによって、自分がかつて抱いていたふたつのコンプレックスをそれほど意識しなくなっていることを確認できた。それは学歴と外見だ。
 20代のころのひねくれていた自分だったら間違いなく、彼女たちを応援できなかっただろう。

 SNS上で彼女たちを自分が応援しているのが、多少はまわりからはわかったのだろう。秋が深まるにつれてミスコンにエントリーしている人たちが自分のフォロワーとなった。
 だが、自分が決めた彼女たち以外は応援する気はおきなかった。
 ミスコンの結果もそろそろ出始めるころなので、そのためだけに自分をフォローしてくれた人たちも、離れていくだろう、当たり前のように。
 それがSNSにおいてのコミュニケーションのあり方であるとも思うので非難する気はないが、あまり愉快には思えないが。

 自分が応援していた彼女たちの結果が出始めた。ファイナリストに進んだ人、ファイナリストに進んではいたが最後の栄冠を逃した人もいたので、結果は様々。
 それでも自分が応援してきた彼女たちには同じ言葉を贈りたい。
 お疲れ様、そしてありがとう。結果よりもそれまでのプロセスを大事にして下さい、と。
 これからの人生ではプロセスよりも結果のことばかりを評価する煩わしいオッサンやオバサンたちが増えてくるはずだから。

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今日の写真のモデルはみさまること、清水美早さん。

プロとアマチュアの違い

 昨日は朝から撮影の仕事。秋空の下、二日続けてカメラを触ったことになる。
 ただ、同じようにカメラで人物を捉えても大きな違いがあった。その違いとはお金を払って撮ること、お金をもらうために撮ることだ。

 副業として撮影の仕事を始めた日には、何度も仕事を投げ出して途中で帰ろうとしたし、最初の数週間は週末が嫌で仕方がなかった。
 それが、自分で決めたこととはいえ。

 数ヶ月働いていなかったため、恥ずかしいが貯蓄がほとんど無くなったのにもかかわらず、最近の自分は物欲にまみれている。
 そのためにお金が欲しいのは確かだが、別に撮影の仕事の他にももっと効率よく楽にお金を得る方法は考えられたし、考えていた。

 人間的に疑問を持たざるを得ないような社長から理不尽な言動だけでなく、叱責を受けながら働いても時給で1,100円しか得ることができないからだ。
 今日は7時間働いたので、得た対価は7,700円。アラフィフの男性が休日に丸一日働いて得る金銭としては決して多くはないだろう。

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昨日の仕事後に一生に働いていた学生カメラマンが自分のカメラで撮った写真。
 それでも先週くらいから突然、撮影の仕事が嫌ではなくなった。もっと言うと、心に張りのようなものが出てきた。
 お金以外のものを何か、得ているような気がしてならない。
 撮影の現場に立つようになってから、仲の良い友人の一部にはプロカメラマンのキリになったことを冗談半分に伝えていたが、最近ではテレが幾分かは減ってきた。
 プロとアマチュアの違いについてより考えるようになるに従って。自分なりのそのことについての意見が少しは人に伝えられるようになってきたからだ。

 プロとアマチュアの差は撮影した写真でお金を得ること。
 撮った写真の上手い下手は関係ない。
 自分ともう一人の学生アルバイト以外の二人はキャリアをそれなりに積んだバリバリのカメラマン。だが、彼ら全員の写真が文句なしに優れているかを聞かれれば、正直自分はYesと答えられない。
 友人の何人かには撮影を楽しんでいるアマチュアカメラマンが居るが、少なくてもそのうちの一人の撮影技術の方が優れているくらいだ。撮影に関する理論においても。

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仕事後にこれを被写体にしてマルチストロボで遊んでみました。
 自分なりにプロとアマチュアの違いについての答えは、最低限の期待に応えること。野球において打者に例えるならば、ホームランは期待されていないし、プロ監督であるならばいかなる場面でも打者にホームランを期待しては駄目だ。
 アマチュアの打者ならば打席に立つ度に強振し、そのうちの何回かがホームランになればいいのかもしれない。
 だが、プロならば塁上にランナーが居なければ出塁すること、ランナーが居るのならば次のベースに進めることがプロの仕事のはず、どんな手段を使ってでも。

 まぐれのホームランは必要ないのだ、例え本人が打ちたくても。それよりも強振して三振するリスクを避けなくてはならない、プロであれば。
 派手なことをするのではなく、地味なことを積み上げること。それがどんなジャンルでもお金をもらうことの条件のひとつであることに思えてならない、今日このごろ。本業のシステムの仕事においてでも。

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今日の写真のモデルは初登場、mikiさん。

祖母の23回忌によせて

 昨日は祖母の23回忌。
 庄内緑地公園で午前中にポートレートを撮影した後の午後、我が家が檀家になっているお寺にお参りした。そのお寺は実家から歩いて数分のところにあるが、マスヲの自宅からは車だと10分ほどの距離になる。
 母から先に向かっているとメールが入ったので、実家に寄ることなく直接、ハンドルをお寺に向けた。
 山門の脇を抜けて車をお寺の駐車場に入れると、他に車は一台も停まっていなかった。

 車から降りると真っ直ぐに本堂に歩くと、奥の方から母の話し声が聞こえた。中で住職の奥さんと話しているようだった。
 どうやら、祖母の23回忌のお参りをするのは自分と母だけのようだった。
 母に弟のことを聞くと、福島に行っているとのこと。一応、仕事だと口にしていたらしいが、母親の口ぶりだと半信半疑のように捉えている節が窺えた。

 まあ、自分だったら仕事がどんなに忙しくても大手を振って休むのだが、実の兄弟でも40年以上も生きていると、仕事ひとつの価値観を取っても、こんなにも違ってしまうのだ。
 もちろん、法事にお参りしなかったことをなじったり、糾弾するつもりもない。自分にそんな資格もないし、言えた義理でもない。
 もっと言うならば、法事に参加するどころか墓参りくらいするべき人間を少なくとも二人、知っていることもある。
 その二人とは父の姉と弟。つまり自分からみれば叔母と叔父になる人物だ。
 祖母と祖父は生前に、二男一女をもうけていたのだ。

 当初、今日の記事で祖母のことを書く気なんてさらさらなかったが、直前になって突然に考えを改めた。
 今まで、このblogで祖母のことを書いたことがないことに気づいたからだ。
 また、blog以外の文章でも同じだし、フィクションである小説においても祖母がモデルにした登場人物すら書いたことがないのは、自分でも不思議な気がする。

 自分が物心をついたときには、当たり前のようにいつも祖母と祖父が居た。自分の父が長男で祖父祖母と同居していたからだ。
 母と父は就寝時を中心とした時間は母屋ではなく、離れで過ごしていた。自分は小学校の高学年くらいから父母と離れ、一日中母屋で過ごすことになった。
 自分が20代の中頃に亡くなった祖父と祖母。先に亡くなったのは祖母で、彼女を追うように翌年に祖父が亡くなった。
 自分のわちゃわちゃした性格は祖父よりも祖母の影響だろう。20年以上も一緒に生活をし、毎日のようになにかと言われ続ければ、ある意味では当然かもしれない。

 昨日、お寺の本堂で住職の読経を聞いているときに思った。決して狭くはない本堂で、住職の背中を見ていたのは母と自分だけ。
 祖母が死んだ時に感情的な言動を見せた、叔母と叔父の姿はなかった。父と違ってまだ、この浮世に漂っているはずなのに。
 亡くなった祖母が今、自分に教えていることはひとつ。死んだあとのアニバーサリーは当人の生前の振る舞いが現れることだ。
 自分の23回忌は行われるのだろうか。もし、執り行われるのであれば、誰が手をあわせてくれるのだろうか。
 そのことはおそらく、知る由もないだろうが。

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今日の写真のモデルは初登場、月乃えなさん。