淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

素敵なため息

 母親から人前でため息をついてはいけないと、子供のころから言われ続けて育てられた。自分のせいではあるが、冴えない日々が多いためにそれでもよく人前でため息をついてきた。
 そんな自分でもこのごろ、母親に言われた。私の前でため息をあまりつかなくなった、と。
 変な話だが、妻と別居して数年。人生の中でここ最近が、一番ため息が少ない気がする。

 やっと高校生の中間テストが終わったのか、朝の通勤電車に少しだけ余裕が出てきた。おかげで今朝は、途中からは座ることができた。
 ここ数日、疲れを覚えて仕方がなかった。本業と副業で働き続け、40日以上休み無し。しかも、ここ数日は本業での仕事も慣れないことをしているせいもある。

 そのせいか、座るとすぐにまどろんでいた。だが、そのまどろみの中で素敵な音を聞いた。その音とは、ため息。女性のため息だ。
 そのため息を村上主義者の1人として、村上春樹風の文章で表現したいと思う。

 100パーセントのため息はあるか。人に聞かれたら、今日からはイエスと答えるだろう。
 今朝、自分は100パーセントのため息を初めて聞いたから。それは通勤電車で運命のように隣の席に座った女性から。
 そのため息は、冬眠から覚めたばかりの子グマが春の温かい日差しを浴びたためにうたた寝し、その後に目が覚めたばかりの時に、ついたようなため息だった。両腕を伸ばしながら、あくびの代わりに。(全然似ていないかも……?)

 悪ふざけは辞めて、自分らしい文章で続けよう。
 自分は気持ち良くまどろみながら、そのため息に聞き入った。素敵なため息をつく女性だから、きっと素敵な女性がついたのだろうと。終着駅に着くまで、自分は目を瞑ったままだった。

 車両が停まった気配で目を開けると、すぐに隣を見た。100パーセントのため息をついた、女性を見るために。
 自分が妄想していた女性はどこにもいない。隣にはどこにでもいるような、疲れたオバサンが座っていた。オッサンの自分が言うのは憚られるのかもしれないが、思わず呆然としてしまった。
 彼女はそんな自分を置いて、足早にホームに去った。

 今この文章を書きながら、母親に言われ続けたことについて考えた。
 人の嗜好は他人が理解出来ないほどに、多様だ。ネガティブにとらわれがちなため息でさえも、自分はときめいたからだ。しかも、見知らぬ中年女性の。
 ひょっとしたら、自分の加齢臭や独り言のような愚痴も好感度を抱く女性がいるかもしれない。100パーセントの加齢臭、100パーセントの愚痴として。
 そう評価してくれる女性が、誰が見ても魅力的だと思えるような女性であることも、ひょっとしたらあるかもしれない。
 世界とは言わないが、日本だって広いし様々な人がいるのだから。