淡白マスヲのたんぱく宣言 

40過ぎのおっさんのエッセイ。昨日より、今日見たことや感じたことを書きたいと思っています。

不思議な縁

 昨日の、同人に出戻り後初の例会とその後の2次会に出席し、楽しいひと時を過ごすことができた。
 例会での他の人の作品に対してもそれほど的外れなことを言っていないと感じたし、他の同人と意見や感じ方が被ることが多かった。
 マスヲのことを覚えていた方たちからは好意的な言葉を頂いて本当に嬉しかった。
 作品を提供する場は用意されたので後は作品を書き上げるだけだ。

 ついさっき、18時30分くらいに自炊の材料を買うために帰宅の途中にスーパーに向かう途中、外車からクラクションを鳴らされた。
 何度も鳴らされたので止まるとなんと小学校の時の同級生だった。
 彼と会うのは7年ぶりくらいだろうか。3年生、4年生の時同じクラスで、2人で良く遊んだのだが、それ以上の思い出がある。

 確か3年生の2学期にマスヲたちのクラスに帰国子女の転校生が入ってきた。ショートヘアが似合う可愛い子だった。
 おそらく親はエリートだったと思うのだが、帰国前はタイに居たと話していた。
 彼女は何故かマスヲと今日会った友人にいつも付きまとっていた。しょうがないのでなんとなく帰宅してからも3人で遊ぶようになっていた。
 マスヲとその友人は普段なかのいい男子のグループから離れて3人だけで遊んでいたので、時々からかわれた。
 マスヲが当時逆の立場でおそらくそうしただろう。

 マスヲと友人ふたりである日思い切って聞いてみた。なんで、女子ではなく僕たちと遊びたいのかと。少しまとわりつかれるのにも疲れていたからだと思う。
「だって、あなたたちのことがすきだもん、あなたたち面白いでしょ」
 その言葉を聞いて当時ドキドキしたのを覚えている。
 確かに、マスヲとその友人はクラスで面白がられていたのは事実だったからだ。
 今思うと、たぶんどちらかがタイプだったと思うのだが、時間が経つにつれ彼のほうだったのではないかと思うようになった。

 数年前にも彼とばったりあって、飲みに行き彼女の話をした気がする。
 今夜もこれから2人で焼き鳥屋に行くことになるのだが、どんな話題になるか少し楽しみだ。

合評会の朝に

 昨夜は土曜日いうこともあり、ベッドにはいるのは遅かった。午前2時前くらいだろうか。
 それでも早めに目が覚めてベッドの中でまどろんでいると7時過ぎの地震で完全に目が覚めた。揺れが収まるとすぐにスマフォで調べると長野県南部であることと最大震度が5強であることがわかった。
 冬になるとスキー好きのマスヲがよく訪れる地域なので、大きな被害が起きていないことを願っている。

 さて、今日は15年ぶりに復帰した同人誌の合評会の日だ。15年ぶりに参加するのだが、例会の開催場所が変わっていないのには少しびっくりする。開催場所はウィルあいちの会議室だ。
 また、開催日時もほぼ変わっていない。当時は毎月の第4日曜日の13時30分から3時間だった。いつのころからか、毎月ではなくて年に8回となったことを噂で聞いていた。

 また、今回参加する合評会の同人誌の発行号数は91号だ。以前80号の発刊の際は記念のパーティーが開催された。その際は光栄なことにも完全に同人誌とは距離は取っていたマスヲにもパーティーの誘いがあり、悩んだ末に同時期に同人であった年配の有人が出席したがっていて、それにのっかる形で出席したのも懐かしい。
 マスヲはその会にでるのが少々心苦しく、また肩身が狭い思いをするのではないかと気にしていたが、当時を知っていた同人の方たちはさり気なく気をつかってかいろいろと話しかけてくれたりして、参加してよかったと今でも思っている。

 今日の合評会で取り上げられる作品は先週中に読了しているが、今この記事を書いているタイミングですら会中にどのように発言するか考えがまとまっていない。
 当然、会全体の雰囲気にもよると思うのだが、今回はひとつの作品を除いて作者のことを全く知らないのだ。
 これは読んでいるときに非常に新鮮だった。そして思い出したのは、むかしお世話になったベテラン同人女性の言葉だ。
 作品には現れないかもしれないけれど、文章にはどうしてもその人の人柄が出るの、という口癖を何度も思い出した。
 だから、今回は作品を書いた人がどんな人かを想像する楽しみも味わえたことになる。
 ひょっとしてリアルなマスヲを知らないブログの読者がいたら同じようなことを思ってもらっているのだろうか。
 そうだとしたら、どのような人物像を想像されているのかを考えると少し興味深い。

斎藤さんだぞ!

 今夜、娘と蛍狩りに美濃加茂市のある場所まで出かけた。
 先週のうちに今まで蛍を鑑賞しに行った場所の候補から2か所に絞り、その蛍の情報を提供しているところに電話をあらかじめしていた。
 マスヲの読み通りだった。やはり、今年の晩春から今日まで気温が低い日が多かったのと、梅雨入り後も雨が少ないので蛍の出現が遅れているそうだ。
 どちらも先週まではあまり蛍の数が例年以上に見られていないため、今週末がピークではないかと話してくれた。

 昨夜は第4金曜日のため、マスヲは地域の夜回り当番だ。夜回り後に妻の実家に向かった。到着したのが21時ごろだったが、まだ妻の車はなかった。
 向こうの両親に聞いてみると、今日も仕事で遅くなると前もって聞いていたそうだ。
 マスヲの妻は保育士だ。最近何かと話題を提供している職種だが、一緒に生活しているころから仕事ぶりを見ていて、とてもじゃないけれど好きではないと続けられない仕事だと常に思っていた。
 妻は管理職でもあることから、給料はそれほど安くはない。年収の額面ではマスヲより1本多いくらいだ。
 だが、毎週のように土曜日が出勤であることと持ち帰りの仕事多さや全体的な拘束時間、また仕事中のリスクのことを考えると、やはり給与は相対的に安いと考えている。

 まず、娘に会って最初に運動会で徒競走を見たことを話すと嬉しそうに、そして自分の順位を恥ずかしそうに話してくれた。マスヲももちろん見ていたので知っていたが、人に威張れるような順位ではなかったからだ。
 そのあとに、蛍狩りの誘いをすると行きたいそぶりをみしてくれたが、妻が許可をしてくれるのかを気にしていた。
 娘にも妻に直接話してくれるように話したが、マスヲもタイミングを見計らってメールすることにした。

 明朝、妻に娘と蛍狩りに出かけたいことをメールした。普段の彼女の態度から正直期待していなかったが、今回はいくつかの条件つきながら許可してくれた。
 また、彼女は同行しないことも付け加えてあった。
 17時に迎えに行くことを約束していたので、5分前に迎えに着くと娘がジュニアシートとお菓子を持ってすぐに出てきてくれた。
 妻になるべく21時、遅くても22時までには帰ってくることを約束して出発した。
 娘は妻に車から長い間手を振っていたし、妻も僕らの車が通りを折れるまで見送っていた。

 約束の条件の中で、蛍狩りをする前に夕食を済ませることというのがあった。
 妻の実家からマスヲの家までは昼間の道路が混雑している時間でも30分強で着くのだが、妻の実家から幹線道路を走っていると想像以上の渋滞に襲われた。
 車をのろのろと走らせていると、なんでもないような信号交差点で交通事故が起きており、それが原因だった。
 しかも、その交差点から事故処理のために直進が一時的に禁止されていて、迂回することを強要された。
 そんな中、以前会ったときには使っていなかった言葉を娘からその日にふたつ聞いた。
 ひとつめは「斎藤さんだぞ!」でもうひとつは「最悪」だ。
 娘は渋滞に差し掛かる前はずっと「斎藤さんだぞ!」を嬉しそうに連発していたのだが、渋滞に巻き込まれてからは「最悪」を連発していた。
 そして、娘が言い間違えたのか「最悪」を「斎藤さんだぞ!」に言い間違えたのだ。しばらく間があったあとに2人で笑いあった。

 結局渋滞と回り道のせいで、1時間近くロスすることになってしまった。
 しょうがないので、娘とコンビニでおにぎりやサンドイッチを買い状況をみながら、早く着いたら現地の駐車場で時間がさらに係りそうなら車中で食事をすることにした。
 結局その後の道路状況も全体的にスムーズに流れなかったので二人とも車中でおにぎりとサンドイッチをかじることになってしまった。

 蛍狩りができるポイント近くに用意されている駐車場にはなんとか目的時間の19時30分の少し前についた。
 車が意外と多く、まだたくさんの蛍鑑賞が楽しめることを予感させた。薄曇りではあったがまだその時間は暮れきっていなくて、薄明るかった。
 2人で駐車場から蛍の出現するポイントへ歩いて向かった。出現ポイントはちょっとしが川沿いなのだが、それまでに古い民家の間の小径を抜けていく。
 娘はその古い民家に興味を持って見ていたし、人が住んでいるのかな、とマスヲに聞いてきたりした。
 小径を抜けて川沿いの土手にでた。蛍は全然見当たらないが、蛙の無数の鳴き声がこだましているなか、駐車場の止めてあった車に比例するほどの人が訪れていた。
 まだ、ほんのりと薄明るいせいで土手と川の際に紫陽花が植えてあるのがわかる。
普通の紫陽花と額紫陽花が交互に植えてある。娘は額紫陽花を初めて見たようで、マスヲがこれも紫陽花のひとつだということを教えてあげた。

 時計を見ると19時43分。少しずつ暗くはなっているが、注意深い大人が時折点滅する蛍をなんとか見つける程度だ。
 蛍が見えないので娘は退屈しているのか、以前彼女が本で読んだ知識をマスヲに教えてくれた。蛍が光るのはオスであることと日本にいる蛍で発光するのは10種類だということなどを、だ。
 マスヲの知っていることもあったが、興味のあるふりをして彼女の話に頷いてあげた。

 そんな話をしていてもなかなか蛍の光は見られない。時々、マスヲに肩車を頼んできたりしたので何度かしてあげたが、それでもなかなか彼女は見つけられないようだった。
 まわりの大人たちも退屈しているようで、マスヲも何人かの鑑賞者と話をさせてもらった。
 まず、今年は少ないという愚痴っぽい話と、不思議であるが去年は来ていないがその前の年はという枕言葉がついていた。
 この場所は年上の友人から教えてもらった場所だが、それからはわりと毎年訪れているが、マスヲも去年は何故だか訪れていなかった。不思議な縁を感じた。

「最悪」と娘はついに愚痴りだした。
「斎藤さんだぞ!」じゃないのと、マスヲはすぐに続けた。
「最悪」と今度は少し笑いながら娘は繰り返した。
 そんな会話を繰り返しながら、川沿いの土手を奥の方へと歩いていく。
 そして、だんだんと夕闇が深くなっていき横に生えているはずの紫陽花も見えにくくなってきた。
 すると、例年ほどではないがなんとか鑑賞に堪えうるほどの蛍が見えだした。
 少しずつ娘のテンションも上がってきて、マスヲが見つけた場所を指さすと彼女もそのあたりを必至で探しはじめた。

 20時を過ぎるほどになると、土手のところどころに人だかりが出来はじめ、そのあたりで水面から上部にある木々のあたりを眺めると誰でも蛍の発光を楽しめるほどになってきた。
 マスヲがスマフォで蛍を撮影しようとするが、なかなかうまく撮れない。娘も撮影に興味を持ったようで、撮影したいというので取り方を教えてあげたが、やはり上手く取れないようだった。
 そこで、また肩車をせがまれたので肩車をしてあげた。すると何枚かは彼女自身で納得できたものがあったらしい。
 今度は蛍をバックに自分を撮影して欲しいと言い出したが、スマフォとマスヲの技術では無理だということを告げると少し残念そうだった。
 そのかわりにあとで明るいところで、写真を撮ってあげることを約束した。

 20時20分ころに帰ることを娘に言うと今夜はすんなりと受け入れてくれた。
「21時までに帰る約束だったもんね」、と彼女は言った。
「遅くても22時までって言ってあるから大丈夫」と娘に説明した。

 往時は下道できたが、帰りは妻との約束もあったので高速道路を使うルートを選択した。
 美濃加茂インターからしばらくは東海環状自動車道を走ったので、前も後ろもがら空きだった。娘は気分が良かったのか、貸切みたいだねと話していた。
 最初のパーキングエリアでお手洗いに行くことにした。
 妻から娘のトイレのときに長い間ひとりにさせないように、言われていたが娘自身でオストメイト対応多目的トイレをマスヲと一緒に利用することを希望したので、その通りにした。
 彼女はもう小学校2年生なので父親だと言っても毎日あっているわけでもないので、恥ずかしいはずだと考えた。彼女が用を足す間、メールのチェックなどをしていてずっと後ろを向いていた。そして、マスヲが用を足す間は手を洗いながら彼女に待ってもらった。

 トイレを出たところに小さな花壇があった。娘の写真を撮ってあげることを思いだしたので、彼女の写真を取ろうとすると、2人で自撮りをすることになった。
 考えたら、娘が生まれてからツーショットの写真の記憶が無い。マスヲも嬉しくなって何枚かの2人の写真をとった。

 それからしばらくすると東海環状自動車道から中央道に合流すると貸切状態が終わった。
「最悪」と娘は言ったが今度はワザと言っているように聞こえた。
「斎藤さんだぞ!」とだけマスヲも続けた。
 しばらくすると、娘はスイミングスクールの後だったこともあってか、眠りはじめたのを気配で感じた。
 マスヲは音量を抑えたBGMを聞きながら車を走らせて名古屋インターを抜けた。インターを抜けると妻の実家はもうすぐだ。マスヲは少しだけさびしくなったが心の中でこうつぶやいた。「斎藤さんだぞ!」と。
 妻の実家には予定通りの時間に着き、眠り続けている娘を抱きかかえながら、妻に手渡した。
 来月は妻の許可が下りれば、娘が海に行きたがっているので出かけたいと思っているが、許可が降りなくてもこれからはせめて月に1度は娘と出かけたいと思っている。

恋敵は紀貫之

 今朝の通勤時の乗換先の階段である女性が気になった。
 都心の終着駅なので朝の通勤時には混雑しているのに、そんな中でもマスヲの目に映ったのだ。
 その女性の年齢は20代前半に見えた。薄い色のブラウスとほんのりと栗色がかった髪がゆるくウエーブしながら肩にかかっていた。
 そして、その綺麗な髪にわりと地味なリボンをシンプルに結んでいた。
 マスヲの左隣を歩いていたのだが、マスヲが高校1年生のころに憧れていた3年生の先輩に横顔がそっくりだったのだ。
 横顔を見ていると白い肌や耳までもそっくりに見えてくる。見続けているとその先輩のことをどんどん思い出してきた。人ごみのせいもあるが追い越して振り返りざまに前から見る気がなんとなく起きない。
 階段を上がりきり、改札をでるあたりで見失ってしまったのだが、いつもこの時間の電車なのだろうか。
 マスヲはいつもほぼ同じ時間で通勤しているのだが、今の現場は今月末までなので彼女を探すチャンスはあと5回しかないかもしれない。

 マスヲは中学校までバリバリの帰宅部だった。高校に入学しても帰宅部になるつもりであったが、進学した高校は近辺では管理教育で有名な高校で部活に全員所属することが義務づけられていた。
 中学校からの友人たちの多くは囲碁部に入部する意思を示していた。活動が毎日ではないのと厳しそうでなかったからだ。

 マスヲは小学校のころにお昼の放送を担当する放送委員をしたことがあり、その委員会活動がおもしろかったのだがその委員会の1学年上の男の先輩が偶然にも同じ高校の先輩で放送部に所属していたので、放送部に入部することに決めた。
 放送部と言っても放送委員に毛が生えたようなもので、朝礼やお昼の放送などの裏方の作業をするくらいのものだろうと軽く考えていたのだ。

 だが、それが甘かった。この部活は高校内でも活動が盛んなことと厳しいことで有名な部活だったのだ。
 この部活が一番重要視していたのは毎夏に行われる「NHK杯全国高校放送コンテスト」への出場だ。この大会に熱中している人たちは放送部の甲子園に例える人もいたが、それはいささか大げさだろう。
 そもそも放送部がある高校も少なく、県内で活動に力を入れていたのは一部の私立高校くらいだったので、ちょっと頑張れば全国大会への予選にあたる県大会くらいならわりと簡単に上位入賞できた。そして、上位入賞できれば全国大会に出場できるのだった。当時、全国大会の決勝は東京のNHKホールで行われていた。

 NHK杯全国高校放送コンテストは各部門があり、まず個人部門と団体部門とにわかれる。
 個人部門は朗読とアナウンス、団体部門はテレビ番組部門の課題と自由、ラジオ番組の課題と自由、そして研究発表部門の計7部門に分かれていて、マスヲの所属していた高校の部活は毎年すべての部門にフルエントリーしていた。

 まず、この部活の特徴は男女比率のバランスだ。学年にもよるが圧倒的に男子生徒が少なくて女生徒が多いのだ。
 といっても、1年生から見れば先輩の女性とはどちらかというと怖いと思えるような先輩のほうが圧倒的に多かった。
 当時、それでも1、2年生の男子生徒から人気のある3年生の先輩が3人ほどいて、マスヲが今日似ていると感じた先輩もそのうちのひとりだ。

 新入生が入るときには先輩も含めて全員、ひとりずつある程度の長い時間の自己紹介的なスピーチをするのが慣例になっていた。
 その先輩は少し変わっていて、その自己紹介の時に好きな人は紀貫之だと言ったのだった。そう、あの土佐日記を書いた平安時代歌人紀貫之だ。
 マスヲは先輩に一目ぼれしていたので、その話を聞いた時に目の前が真っ暗になった。

 その先輩とは団体部門ではテレビ番組課題部門を作成する同じグループになったのだが、高校1年生から見れば3年生の先輩なんてただでさえ話しかけにくいのに、紀貫之のことを聞いたせいもあってほとんど彼女と話した記憶が無い。
 また、彼女は声が綺麗なことから個人部門のアナウンス部門へ出場することも決まっていたため、作成するグループ活動への参加も他の先輩よりは限られていた。
 ただ、グループ活動でのときにはまずテレビの画面だけを編集してその後に音楽や効果音、そしてナレーションをいれるのだが、彼女がナレーションしている姿を今でも時々思い浮かべる。

 ただ、すぐに部活を辞めることを考えて入部していたのだが、その先輩に会えるのが楽しみでなんとか部活を続けた。
 恥ずかしい発声練習を毎日先輩たちにやらされたことや大会が近付くにつれて土日は毎週のように出席しなければならなかったのに、だ。
 そして、ただ受け身で部活度を続けていたら、いつの間にかNHKホールまで行くことができたが、そのときは当たり前の話だが顧問の先生や先輩たちの実力のお陰だ。
 そして、夏休みに行われた全国大会が終わると3年生たちは部活から離れていった。
 それでもマスヲはなんとなく惰性で部活を続けていた。今ではよく思い出せないのだが、惰性で物事を続けることができるのは良くも悪くも昔からのマスヲの特徴の一つだと思う。

 そして、3年生の卒業式が来た。この部活の慣習として卒業生は全員最後に部室(何故か生物室だったが)に挨拶に来て、後輩たちの前で別れのスピーチをするのだった。
 マスヲが憧れていた先輩は管理教育の厳しい進学校では珍しく東京の声優になるための専門学校に進学すると挨拶した。

 マスヲは先輩の進学先を聞いてびっくりしたが、部活動に真面目に取り組むことに決めた。
 自分の実力なんてたかが知れているかもしれないが、ちょっと頑張れば県大会の上位くらいなら狙えるだろう。
 そして、全国大会まで進むことができれば先輩が会場に激励に来てくれるかもしれない。そうすれば先輩にまた会えるのだ。
 実際、この部活はOBの活動も盛んで嫌われている先輩も好かれている先輩も大会中はもちろんのこと、平日の活動中でさえも顔をだす先輩が多かったからだ。

 実際、マスヲは2年生と3年生のときにも県大会で上位入賞して全国大会にだけは進むことができた。
 だが、残念ながら彼女は一度も全国大会の会場に激励に現れることがなかったので、彼女が卒業して以来1度も再開したことがない。

 それでもマスヲは彼女がいたからこそ、複数の人間でひとつのものを作成する苦労と完成した時の喜びを経験することができた。
 それから、自分でいうのもなんだがマスヲはどちらかと言うと後輩たちから見ると良い先輩になれたらしい。
 自分に甘い分だけ他人、特に年下にも甘いからなのだろうか。

 朝見た女性はひょっとしたらマスオが憧れていた女性の娘さんなのかなとも、妄想してみた。マスヲが今年45歳なら先輩は2学年上なので47歳だ。
 20代の中ごろに結婚して出産すれば、それくらいの年ごろの娘がいても何も不思議ではないからだ。

時代にマッチしてない気もするが

 昨日に引き続き今日の就業後もデパート巡りをした。昨日はJR高島屋名鉄百貨店をまわったので、今日は地下鉄で矢場町まで行き、松坂屋から歩いて三越丸栄をまわった。実は昨日からチョコレートケーキを探しているのだ。
 今日も気分よくデパート巡りを楽しめたのが、ひとつだけ気になったことが起きた。

 名古屋で一番の老舗と言われているデパートでのことだった。確かに1番と言われるだけあって魅力的な商品が多く、マスヲが個人的に食べたいチョコレートケーキ以外の商品もちらほら見かけた。
 あるショーケースの前で気になったものがあったが売り切れだったので店員に尋ねると、その日にならないと入荷の状況もわからないとのこと。なんとも心細い。
 購入日が確定しているのであれば前もって予約できるとのことだったが、キャンセルが出来ないことも強く念押しされた。
 ここまで言われると興味が出てくるので忘れないようにスマフォで写真を撮った。
 すると店員から強い口調で館内での写真撮影はNGであることを告げられた。デパートだということを考えると少しびっくりするような言い方だった。そんな言われ方をするとこちらも少しはムッとする。店員の目の前でわかるように撮影した写真を消して見せた。
 すると店員は繕うようにしてカタログを差し出した。

 帰宅してから今回のことが気になったので、昨日から回ったデパートすべてに電話で問い合わせた。名古屋人が俗に言う「4M1T」にだ。
 時間が19時30分を過ぎてから問い合わせをはじめた。時間のためか丸栄は電話がつながらなかった。名鉄百貨店は係りの人間が不在とのことで、後日メールで正式の返答をもらうことになっているが方針としてはNGらしい。
 三越松坂屋からは一応電話でデパートとしての見解を説明してもらったのが、相手側の説明が理解しがたいために納得できないために割愛させて頂く。
 1番納得できたのはJR高島屋だ。名古屋人としては「4M」に親しみを感じているのでひいきしたいところだが、今回の対応については完敗だ。
 JR高島屋からの返答は他のお客様が偶然写ってしまったときの肖像権の問題を気にしているとのことだった。
 基本的には館内の撮影はお断りしているとのことだったが、売場の係りに相談して頂ければ柔軟に対応して頂けるとのことだった。
 スマフォが一般的なり、高性能のカメラを皆が持ち歩く時代になっていることを考えると他のデパートにももっと柔軟性のあるルール作りを期待したいのだがどうだろう。

innocent world

 一昨日の夜は良く眠れたが昨夜は5時40分に目が覚めてしまったので、少し起きるのには早い。
 やはり、いきなり何もかもがかわるのではなく少しずつしか変わっていかないのだろう。

 こういう時の目覚めの曲の選曲は難しい。
 かなり悩んだ末に、Mr.Childrenの「innocent world」を選曲した。
 これが自分の中でびっくりするほどはまり、出勤中はもちろん帰宅時まで何回も繰り返し飽きることなく聞いていた。恥ずかしながら、今日初めて素晴らしい曲だと感じた。
 今から20年以上前の曲なのだが、この曲はミリオンセラーにもなり、ミスチルの代表曲にもなっているが聞いた時からそれほどいい曲とは思っていなかったし、まわりがカラオケで歌うときもどこか白けて聞いていたほどだ。
 ミスチルの初期の曲の中では「名もなき詩」の歌詞のほうが直線的なせいもあって今までは好きだったが、「innocent world」のほうが若い時に書いた詞なのに今頃になってこの詞にはまるというのはこちらのほうが奥深いということになるのだろうか。

 帰宅時にスマフォでこの曲に関することをネットで軽く調べてみると、プロディーサーの小林武史桜井和寿に作詞を何回か書き直させたというエピソードがわかり、興味深かった。
 桜井和寿が24歳の時に書いた詞だというのもびっくりする。24歳の青年が書いた詞に45歳の中年が感じ入っているのだ。

 今日の就業後にデパートめぐりをした。今参加しているプロジェクトのオフィスが名古屋駅近くではあるため、名古屋駅周辺にあるデパートを回るのは遠くないのでそんなに負担ではない。
 それでも先日、今の会社の元取締役に再開するためにネクタイを贈ったのだが、その時も同じデパートに出かけたのだが、そのときは義務的な感じのためか面倒臭さを感じていた。
 
 今日回った売場はスイーツコーナーだった。ある人にお返しをするためにお菓子を考えているのだがネクタイを選ぶ時と違ってなんだか楽しかった。
 実際に購入する予定日は1週間ほど先なのだが、ウインドウショッピングをこんなに楽しめるのが自分でも不思議だった。
 なんだか穏やかで少しだけ幸せな気分で売り場を歩きまわることができた。6月の雨の中、物憂げかはわかれないけれど。

新しい日々

 昨夜はびっくりするほど長い時間眠れた。なんと7時間20分。途中で一度目が覚めてトイレには行ったが、その後にすぐ眠りにつくことができた。

 安定剤と睡眠剤を服薬してはいるが、こんなに長く眠れたのはどれくらいぶりだろうか。おかげで朝から体も軽かった。

 出勤するときに使用していたマスクがちょうど切れてしまった。途中のコンビニで買うことも考えたがそれも辞めてしまった。

 今朝は晴れ渡っていて風も6月にしては気持ちがよかった。マスクをしていないせいもあったかもしれない。

 

 昨日は有給休暇を使ったので、3日ぶりの出勤となる。

 現場のオフィスに着きパソコンの電源を入れた。パソコンで作業をするためには2回の異なったパスワードを入力しなければならないのだが、最初のパスワードをすっかり忘れてしまっていた。体というか指先に染みついていたように、いつもタイピングしていたパスワードがどうしても思い出せない。随分前に書き留めたノートの記述を調べて入力した。

 たった3日しか仕事を休んでいないはずなのに、いろいろなことを考えたり感じたりしていたせいか、すっかり仕事のことが頭から離れていたようで、強制的に?リフレッシュされていたようだ。

 いつもなら気になって仕方がない右隣や後ろの人間もそれほどウザさを感じなかった。午前中が過ぎるのも気のせいか休み前より早く感じた。

 

 お昼時間になって外にでる。ランチを食べる店はいくつかの候補が決まっているのだが、今日はその候補の途中で気が変わり利用したことが無い店で食事をした。

 かつ丼が店の一押しの様だったので1000円だったが、食べてみた。正直驚くような味ではなかったけれど、別に次回食べなければいいだけの話だ。

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 午後になると薬の副作用のせいかやはり眠くなったのだけは変わらなかった。

 就業時間が終わり、先日診察を受けた耳鼻科に急いだ。朝とは違い空は曇っており、雨を呼びそうな風が強くなっていた。

 医院で診察を受けると、あと2週間ほど様子見で薬を飲めば大丈夫だろうということだった。

 

 ある日を境にすっかり何もかもが変わってしまうようなことはないのかもしれない。

でも、少しだけ自分の中で何かが変わっているような兆候を感じたそんな1日だった。