淡白マスヲのたんぱく宣言 

40歳過ぎのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で毎日書くので気楽に読んでください。

働かざるもの食うべからず?

 参議院選挙の投票日が明々後日に迫っている中、各候補者の選挙運動も佳境に入っているのではないだろうか。
 そんなこともあってか、Twitterのアカウントを持っているため、投票日が近付くにつれて、フォロワーからもたらされる政治的な情報が普段よりも増えている。これほど選挙運動期間中に他人のtweetが気になったのは、初めてではないだろうか。
 月曜日に、どんな結果が表れているだろう?

 良くも悪くも、今回の選挙結果にはマスコミはもちろん、ある程度国政に興味がある人にとっては驚くような結果が出るのではないだろうか。
 若者を中心に、テレビや新聞を中心とした従来のマスコミに左右されない人が増えていることもあるが、世界的な流れを見て、自分はそう思う。
 ここ数年の世界の流れを見ると、ブレグジットトランプ大統領の当選など、番狂わせと云えるような政治的状況がそれぞれの国民の投票行動によって作り出されているからだ。

 私事だがある会社から今日、内々定をもらった。給与の諸条件などは表面上、3月まで勤めていた会社よりはマシなので、正直迷っている。
 IT業界で働くならば客先常駐、いわゆる派遣のような扱いの労働環境ならば、社員として働くつもりはなかったからだ。
 そんな環境で働いていれば、誰のためにもならないことを今までの経験で身に染みているから。誰かの足を引っ張ったり、陥れることになるかもしれないのに。
 そんなことを思っているのは自分だけではないことにも、最近気づくことができた。Twitter上で自分が何気なくリプライした言葉に10人超の反応があったからだ。数は少なかったが、本当に驚いた。


 今の業界で働き出してから、一番悔いていることがある。かつて、同僚のリストラの片棒を担いでしまったことだ。当時、勤めていた会社の取締役部長からの命令とはいえ。
 しかも1人ではなく2人。どちらも女性だった。

 ある日、突然に自分は部長に別室へ呼び出された。部長と自分は普段から仕事上の接点がなかったので、呼ばれただけで嫌な予感はした。
 部長は自分に切り出した。自分の同僚である女性社員を解雇すると。そのために今、彼女たちが抱えている仕事の進捗状況を聞き出して欲しいと、依頼された。部長はさらに付け加えた。絶対に自分に迷惑をかけないから、と。

 その会社に入った当初、お酒の席で社長が酔うと常々次のように言っていたことに、好感を持って聞いていた。
 自分は世間で言うリストラはしない。リストラは『Restructuring』の略で本来は再構築という意味だから、と。
 だが、お酒を呑んで社長が言っていた言葉は、キレイごとだったのだ。少なくとも、同僚2人と自分は会社の決定に巻き込まれて、それぞれに傷ついた。
 解雇を申告された当初、2人はそれぞれ自分をなじったが、当然だと思う。
 だが、会社を去る前までには何とか、2人とも自分を許してくれたようだったし、会社を去った後もしばらくは、会ったり連絡を取り合ったりもしていた。


 昨日、上記のtweetを見たことで当時のことを久しぶりに思い出した。働くことは当然のことで、価値があることだとは経験上、自分は素直に思えない。
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今日の写真は、モデルの美波なつさん。Lightroomで現像。

永遠の何歳?

 一昨日の月曜日に行われた撮影会中、モデルとカメラマンとのやり取りで面白い一コマがあった。
 あるカメラマンがモデルさんの年令を聞き出そうとした。すると彼女はベタだが上手にかわした。永遠の20歳です、と。
 その返答にカメラマンたちは微笑んで、それぞれが変わることがない年令を口にしだしたので、自分もそれに続こうとした。

 彼女が20歳だとすると、それを少しリードする年令を考えると、25歳くらいがしっくりする気が最初はした。
 だが、すぐにその設定を自ら否定した。25歳だったころの自分に戻るなんて真っ平御免だった。自分の人生の中でも暗黒時代のひとつだったからだ。
 ろくに異性に相手にされないことを自分の外見のせいにしたり、仕事や世の中の不満に対してはまわりのせいにしていた自分。面白くない毎日を過ごしているように感じていたことも。

 晩酌こそしなかったが、休みの前は友人たちと深酒をし、深夜まで繫華街をさまよっていた。
 若かったからそんなものなのかもしれないが、そんな自分によくぞまあ、付き合ってくれた友人がいてくれたものだと思う。そのころの彼らは、どうしてそんなにも寛大だったのだろう? 当時、付き合っている彼女がいた友人もいたのに。

 そのころは生花の市場業界に勤めていた。平日は早くに時間が空いてしまうために、パチンコ・パチスロに行くのは当たり前。時には地方競馬の投票にも出かけたほどだ。地方競馬を自分に手ほどきした人間から、地方の競馬新聞は買う物ではなく、ゴミ箱から拾う物であることも教えられて、実際その通りにしていた。
 今、振り返ると本当にみっともない。

 そのころの自分に今、手紙を書いてやりたいくらいだ。自分で卑下するほど、女性に悪く思われていないこと。
 無駄なプライドは要らないが、自尊心だけはきちんと持つこと。
 少しでも興味を感じることがあったら、怖気付かずに何にでも挑戦すること。
 一応、結婚をして娘の父親になることなどなど。

 だが、やっぱり手紙など必要ないのかもしれない。そのころの自分は未来からの自分からの手紙など、受け取っていないし、それでも今の自分があるからだ。

 話を最初のテーマに戻そう。
 撮影会の時にモデルさんや他のカメラマンの前で最後に自分は次のように言った。どのころにも戻りたくない、今の自分が一番好きだから、と。
 その言葉を口にするとまわりは一瞬、静かになった。自分と初対面の人ばかりだったが、どう思われたのだろうか。
 ただ、その言葉に偽りはないし、そう思えるように行動しているという自負が、最近の自分にはあるからだ。

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先日のポートレートの撮影教室でモデルをしてくれた実莉ちゃん。まだまだ、素敵なショットがあります。Lightroomで現像。

カメラマンのプライド?

 昨日、あるモデルさんを撮影会で撮影したら、ちょっと嬉しいことがあった。昨夜から今朝に続けて、SNSのDMを通して、丁寧なお礼を言われたからだ。
 最近、ポートレートを撮るときに心掛けていることがある。それは自分が撮った写真をできるだけ、モデルさんに見てもらうこと。自分が要求したシチュエーションやイメージ、モデルさんが気を利かせて取ってくれたポーズなどが、一致しているものをなるべく選択して。
 ポートレートはカメラマンだけで撮っているわけでも、モデルさんだけで作品が成り立っているわけではないことをこのごろは強く意識しているからだ。

 実際、昨日はシャッターを切っていて楽しかったし、手応えもあった。まさに、撮ってもらいたい私、撮りたいカメラマンという構図だったと思う。
 昨日の撮影中のことを思い出すだけで気分が良かったので、今朝は早起きして2枚の写真を他に現像するべき写真よりも先んじて現像して、モデルさんに見てもらえるようにした。するとまたすぐに、お礼のメッセージをもらった。まさに、カメラマン冥利に尽きる。

 以前、このblogで趣味が人格に与える影響を書いたが、自分が建てたこの仮説に沿ったようなハプニングが起きた。
 以前、書いた記事では写真撮りを嗜んでいる人はアクが強いと書いたが、それは自分の本心をかなり抑えて書いていた。
hatehatehahaha.hatenablog.com
 これは完全に自分の思い込みかもしれないし、偏見なのでカメラを趣味にしている人、またそんな人と身近に接している人の中には以後、自分が綴る内容が気分を害する可能性もある。その場合はその時点ですぐに、今回の記事を読むのを辞めてもらいたい。
 カメラで写真を撮っている人はガラが悪いだけでなく、自分勝手で我が儘な人が多いと感じていた。自分が写真を撮りはじめてすぐに、まわりのカメラマンを見て気がついたことだ。当然、自分もその中の1人。
 具体的に書くと、競馬はともかくとしてパチンコ、パチスロはもちろんのこと、競輪や競艇に熱くなっているギャンブラーよりも、たちが悪いと思っている。

 実際、最近はインスタ映えを狙った写真を撮るために、入ってはいけない私有地などに入って撮影しているシニアカメラマンなどが時折、ネット上でやり玉に挙げられたりしている。
 なんでそこまでしてしまうのか、カメラマンの端くれである自分としては情けない。

 所属している同人誌のアニバーサリーパーティーが終わってホッとしたのに、会が終わった後にあることが蒸し返された。
 会の閉宴間際に出席者全員での集合写真はあるが、テーブル毎のスナップ写真が撮影されていないことが。
 そんなこと、自分にとっては正直、どうでもいいことだった。
 打ち合わせの段階でも、集合写真は記念のために撮ることにそれなりの価値はあるとは思ったが、テーブル毎個人毎の写真を撮る必要性を自分は感じなかったからだ。

 これまで友人の結婚式に参加したときも、披露宴でテーブル毎に写真を撮ってもらったことはあるかもしれないが、今は手元にそんな写真は一枚もないし、それでいいとも思っている。
 だいたい、酒宴でシャッターを切る人の方が自分は理解できない。そんな写真を欲しがる人が居ることも。
 お酒のせいで赤ら顔になったり、表情がだらしなくなったりしていることが多いはずだから。
 美男美女は多少減点されても、鑑賞に耐えうると考えているのだろうか。美男子にはほど遠い自分からしたら、全く理解できない。

 事前に会の役割を決めたとき、各テーブルを回って撮影するカメラマンを1人割り当てていた。そのカメラマンは以前の同人で、自分とほぼ同期。20歳ほど年上の男性だが、今でも時折は呑みに行く間柄。
 彼は筆を置いてから、カメラ教室に通っているほど写真に熱中していることを聞いていたから、自分が推薦した。持っているカメラも高価なもので、当日の朝もどのレンズを持って行くかを相談されたので、ある程度は信頼していた。

 だが、彼はパーティーの最中、ほとんど写真を撮らなかった。テーブル毎のスナップ写真はなく、乾杯や同人誌の主催が最後に挨拶をしている姿などの8枚の写真データしか受け取っていない。
 理由を聞くと、当日メガネを忘れたこととストロボを使った撮影に慣れてないので、露出を合わせにくかったと。それで、シャッターを切ることを控えたらしい。
 自分からしたら、いかにもカメラマンらしい言い訳のように聞こえた。自尊心ではなく、無意味にプライドが高いのだ。自分の撮影技術が低いと他人に思われるのが、嫌だったのだろう。

 カメラの知識をそれなりに持ちあわせている人からしたら、パーティー会場などでクオリティーの高い写真を撮るのが難しいことはわかるはず。
 だから、そんなことを意識しなくてもいい気はするが、それがカメラマンという人種なのだろう。

 メガネなどが無くて、矯正視力が足りないために適切な露出で撮れないかもしれないと判断したら、自分だったら次のような方法をとる。
 全体的に露出を大雑把に抑えてRAWファイルから現像するときに、適正な露出にするだろう。多少、写真のクオリティーが落ちたとしても、被写体はたかだか酔っ払いだから。しかも、ほとんどが爺さんや婆さんだし。

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先日の撮影会で撮影したモデル、美波なつさん。彼女の現像も遅れがち。

大人になったね、と言われた日

 昨夜、思ってもいない人から思ってもいない言葉をもらった。その言葉とは、大人になったね。
 アラフィフになったオッサンに何を言っているんだと、聞いたときは思ったが今朝になって昨夜のこと、ここ最近の自分の振る舞いを考えると、ちょっとだけ自分の器が大きくなったような気がするから、全く的外れな言葉とは今は思えない。

 昨夜は自分が所属している同人誌のアニバーサリーパーティーだった。名古屋都心の結婚式場で、創刊25周年と100号の発刊を記念した会を催し、自分は裏方として何かと手伝ったのだ。
 会が閉幕しようとした際に、ほぼ同時期に同人になった一回りほど年上の女性から言われた言葉が、一夜明けてからこんなにも感じ方が変わってくるとは思わなかった。

 どれくらい前からかははっきりと説明できないが、自分の選んだこと、振る舞いや実行動などが驚くほどに繋がっている感覚がある。まるで、点と点が繋がって線になっていくように。
 特に今年の春先、会社を辞めてからその傾向は顕著な気がする。

 昨夜の会の参加者は50人ほど。参加費は8,000円。同人だけでなく、来賓も20名ほどいたので、あまりカジュアルな会とはいえないだろう。
 そんな会にも関わらず、自分が司会と進行を務めさせてもらった。

 年配者が多いせいか、イレギュラーなことも多かった。街中のわかりやすい場所にも関わらず、場所がわからなかった参加者の何名かが、遅れて会場に到着したために、開宴が遅れた。
 また、余興でカラオケを歌った同人がいたが、リハーサルを開宴間際まで行っていたために、そのことについて眉を潜めていた人から、自分が直接クレームを受けた。
 シニアになると子供のように我が儘になりやすいと言われるが、そういう人の1人なのだろうと、諦観して最低限のことだけをマイクを握っていた人に伝えた。

 開宴前に司会者卓に着くと、自分が緊張していることに気がついたが、そのことが逆に自分を落ち着かせた。緊張していることに気がつけるほど、自分自身のことを客観視できていることが。
 何かと動揺しやすい方なのに、会が終わるまで落ち着いた司会、落ち着いた進行が自分なりにできたと思う。
 途中、ある年配の同人女性に言われたご苦労様という一言にも、苛つかなかった。
 ちょっと前までの自分だったら、きっと腹を立てていただろう。同じ同人という立場なのに何故、お疲れ様という言葉ではなかったのだろうかと。

 嬉しいこともいくつかあった。歓談中に皆が退屈しないようにと自分が作ったスライドを、食い入るように見てくれていた参加者が何人もいたからだ。
 自分が言い出した提案だったが、スライドの枚数が100枚ほどになったので、それなりに面倒だったが。

 昔は苦手だった先輩同人にも、表面上はそつなく接することができたし、昨日の自分は今までの自分とは全く別人だった。
 自惚れかもしれないが、昨夜のアニバーサリーパーティーに関わった自分に点数をつけるとするならば、99点。ほぼ満点だ。
 ただ、1点足りないのは当日に忘れ物をしたからだ。その忘れ物とは、秘密。

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昨夜のパーティー会場の外観。

忖度ではなく、慮って欲しい

 会社を辞めてから独りで居ることが多いし、その時間が徐々に増えている。
 昔は寂しがり屋だった自分からしたら、信じられない変化だ。
 祖父祖母と同居、しかも長男として扱われた環境で子供のころは育ったので、どちらかというと社交的なタイプだと思う。
 母は今でも当時のことをたまに愚痴るので自分が得たこの特性はある意味、母の犠牲の上に成り立っているとも言えるのかもしれない。

 社交的だからといって、人見知りをしないわけではない。多弁な方なのでよく誤解を受けるが、人のことを気にしているからこそ、積極的に相手へ話しかけるのだ。
 あまり意味の無いようなことでも口にし、相手がどのようなリアクションを取るかを知りたいからだ。そのリアクションから相手が何を感じて、何を考えているのかを観察したいのだ。

 なんとか社交的になれたので、望めばそれなりにかまってくれる友人知人はそれなりにいるが、どちらかというと今は人との距離を詰めたくない。
 人と人とのコミュニケーションで自分が何かを口にすること、相手が発した言葉を受け取るときに、時々虚しくなることが増えてきたからだ。そんなことまで、お互いに口にしないといけないのかと、ふと考えてしまうのだ。
 特に、付き合いが長かったり、深かったりする相手ほど。

 それは会社員として仕事を続けていたこと、社会の構成員として何かを我慢していたことと関係しているような気がする。
 自分の心の中に見えないし、説明することもできない何かが澱のように積もったからだと思う。
 もちろん、たまには人に会いたくなることもあるが、そんな時は簡単だ。いくらでも方法はあるからだ。

 母は健在なので、実家に行けば毎日でも母どころか弟とも会話ができる。
 父が亡くなってからは毎日曜日の夕方は一緒に食事をしているが、そろそろその回数を減らしたい。
 ただ、母が70代になったことを考えると今のままの頻度のままがいいような気もする。

 平日の昼間に誰かに話したくなったら、自宅から自転車で行けるほどの距離にある、ラーメン屋へ訪れることもある。
 3月まで自分が働いていたが円満に辞めたので、ほとんどの従業員は軽口を交えながらもほどよい距離感で接してくれるからだ。

 異性、特に若い女性と話したくなったら、キャバクラやガールズバーに遊びに行けばいい。
 昔は疑似恋愛を求めて通ったこともあったが、そんなことさえ最近は懐かしく感じる。
 だが、写真撮影にはまりだしてから、それらの店に行く回数が一気に減った。特に女性のポートレートを撮影するようになってからは。

 新しいカメラやレンズが欲しいのでお金を大事にしたくなったこともあるが、他の理由もある。
 滅多にあることではないが、ポートレートを撮影している時にファインダーを向けた相手と何かが通じ合った気がする瞬間を味わったからだ。もちろん、自分だけが勝手に誤解している可能性も否定できないが。

 自分の思い違いだとしても、その瞬間を自分自身で切り取った写真という形で残すことができるし、その写真を見ればその瞬間を思い出すこともできるから。

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モデルの砂月蛍さん。写真を見ると、いつでも撮影した日のことを思い返すことができる。