淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

プロセス

 先日、一緒にお酒を呑んだ友人が、我が家に泊まった次の日の朝のことだった。素面になった友人が中学生時代に思いを馳せて、次のようなことを話してくれた。
 自分たちに体罰をした教師たちは、そのことについて今はどう思っているのだろうか、と。そのまま、黙ったままなのは卑怯だと。

 友人にとっての中学に通った3年間は、教師たちに厳しく指導されたことが、今でもトラウマとして残っているようだ。
 中学校時代はそれほどでもないが、高校時代の3年間は友人の中学時代と同じように、自分の人格形成に暗い影を落としている。高校の教師たちの振る舞いが、今となっても許せないものがいくつかあったからだ。英語の教科担任をしていた老教師に職員室で正座させられ、背中を蹴飛ばされたことが今でも忘れられない。

 インターネットが普及したために、過去の自分の行いを匿名で公表することが昔よりは、ハードルは低くなっているだろう。
 現役であれば言いにくいことも、退職して現場を去った教師たちであれば、それほどでもないはず。
 彼らが現役時代のことで、今でも心にひっかかっていたことや、悔いが残っている事などがあったら、独白してもらいたいという意見で、友人と自分は意見が一致した。
 教師であっても組織の力には逆らえなかったことも、今の自分たちならある程度は理解できるので、ただ素直に知りたいだけだ。

 また、学生時代は散々にプロセスが大事と言われて育てられてきたのに、社会に放り出されたら一転して結果が全てみたいに言われたことに違和感を覚えたことも、友人と一緒だった。
 今週の火曜日にTVの野球中継を見ていたら、野村克也元監督と山崎武の2人が師弟で解説をしていた。
 その時に元監督が選手を結果で怒ったら駄目だと、話していたのが印象に残っているし、友人と話したことを改めて自分は思いだした。

 元監督曰く、自身が現役時代にプロセスが同じでも結果が違えば怒られたことに納得いかなかったらしい。解説中はその監督の実名まで出していたので、よっぽど腹に据えかねていたのだろう。
 よって、自分が監督になった時は選手たちには常にプロセスを重要視するように説いていたようだ。自分の過去の痛みを活かしたことが、名将として球史に名を残せた一つの要因だったのかもしれない。

 物事の結果について、分析することは必用だろう。だが、結果は原因があってこそ。原因と結果、それに伴うプロセスもセットで検証しないと、物事の真相には近づけないはずだ。
 少なくとも自分が社会に出てから、プロセスを評価してくれた上司はほんの一握り。結果論だけで自分を評価した上司が大半だった。

 自分の年齢を考えれば、上司の何人かは既に定年退職しているはず。彼らが現役中、何を基準に部下に接してきたのかも、自分は知りたいと思う。許せることの方が少ないかもしれないが。

f:id:mobemobe617:20190510160350j:plain
今朝、撮影した黄色のアヤメ。