淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

定時退社なのに事前にメールを送付すること

 昨夜はある友人と飲みに出かけた。彼とは別会社ではあるが同じプロジェクトで働いたことがきっかけで仲良くなったのだが、より親密になったきっかけの言葉があるのだが、その言葉が印象に残っている。淡白さんは『沢木耕太郎』の『深夜特急』読んだことありますよね、と断定で聞かれたのだ。読んだことありますか、と仮定で聞かれるのならわかるが何故断定できたのだろうかと不思議で仕方がない。
 マスヲは『深夜特急』は読んだことがあったしお気に入りの作品なのだが、マスヲは『深夜特急』は読んだことがあったしお気に入りの作品なのだが、まだ彼とはそれほど会話もしていないころだったので、外観だけで読んだことがあると判断されたのだったら、人間観察能力が鋭すぎる。

 そんな彼と昨夜は河岸を3回変えながら飲み歩いたのだが、河岸を変える途中で歩いていた時に彼の今の常駐先が近いので少しだけ遠回りすることにしたのだ。自社用という理由にしてあるので、ということを彼から聞いて察した。
 おそらく次のようなメールを同じ職場のメンバーに送付したのだろう。
『各位 タンパク(仮名)は本日自社用のため、定時退社します。ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。』
 マスヲにとっては現場でよく見るメールだ。今でこそ慣れたが初めて見たときは違和感を覚えた。定時退社するのに事前報告をしていることに。
 当日中のやるべき仕事さえやっていればこんな文面のメールは本来必要ないはずだし、定時退社することが悪いことであるような感じが行間から伝わるかもしれないことを今でも危惧している。

 だから、マスヲが仕事後の夕方に所要があって遅れたくない場合は、その所要が自社用でもその他の用事の場合でも次のようにしている。定時退社で間に合う時間でもわざと定時退社ではなく30分ほど早く退社する。自社に対しては自社用の時はそのほうが現場を抜けやすいからという理由で了承を取るし、プライベートが理由の場合は早退届を提出している。
 マスヲが勤める会社には半休という制度がないために、早退すればその時間に関わらず一律減給になるのだが、定時退社することが悪であるかのように世間で扱われるよりはマシだと思っているからだ。
 そして、以下のようなバカバカしいメールを職場で垂れ流すことになる。受信者にはほぼ既読スルーされるのにもかかわらず…。
『各位 タンパク(仮名)は本日自社用のため、17時30分に退社します。ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。』

婚活パーティーに出てみれば?

 昨夜、母親と弟との3人で焼肉を食べに行ったことは昨日の記事で書いたが、母親がお手洗いのために席を離れているときのことだった。
「兄貴も婚活パーティーに出てみれば?」弟はさらに続けた。「小説のネタにもなるし」
 母がいないタイミングを選んだのは、まだ形式上は結婚している兄貴に気を使ったのだろうが、心の中では弟に舌打ちしていたが態度には出さなかった。
 今でこそ婚活パーティーという言い方が一般的だが、むかしはねるとんパーティーと呼ばれていたころに、20代のころ何回か参加したことがあるが、苦い思い出しかないからだ。

 その中でも1番の思い出はパーティーで知り合った女性から連絡があったので、その女性から呼び出された場所に出かけていくと高価な毛皮を買わせることが目的だとわかったからだ。相手が買わせたい毛皮の価格は200万円。現場ではもうひとり年配の女性も加わって必死にマスヲを説得してきた。
 その日、体調不良で生涯で初めて会社を休んだ日なので鮮明に覚えている。まるでMLMで勧誘にあっているかのようだった。
 その時に思ったことは、ブサイク村出身に産まれるということはこんなデメリットもあるのだということだ。相手の女性2人が必死に言葉を並べ立てて説得してきたが、心身ともに弱り切っていたためにかえって、そのことがショックでまったくマスヲの耳には入ってこなかった。

 だが何故か、産まれ持って変えられないことを嘆いても仕方がないと開き直ることができた。嘆いたところでそのころには自分が相当な女性好きということに自覚が出てきていたので、そのハンデをどのように埋めていくかに自分の考えの焦点は移ったし、実際に様々な行動をした。

 そのころの弟は東京の有名私大に在学中だった。しかもマスヲ違って外見も悪くない。帰名したときに弟が口にした言葉が忘れられない。
「今の大学に合格したらもてることは想定していたけれどこんなにもてるとは思わなかった。だから、自分より偏差値が低い大学の女性から言い寄られても興味が持てない。」

 そんな調子なので弟の男子力の成長はそこで止まってしまったと見ているし、今のマスヲなら弟よりは女性にアピールできるはずと自惚れている。
 昨日の記事を書いた後から一晩考えたがマスヲにとって、恋愛に関しての後悔はない。その時々で自分らしい選択をしたという自負があるからだ。

忘れ物を取りに行けること

 24日の出勤日まで残すところ僅かになってきた。出勤日までに予定していたことで出来そうもないことが、少し出てきたが仕方がない。来月からの予定だった出勤日が早まったのだから。

 

 今朝は6時過ぎに家を出て、ウイングヒルズ白鳥リゾートに向かった。先日滑走しに行ったときにストックを忘れてきてしまったので、取りに行くことにしたのだ。当然、滑走はしてくるつもりだった。

 

 郡上市に入るころから見える景色も前回とは変わってきている。山々の緑がほぼ深緑になっているし、まだらにあった薄緑を探すのが難しくなってきた。長良川に入っている友釣り師の数も増えているのがはっきりとわかる。

 今日みたいに暑い日だと清流に浸かりながら釣りを楽しむのも悪くないだろう。マスヲもストックの忘れ物が無ければアユではないが他の釣行を考えていたくらいだから。

 

 先日よりは早く家を出たので10時過ぎには現地に着くことができたが、今日は朝から晴れていたので駐車場から合羽を着てセンターハウスに歩くだけでも暑かった。当然、ゲレンデも先日よりも暑かったが、先日よりも全体的に人が多かったのは何故だろう。 

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 今日は暑かったせいもあって、ゲレンデでの散水量が多かったので1本滑る毎に全身に相当な水を浴びた。先日までは小雨が時折降ったり、気温がまだ低かったので「PIS*LAB」自体の温度が低かったからだろう。ある意味こういうコンディションでこそ高価な合羽を買った意味があると言えるかもしれない。今日は暑かったが以前使用していた安い合羽よりははるかに通気性が良いからだ。

 

 上級のスキー板をレンタルするとエッジを1回だけ研磨してくれるので昼食を摂るタイミングでレンタルショップに持って行った。板を預けるときに係りの男性との雑談の中で、今日はスピード感を前回来た時よりも感じないのだが、と言うと気温のせいだと教えてくれた。「PIS*LAB」の温度が上がるとスピードがやはり出にくいらしい。彼は今日も10時までは滑走したがその後は仕事に専念しているそうだ。

 前回の記事で「PIS*LAB」は時間によって滑走感に差が無いようなことを書いたがそれは間違いだったようだ。

 

 ウイングヒルズ白鳥リゾートのグリーンシーズンは他にもアクティビティが楽しめるのだが食事後にマウンテンバイクを楽しんでいる客に、スキーヤーやボーダーは何故同じような合羽を着ているかを質問された。ゲレンデに多量の水がスプリンクラーで散水されているのでその対策のためだと答えた。バイカーは散水対策か傷対策だと思っていたようだ。自分もそうだが、皆それなりに高価な合羽を着用している人が多そうだということも付け加えた。

 

 今シーズンの「PIS*LAB」滑走は3回目だが、前2回は恥ずかしながら1回ずつ転倒して肘に軽い擦り傷をしていた。

 リアルスノーのゲレンデでは1シーズンを通してもそれほど転倒することは無いので油断していたのかもしれない。今回はその点も考慮していつもは膝しかプロテクターをしないが今日は肘にもプロテクターをして滑走したら、結局1回も転倒しなかった。

 準備をしなかったらそのことに関してのトラブルが起こり、準備をしたら何も問題は起こらない。何でもそんなものかもしれない。

 

 今日で今月のウイングヒルズ白鳥リゾートを滑走は最後になるだろう。そのことも踏まえて帰りに少し寄り道をした。国道に出る前に少し横道にそれるだけで正ヶ洞の棚田を見ることができるからだ。車1台が何とか走れるような細い道をしばらく行くとマスヲでさえもほのぼのする田舎の原風景のような眺望を楽しむことができた。 

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 帰り道も国道沿いからところどころに見える長良川では往路よりも釣り人が増えていたような気がした。国道沿いの温度計も見るたびにほぼ30度を越している。

 釣り人たちは陽にあたるようなポイントでも水に浸りながら、アユを追っかけていれば日差しや気温はあまり感じないのかもしれない。

 

 マスヲが名古屋近くまで帰ってくると母親からスマフォにメールの連絡が入った。今夜焼肉を食べに行きたいとのことだった。前振りもなく突然だったのだが、たまには母親の無茶ブリに従うのも仕方がないだろう。

 焼肉屋で弟も含めて3人でビールを片手に食事をした。マスヲが日中体を動かしたので焼肉よりもビールのほうが美味しく感じた。マスヲだけでなく母親も弟もそれなりにペースでビールを何杯も飲んだ。

 

 食事中の会話で婚活に勤しんでいる弟に対して、母親がいきなり切り込んだ。弟が思った以上に成果が上がっていない婚活について、大学時代に付き合った彼女が忘れられないのではないかと。40歳の弟はそうかもしれない、と答えた。

 2人の会話を聞きながら自分にも過去の恋愛で取りに行けない忘れ物が無いかに思いを巡らせたし、今もそのことを考えながらこの文章を書いている。

【祝・たんぱく宣言100日継続企画】 エッセイを書く難しさと楽しさ

 今日の記事でたんぱく宣言は100日の継続となり、そして100個目の記事となる。
 これもひとえに読者のお陰だと思って感謝しているし、キリのいい100日継続できたことにも我ながら驚いている。

 先日、ある友人と食事をした際に同人誌に復帰して小説を書いていることを話題にしていた時のことだ。
 blogの執筆ペースを落として小説を書くことに注力したらどうかという意見をもらった。
 小説を書くことも今のマスヲにとっては大事なことだ。だが、blogを毎日書くこともやはり大事なことなのだ。
 blogを書くと文章量や内容にもよるが、たんぱく宣言の記事の中では数時間かかっているものも珍しくない。その時間を小説の執筆にさけば、小説の執筆がその分だけ進むのは確かなのだが、今のところはblogの更新ペースを変えるつもりはない。だが、友人の意見を参考にして最近はblogの文章量をある程度抑えている日が多い。

 たんぱく宣言はマスヲのエッセイなのでノンフィクションだ。毎日書き続けている中で気がついた。
 小説は絵画を描くことにエッセイは写真を撮ることに似ているということに、だ。
 小説はフィクションなので事実をもとにしたことであってもどんなことでも書ける。絵画の基本もリアリズムなのかもしれないが、ある程度は虚飾なことでも絵画にすることは可能だろう。
 だが、エッセイはノンフィクションなので事実しか書けない。写真も目の前にあるものを撮影するしかない。
 この点がblogを書きはじめたときからの自分の中では大きな壁だったのだが、書き続けることによって最近はその壁を越えたような気がする。
 写真はアングル、構図、絞り、シャッタースピード、感度などをコントロールすることによって同じ景色を撮ったとしてもまったく別の作品にすることは可能だろう。
 エッセイも見たこと聞いたこと体験したことなどしか書けないのだが、体験したことは特に視点や構図などを強く意識して考えて書くと、自分でも驚くほどの読後感を与えることが出来るのではないかと思えるようになってきた。

 マスヲの中でそれを今までで強く感じた記事がある。それは以下の記事だ。
hatehatehahaha.hatenablog.com

 正直に言うと事前から当日の自分の感情を予想していたので、多少下書きのような原稿があったのだが、当日に体験したことを自分なりに考え直したらまったく別物の記事となったことが感慨深い。

何を書きたいのかと聞かれても

 昨日は日曜日だったので夕食は、慣習となっている通り実家で食べた。
 マスヲの家族では下戸はいないため、母親もお酒をたしなむし、弟は毎日晩酌するため実家で顔を合わせるときにはたいていお酒を口にしている。
 マスヲが日曜日に実家で家族と食事をする時に、お酒を飲む割合は2割くらいだろう。
 昨日もそうだったのだが母親と弟だけがお酒を楽しみ、マスヲだけがノンアルコールのビールであわせることが多い。

 マスヲの住む地域では昨日は梅雨明け前なのに、日中35度を超すような暑い日になった。そのせいか母親もそれなりにお酒を飲んでいたのかもしれないが、少し気になるようなやり取りがあった。
 マスヲが最近同人誌に出戻りをしたことを以前話していたのだが、小説で何を書きたいのかと聞かれたのだ。
 この手の質問は誰にされても相手に併せて答えなければならないこともあって、非常に難しいし答えるのが面倒臭いのだが、その前に質問されたこと事態にいくつもの疑問が湧いたのだ。
 まず、母親は小説どころか本を読まない。むかし、『風と共に去りぬ』が好きだと話していたので、原作の文庫本をプレゼントしたことがあるが、目が疲れるからと言って一切読もうとしなかった。
 また、以前マスヲが同人誌に参加していた時のことにはほとんど興味を示していなかったからだ。逆に亡くなった父親は同人誌に発表した作品を読んでくれたし、マスヲが小説を書くことを好意的に捉えてくれていた。
 ちなみに父親の読書冊数はマスヲの家族の中では断トツだろう。父親ウイスキーを嗜みながら本に目を通していた姿は良く目にしたし、癌で病院に入院していたときも何冊かの文庫本を枕もとに置いていたほどだ。

 まったく小説を読まない母親に対して何をどう答えるのか困ってしまったが、次の言葉しか出てこなかった。
 ヒューマニズムかな、と。こっちは必死に考えて答えたのに母親はピンと来ていないらしく、少し絡みがちに、もっとわかりやすいようにと追加の説明を求められたのだ。
 社会的なことや時事的なことを今は意識して書こうとは思わない、そのようなことが問題になるのもそれを引き起こしているのが人間なのだから、と追加説明するのが精一杯だった。
 それでも、母親は納得できていない様子だったが、有名私大の文学部を卒業している弟が間に入ってくれたので母親の気持ちもその場では収まったようだったが、マスヲの言ったことをどこまで受け入れてくれたのかはわからない。