面倒臭がり屋の自分。その割に、お人好しで格好つけなのだろう。結構、手間がかかるようなことを昔から安請け合いしてしまう。
先日も所属している同人誌のメンバーのために、ある文書ファイルのPDFファイルへの変換と、ファイルを希望者が入手できるようにするための作業を引きうけた。
作成者から受け取った文書ファイルがWordの形式ではなく、一太郎のファイル形式だったので、一手間余分にかかった。
なんとか読み込んで、ちょっとした画像を挿入後にPDFファイルに変換した。
所属している同人誌には同人相互が情報共有するためのBBS(電子掲示板)があるので、そこにファイルをアップロードしようとしたが、駄目だった。画像ファイルしか許可されていなかったからだ。しかも画像ファイルサイズの制限は、かなりタイトだった。
仕方がないので、適した外部ストレージサービスを探して、そちらにファイルをアップロードした。ダウンロードするための期限とパスワードのロックをかけて。
そのことをBBSに掲示するだけで、半日ほどは時間が奪われた。
翌日に掲示板を見ると、ダウンロード方法がわからなくて困っている同人がいることがわかった。
その同人は自分が年老いていることを自虐的に書いていたが、こちらの説明がもう少しあってもよい気がしたので、付け加えることにした。
初めは画面のキャプチャーを順に逐一撮ることも考えたが、試しに1画面のキャブチャーをBBSにアップロードしたところ、ファイルサイズの制限で引っかかったので諦めた。他に代案がないので、文章のみで補足した。
すると、何人かの同人からファイルがダウンロード出来たことの報告とお礼を書き連ねてくれた。中には個人的にLINEでお礼のメッセージまで送ってくれた同人もいた。
掲示板に自身のことを自虐的に書いていた同人も無事にファイルを取得できたことも報告があったので、少しほっとした。
同人の中には形式的にお礼を書いただけの人物も居たかもしれないが、そんなことはどうでもいいこと。
自分が対価や何かの代償のためではなく、手間のかかった作業を行ったことを、理解してくれた同人が少しは居てくれたと感じられたことに救われた気がした。
最近、昔からの友人の中に、自分が眉をひそめたくなるような態度を取られることが多くなっているから。
お互いにアラフィフになって人生の折り返しを過ぎたので、生涯年収が見えてしまったことも影響しているのかもしれないが、昔からの友人にそれらのことが透けて見えるのは虚しい。
当然、そんな友人に対しては自分から少しずつ距離を取りはじめている。そんなことを自分が感じることも寂しい。
何故、昔からの友人に損得勘定で接するのだろう? 仮に違ったとしても、そのように自分に感じさせたら似たようなものだ。