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淡白マスヲのたんぱく宣言 

40過ぎおっさんのエッセイ。昨日より、今日見たことや感じたことを書きたいと思っています。

祝・淡白宣言50日継続企画 マスヲが文章を書くようになったわけ

 今回の記事で淡白宣言は50日の継続、そして50個目の記事となる。
 これも架空の読者とリアルな読者のお陰だと思って感謝している。
 リアル読者の中には、口頭やメールで様々な意見を聞かせてくれる方もいて、それもblogを続けてこれた励みになっている。

 さて、今回は50回を勝手に自分で記念していつもの趣向と異なるが、マスヲがなぜ文書を書こうと思うようになったかを、書いてみようと思う。
 自分で言うのもなんだが、若い時の一時期にかなりの本を読んでいた時期があった。
 その時のあるエッセイか評論かだったと思うが(著作名は今でも時々調べるのだが不明)その中に次のような言葉があった。
『多読魔はのぞき見趣味と一緒』。
 マスヲはこの言葉にショックを受けて、しばらく読書から遠ざかることになる。

 本を読むことから遠ざかっていたある日のこと、「6:30に耳障りな音で目が覚めた日」に登場する友人に名古屋では有名な老舗書籍店に誘われた。
 彼はその当時、日本を愛しすぎていた真最中で三島由紀夫関連の本を何冊か選んで買っていたのを覚えている。
 その間、マスヲは書店内をぶらぶらしていたのだが今までにない書籍のコーナーで足が止まった。現代小説のコーナーだった。

 一旦、読書を辞めるまではエッセイや評論などのノンフィクションも読んでいたが、フィクションは歴史小説ばかりを読んでいた。
 その時に数冊の本を購入したと思うのだが、その中にマスヲの人生に影響与えた作品のひとつと出会うことになる。
 村上春樹著の『ノルウェイの森』である。そして、この作品を読むことによってマスヲはエセハルキストになってしまった。
 それをきっかけに現代小説を続けて読み続けるようになった。
 ある程度読み続けていると、芥川賞直木賞などの受賞はある程度ニュースとして扱われるし、書店でも受賞のタイミングで山積みとなることが多いので、興味をひかれやすい。
 それもあってか、第117回直木三十五賞受賞作品、篠田節子さんの『女たちのジハード』を購入して読んだのだ。
 読んだあとにマスヲはこう思ったというより、こう思い上がった。
 彼女がカルチャーセンターの小説執筆講座に通ったことが分かったので、これくらいの作品だったらマスヲもそのような講座に通えば書けるのではないかと勘違いしたのだ。
 20代の若い時と言っても、今思うとプロ作家である篠田節子さんに対しても失礼であると考えるし、自分に対しての自惚れも相当ひどかったと思う。

 マスヲは地元のカルチャーセンターの講座紹介のパンフレットから似たような講座を見つけて、すぐに申し込んだ。
 ラッキーだったのはこの講座の受講には、月はじめからで人数に空きがあればいつからでも参加できたことだ。
 受講がはじまると少々戸惑った。カルチャーセンターの講座というので何かテキストがあって手取り足取りゼロから教えてくれるようなイメージで参加したからだ。
 実際の講座の内容は受講者がエッセイや小説の作品を講師に提出し、次回までに講師が読んできて作品について皆の前で批評及び添削すると方法で進められた。
 場合によっては講師が受講者に作品の感想を求めることもあった。

 ようするに参加しているだけでは意味がなく、実際に何か文章を書かなければならなかった。
 マスヲは意を決して文書を書いて提出した。他の受講者の方々の作品がマスヲにとってはそれなりに書けていると思われるようなものでも、講師に厳しく言われていることが多かったからだ。

 提出した次回の講座になった。批評がはじまると予想通り厳しく指摘を受けた。
 指摘の中でも以外だったのが、その当時マスヲはかなり長い間日記を続けていたので、文法などにはある程度の自身があったのだが、『てにをは』がまったくできていないなど、文章の記述方法にたいすることばかりを駄目だしされた。

 だが、講師には最後にこう言われたのだ。
 作品の書いてある内容は非常に面白い、と。
 文法や文章を書くテクニックなどは教えてもらって書き続ければ修正できるし、向上できるのだが書く内容やテーマの面白さと言うのはその人の個性や才能によるものなので、向上させるのは難しいと。
 あなたにはそういったセンスがあるかもしれないから、これからも書き続けた方がいいと、最後に少しだけ褒められた。
 時間の比率にすれば1:20くらいだったと思うが、この言葉が忘れられずに何とか1年近くその講座を受講できたおかげで、今このblogの読者に何とか読んでもらえる最低限の文章を何とか書けていると思っている。

アネゴは去っていき………

 副業先でマスヲがアネゴとあだ名で呼んでいたパートの女性が今月の20日で退職した。
 たぶん、理由はいろいろあると思うが、理由のひとつは彼女が飽き性だからだろう。
 彼女は×2で、今もパートを複数掛け持ちしながら毎日を凌いでいるのにも関わらず、パチスロとタバコがやめられずにいるし、給料が入ると何かと理由をつけて、パチンコホールに走るために理由をつけて、しょっちゅう誰かにシフトを変わってもらっていた。
 これらのことだけでも彼女をアウトローだと言っても差支えないだろう。

 以前、「春の音?夜明けの音?」で紹介した友人に、石田衣良の『池袋ウエストゲートパーク』、通称『I.W.G.P.』シリーズにはまっていると、話したらマスヲ君はアウトローだからね、と言われた。
 言われたときはショックだったが、冷静に考えたら言われて当たり前だと今では思う。
 たしかに、マスヲはメインストリートをほとんど歩いて生きてきていない。

 毎年、副業先ではこの時期になると時間給が見直されるのだが、その時期に毎年のように辞めたがるそぶりを見せて彼女は自給を上げてきたと周りに見られていた。(どうでもいいのだが、ちなみにマスヲは10年働いているのに能力給は10円しか上がっていない)
 はじめは、今回もそうだろうと皆に思われていたがマスヲは今回だけはなんとなく違うのではないかと思っていたが明確な理由はない。
 ただ、マスヲも彼女と同じアウトローで飽き性だからなんとなく彼女のモチベーションが下がってきているのを感じていたのだ。

 実は「キング・オブ・クズ」ででてくるパートの女性とはアネゴのことだ。
 彼女のおかげで、マスヲは人間な見方が少しだけ深まった気がする。

 嫌いな人間なんて誰もが普通に過ごしていればいくらでもいるだろう。
 ただ、クズとまで呼ばれるまでの人間はそうはいないはずだ。
 そして、マスヲは彼女の話をきっかけとして、こう定義することが出来るようになった。
 少しでも直接的に得るものがない人間、反面的にしか得ることができない人間をクズであると。

よく晴れた5月最後の土曜日の午後に

 今日はこの地区の小学校の運動会だった。

 昨日、夜回りのために接骨院の通院を先延ばしにしたのがいけなかった。

 首と背中が痛くて睡眠剤をつかったのに、眠りが浅くて朝の5時前から目が覚めて、眠れなかった。

 

 洗濯と会社に提出する月末用の書類を作成しても、炊飯器で炊飯時間を予約してあるためにご飯が炊きあがるまでに時間があまったので、小説を書いていたのだが睡眠不足と体の痛みであまりはかどらなかった。

 

 ご飯が炊きあがる時間に合わせて、簡単なおかずを準備してご飯が炊きあがるやいなや朝食を取った。

 お腹が満たされれば少しは眠くなるかと思ったが、睡魔が襲ってくることもなく、接骨院の診察開始時間の9時まで痛みをこらえながらウダウダしていた。

 

 診察開始時間に駆け込んだのだが、マスヲよりも先んじている患者が数名いたので少し待たされた。さすがに最近評判になっていることもある。

 施術中に今日は運動会ですね、と話しかけられた。

 先生には結婚して子供がいることは話してあるのだが、別居していることなどは面倒くさいので説明していない。

 行かないんですか、と促されると体の痛みを理由にして家でのんびりする予定だと答えた。

 

 実際、妻から運動会のことなどは一切聞いていないのだが、先日の土曜日に娘に会って話したときに運動会が今日であることは聞いていた。

 行きたくなるようにしっかり治しますのでと大丈夫ですよ、と言われる始末。

 施術が終わると体がはやはり楽になっている。

 背中がパンパンでしたよ、今行きたくなくても少し横になれば昼から行きたくなりますよ、と最後に先生から運動会に行くことをさらに促される言葉をもらった。

 

 帰宅して30分ほど横になって眠った。

 目が覚めると、またさらに体が楽になっている。このままごろ寝をしているのがもったいないくらいだ。

 昨日のドラゴンズの勝ち方が劇的だったので、ごろ寝しながら今日もテレビ観戦をしようと思っていたのだが、試しに娘の通っている小学校のホームページを探した。

 

 すると、おどろいたのだが娘の小学校のホームページには年間の行事予定がしっかりと掲載されており、今日は運動会であることも、紹介されていた。

 弟によると娘の通学している小学校は高級住宅地にあることもあり、転勤族からはあこがれの存在だと飲みながら言っていたのを思い出した。

 

 運動会での娘の競技が見れなくても、どんな学校に通っているかを知るだけでも価値があるかも知れないと思って出かけることにした。

 インターネットで市バスの時間を調べてから、麺類を作って急いで昼食を取り、調べた市バスに乗った。

 バスは5分ほど遅れて到着した。

 そして終着のバスターミナルについたので、そこで流しのタクシーを拾って運転手に娘の通っている小学校の名前を告げた。

 正門が混雑していることを予想して、正門手前で降ろしてもらった。

 スマフォで時間を確認すると13時半を過ぎていた。

 入口ではきちんと係りの方がいて、名札の掲示を求める張り紙があった。

 マスヲの子供のころにはなかったが、昨今の世相を反映しているのだろう。

 だが、まわりの父兄もあまり携帯していないようだったので、娘の競技を見にきたことを告げるとすんなり、入場できた。

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 急いできたのでトイレに行きたくなり、場所を聞いたら校舎のトイレを紹介された。

 娘の学校の校舎の中に入ったのも、初めてだ。

 何しろ最後に娘の運動会を見たのは保育園の年長の時以来だ。

 昨年も妻から学校行事のことは一切、知らされなかった。

 

 トイレから出てくるとプログラムを持っている父親がいたので、頼んで見せてもらった。

 娘は2年生なのだが、2年生の徒競走は3つ先くらいの演目だった。

 なんとか娘の走る姿が見られそうだ。

 グラウンドを見ていると、高学年の徒競走だった。

 走る距離は変わってもゴール地点はそんなに変わらないだろうから、ゴール地点近くに移動して、2年生の競技を待った。

 ゴール地点は来賓席の真横くらいだった。

 マスヲは割と背が高いので、なんとか娘が走る姿を見ることができたし、走り終わって競技が終わるまでの間座りながらきょろきょろしている様子も見ていた。

 競技が終わって、2年生が退場するまで見守ると小学校を後にした。

 娘はマスヲが徒競走を走っているのを見ていたのを知らないかもしれないが、いつの日かこのblogで知ってもらえたら、嬉しいことはない。

 

【マスヲが車で行かなかった理由です、どうして車で行くのだろう?】

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9回裏2アウトランナーなし

 今日は第4金曜日。世間で少しだけ騒がれたプレミアムフライデーだが、その単語はあまり目にしたり、耳にしなくなってきた。
 マスヲにとっては定期的に続けている、たったひとつのボランティアの地域の夜回りの日だ。

 最近、木の芽どきのせいもあってか過去の交通事故の怪我の影響か肩や右背部の調子が良くない。
 夜回りが無ければ、最近よく通院している接骨院に行きたかったが、夜回りに間に合わない可能性があるために我慢した。
 帰宅してから夜回りの集合時間まで1時間以上あったので、テレビを点けてケーブルテレビのチャンネルに変えてドラゴンズの応援だ。

 今日はナゴヤドームでのスワローズ戦で原樹が先発していて、ドラゴンズは点が取れずに苦しんでいた。
 ドラゴンズは小笠原が先発で観戦はじめたときには2点取られていたが、自炊して食事している間もなんとか2点取られたまましのいでいた。

 あまり試合が動く気配がなかったので、トイレットペーパーなどの雑貨品を近くのドラッグストアに買いに行きたがったが、集合時間まであと30分ほどになっていた。
 あわてて行って、事故でもしたらつまらないのでそのまま野球観戦を続けた。

 集合時間の20時が近づいてきたので、テレビのスイッチを切り集合場所の公園に向かった。
 先に2人ほどの年配の男性が見えていて、マスヲのあとにひとりの主婦のかたが見えた。
 しかし、時間になっても肝心のリーダーが来ない。
 夜回りのグループは2班に分かれているのどが、マスヲたちの班のリーダーは町内会長だ。

 年配の男性が電話をしても出ないらしい。何回か電話をして、マスヲたちも世間話をしながら5分ほど待っていたのだが、リーダーしか夜回り道具の格納してある倉庫のカギを持っていないので、だれからともなく今夜は解散にしようという提案がされて、あっさりと解散になった。

 なんか気が抜けたような気持ちになりながらも、マスヲは気持ちを切り替えてドラッグストアに車を走らせて、買いたかった雑貨を買った。
 ドラッグストアから戻ってテレビのスイッチを点けたら点差はまだそのままだった。
 寝そべってテレビを見ながら、こんなことなら接骨院に行っておけばなどと考えていたら、試合のテンポは早くてあっという間に9回裏まで進んだ。

 9回の裏、スワローズは守護神の秋吉がマウンドに上がった。
 ドラゴンズは打順よく1番の京田からだったが2番の亀澤まであっさり倒れた。
 そして2アウトランナーなしとなってしまった。
 今日は負けかと思っていたら、するとそこから3番の大島がヒットを打つ。4番のビシエドが2塁打で続く。
 そして、ここで最近調子を上げてきている5番のゲレーロだ。
 2アウトだし、敬遠されるかもしれないと思っていたらヤクルトバッテリーは勝負を選んだ。

 するとゲレーロもヒットを放ち、セカンドランナーだったビシエドも捕手のタッチをかいくぐり同点になった。
 9回裏の2アウトランナーなしで、負け試合かとぼんやり見ていたら、連続3安打で同点に追いついた。
 そして、次の打者の藤井だ。1塁ランナーはゲレーロから荒木に交代された。
 荒木は好きだが、ここで逆転できずに延長戦に入ることを考えると、ゲレーロのままのほうが良いのではと思いながら見ていた。

カウントはフルカウントになった。
フルカウントになったときにボールと判定された球はストライクと判定されてもおかしくない高さだと解説者は解説していた。
 フルカウントから藤井がバットを振ると、打球はフェンスに直撃してサヨナラヒットになった。
 フィールドではしゃいでいるドラゴンズの選手を見ていると気分がよかった。
言葉だけは、野球は9回裏2アウトからと言って何かと激励の比喩にも使われたりするが、実際は野球でもなかなかお目にかかれない。

 藤井のヒーローインタービューを見ていた。
 最高の幕切れの殊勲者だから、何か面白いことでも言えばいいのにと思っていたが、気の利いた言葉はなかったがそれも彼らしい。

 彼のインタビューが終わって外を見ると、強い雨音がしたので、外を見るとしっかりと雨が降っている。
 夜回りは初めから雨が降っていれば中止になるが、途中から雨に降られたかもしれないことを考えると今夜はこれでよかったかもしれない。

遊び人の日記?

 マスヲには保育園からの友人がふたりいるがそのうちのひとりに、先日お酒の席でblogの感想を聞いたら、まず1言目に遊び人の日記と言われてしまった。
 と言う訳で? 今日も遊びの話です。

 昨夜はクラブクアトロのライブに行った後に、東新町方面の居酒屋で軽く食事をした。
 そして、そのあと元同僚とマスヲが東新町の帝王と呼んでいる飲み屋の案内所を経営している経営者がいるので、彼を訪ねる予定でいた。
 近くまで来ると、案内所の電気がついていなかった。

 もともと彼から聞いていた今1番人気のある店を紹介してもらいたくて尋ねるつもりだった。
 なんとなく気持ちが収まらなかったが、しょうがないがどこかのラーメン屋にでも入って軽くビールを飲みながらラーメンを食べて解散しようかと話していたが、ある店の存在を思い出した。
 それはキャバレー花園だ。
 名古屋地区にむかしから複数店舗存在するキャバレーで、値段もお値打ちだ。
 東新町にもお店があることを思い出してふたりで行ってみることにした。

 そしたら、それが大正解。
 ライブハウスなんて慣れていないところに行った緊張が解けていなかったのか、黒服に促されて同僚とふたりでボックス席に座っただけでなんとなく落ち着いた。
 黒服が瓶ビールとチャームを持ってきてくれたので、ビールを口に付けるとその日の一番美味しいビールだった。

 しばらくすると、マスヲと同僚に女の子がふたりついてくれた。
 マスヲには20代の感じの良い娘で話しを聞くと、入店からまだ1週間だと言っていた。
 マスヲが働いたことがある街に彼女が育った街だったり、今住んでいたりして話も自然に盛り上がった。
 お酒のせいもあってか、明日も来ることとその時は彼女を指名することを約束してしまった。

 ほろ酔い気分のまま同僚と別れ、電車に乗った。気分がいいので、帰りにどこかでまた1件引っかけることも考えたのだが、まだ水曜日だということもあって結局そのまま帰って、軽い食事をして布団に入った。

 朝になって目が覚めてスマフォを見ると昨夜の彼女から、お決まりのお礼のメールが入っていた。
 こちらも午前中の遅めにお礼のメールを返した。
 午後彼女からまたメールの返信があり、昨夜のこちらの約束を覚えていたようだったので、今日も来店することを決めた(マスヲはわりと酒の席での約束も守ります)。

 名古屋在住の男性なら、キャバレー花園で遊ぶのはわりと一般的だと思うのだが、ひとりで来店するお客の割合はどれくらいなのだろうか。
 実はマスヲは花園へ来店はひとりでの経験は無く、しかも指名したことは一度もなった。

 今日は仕事で疲れていたので、遊びに行く前に足裏マッサージを受けたくなり、いつも行くチェーン店を訪れたが、すぐの施術は無理そうだったのであきらめた。

 来店前に軽く食事はするつもりだったので、栄の駅から歩きながら考えていたら東新町の繁華街の中には中華系の人たちが経営するマッサージ店がいくつかあることを思い出した。
 そのうちのある店を来店し、足裏マッサージを受ける。60分3000円でマスヲがいつも利用しているチェーン店より、かなりお値打ちで施術も時間が長いだけでなく、終わったあとは足を中心に疲れが取れてすっきりした。

 東新町まで来たので急に『そーれ』であんかけパスタを食べたくなったので、来店した。
 あんかけパスタの発祥のルーツは諸説あるが、そのルーツのひとつと言われる店が『そーれ』。
 久しぶりにミラカンを食べたが、食べているとだんだんビールが欲しくなってきた。

 20時前に花園東新町店に着いた。黒服に指名を聞かれて、少し緊張しながら昨夜ついてくれた女の子の名前を告げた。
 約束した時間よりもこちらが少し遅れたのにも関わらず、今日も感じがよく接してくれた。
 すぐにワンセットの40分が過ぎてしまったが、また来店して彼女と話したいと自然に思えた。

 最近、平野啓一郎の『マチネの終わりに』が気になっている。
 読み終わってからまたすぐに再読しているが、芥川賞作家の作品だけあって、普段は読むのにひっかかることがままあるのだが、帰りの電車で読んでいるとどのページもすんなり読めたし、どんな描写でもイメージが広がり易かった。
 理由はわからないが、かなりリラックスできていた感覚があったので、これも花園効果なのだろうか。

クラブクアトロ

 今夜はクラブクアトロで知人のライブに出かけてきました。
 元同僚の知合いなので、元同僚と一緒に。

 マスヲたちの世代はBOØWY世代なので、友人や知人で若いときにバンドや音楽活動をしていた人は多かったのだが、そんなに大きなハコでライブをする人はいなかった。
 ほぼ同世代の人が音楽活動をまだしていて、しかもクラブクアトロでライブをするなんて凄いと思ってしまった。

 実は以前もそのアーティストに誘われてライブに行ったことがあるのだが、マスヲが仕事で遅くなったために、そのアーティストの出番は終わった後だった。
 謝ってもらったけど申し訳なかったのはこちらの方だと思っているので、今夜こそなんとか間に合うように都合をつけた。

 だが、少し危なかった。マスヲはもともと音楽に造詣が深くない。というか、ライブハウスでライブを見ることなんてあまりないので、大きな勘違いをしていたのだ。
 どうしてかわからないがクラブクアトロボトムラインの場所を間違って覚えていて、あやうく今池に向かいそうだった。
 まさか知人の知人がそんな大きなハコでという感じだったので、事前にネットでスケジュールを確認するつもりで調べたらマスヲは勘違いに気が付いた。

 2、3年前も似たようなことがあった。
 知合いの誘いであるコピーバンドのライブに出かけたときだったが時間に追われていた。
 地図を皆で見て地下鉄の駅からタクシーで行くことにしたのだが、なんと現地についてびっくりした。
 当時、マスヲが勤めていた会社の名古屋オフィスの裏だったのだ。
 ちゃんとマスヲが地図を見てれば、繁華街の中にあるために一方通行も多いため、駅から歩いたほうが早かったのだ。

 さて、今夜のステージだが音楽性の好みは人それぞれだし、ネタバレ的な面もあるので内容には触れないが貴重な経験をした夜になったのは間違いない。
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【来店目的のアーティストではありませんが同日ライブのあるアーティストのステージです】

 ライブといえばやはりお酒が似合う。
 この後は元同僚と今夜のステージ内容を肴にしてお酒を楽しもうと思う。

助けられた言葉

 暑くなってきた。いよいよ夏が近づいてきた、
 マスヲにとって夏はむかしから1番嫌いな季節だ。
 マスヲにとって人生での1番のピンチだったとき、それは何年か前の鬱病の時だったが、病状のピークが夏だったことがさらに夏を嫌いにさせた。

 以前の記事「まったりとしたGWの1日」と「自分の体のためでも続けることは難しい」でも鬱病を患ったことに触れているが、今回はその鬱病だった時に助けられたふたつの言葉を書きたいのだが、その前にこれを機会として当時の病状のことを詳細に書いておきたいと考えた。
 
 今思うと発病の原因はいろいろな要素があったと思うが、少しずつストレスが積み重なっていたと思う。
 その中でも日本で№1の自動車メーカーのプロジェクトに参加したことがあったが、このプロジェクトは今までマスヲが参加した現場の中では圧倒的なワースト1。
 そのときに気が付かなかったが、今思い返すとそのころに少しはもう病気の兆候が出ていた気がする。

 実際にマスヲと同じ会社の同僚は先に参加していたが、しばらくするとストレスで出社できなくなってしまった。
 彼が出社しない理由を毎日、マスヲよりも上位の元受会社に理由を聞かれたりするだけでもストレスなのに、こちらまでなじられたりしたからだ。
 当然、相手も労働環境の劣悪さに因るものだとわかっているはずなのに、だ。
 マスヲの仕事環境も厳しくて理不尽なことだらけ。その上そんな対応を毎日要求された。

 余談になるが、そのときにマスヲは一生そのメーカーの車を買うことはしないと心に誓った。
 それまではこの業界で働けることがマスヲにとっては誇らしい部分もあったが、それからはただある程度のお金を手にする手段としか思えなくなってしまった。

 出社しなくなった彼を恨んだことはないが所属していた会社と社長にはそのころから懐疑的になった。のちにこの会社を辞めることになる遠因のひとつにもなっている。

 マスヲが所属するようなIT業界の下位の下請け会社には帰社日というものが、設けられていることが多い。
 普段はそれぞれ別のプロジェクトに駆り出されているために、同じ会社に所属していても顔を合わせる機会がほとんどないためだ。

 ただ、帰社日が設けられていても現場が忙しかったり、この業界特有の会社の外ばかりで働くとどうしても帰属心がなくなりがちで、マスヲが働いたどの会社も参加率は正直、あまり高くない。

 マスヲが忙しすぎて参加できなかったある帰社日の会議の場で社長が当時こんなことを言ったそうだ。
「○×君とマスヲが参加しているプロジェクトは本当にひどい現場のようです。そのせいで、○×君は調子を崩して出社できなくなってしまいました。だが、マスヲは違います。彼はもともと人の言うことを聞かないからです。皆さんもひどい現場に着任したらマスヲを見習って向こうの話を聞かないようにして下さい。」
 後で教えてくれた社員によると、皆苦笑していたそうだ。
 こちらから言わせれば、自社の社員をそんな現場に送り込んだ会社側の責任はといいたいくらだ。

 さて、話をもどして診療内科に診察を受けようとしたときは相当な勇気が行ったが、弟が大学時代に診療内科にかかっていた。
 そのときに処方箋か服用薬かを変わりに取りに行ったことがあったので、少しだけハードルは下がっていたが。

 事前にインターネットでの問診で自分が鬱病であるかもしれないと思っていたが、軽度だろうと思っていたが、診察したら軽度ではないと診察されてしまった。
 1、2週間ほど休養すれば十分かと診察中に聞いてみると、もっと休養が必要だと言われてしまった。

 今は別居している妻もずっと正規としてフルに働いていたが、出産前後だったために妻も働けなかったので、経済的にも大変だった。
 普段だったら車でいくような場所も自転車で行ったりした。ただでさえ、マスヲの住むあたりは坂が多いのに病気がピークだったときは夏だったので、必要に迫られたときは汗だくになりながら40歳近いオッサンが自転車のペダルを漕いで出かけた。

 心身だけでなく経済的にもどんどん追い詰められていった。
 人にもできるだけ会いたくなかったが、それでも家族の他は昔からの友人だけはなんとか会うことが出来た。
 そんなときにあるふたりから受けた言葉が今でも忘れられない。
 どちらもお互いに酔っぱらったときだったが、そういうことを考えるとお酒を介したコミュニケーションも無駄ではないと思える。

 ひとつ目はダイレクトな言葉だった。
 地元の小学校からの友人たちと飲んでいるときに、ある友達の奥さんがマスヲの膝を叩きながら、涙目でこういったのだ。
「死んじゃあ駄目!」
 鬱病だと話していた気はするが、マスヲはそこまで飛躍した話をした覚えはないのでびっくりしたが、友人ではなくてその奥さんにそこまで感情移入されて言われたのでびっくりしたが、それ以上に慰められた。

 ふたつ目は、さりげない言葉だった。
 マスヲが20歳前後にフリーターをしていたが、そのときの友人が東京から戻ってきたタイミングで、2人で飲んでいた時だった。
「あのころはもともと何もなかったし、何もできなかったじゃん」彼はそう言った。

 彼はひとつ年上で一緒に働いていたときは、いつもフォローしてくれていたが、代わりに当時彼が酔ったときに暴言を吐かれたことも何度かあったが、この言葉で帳消し以上だ。

 この言葉を聞いていたら、マスオがフリーターのときなんて車はもちろん最初はお金も全然なかったし、彼女もいなかった。
 さらに与えられた仕事も今考えるとろくにできていなくて、みんなに助けられてばかりだった気がしてきた。
 そんな風に思って彼の言葉を聞いていたら、またゼロから焦らずに積み上げていけばいいのかな、と安心できた。

 酔っぱらっていたのでひょっとしたら言った本人の2人は覚えていないかもしれないが、マスヲはしっかり覚えているし、この言葉を忘れることはないだろう。
 この場を借りて、改めて2人へのお礼とさせてもらいたい。

 また、ひょっとして鬱病などの心の病気になったりした時や、今そのような病気になって苦しんでいる人がこのブログを読んでくれていたら、彼らがマスヲに言ってくれたふたつの言葉を贈りたいと思っている。

「死んじゃあ駄目!」と「あのころはもともと何もなかったし、何もできなかったじゃん」を。