淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

血筋

 父が生前、医者にあることを言われて憤慨していたことがある。そのあることとは、父方の家系が癌の血筋だと言われたことだ。
 TVで毎日のように医療番組が垂れ流されていても、病気に遺伝性があるかどうかは、自分の中では正しく理解できていない。
 はっきりしているのは父とその両親の三人が、癌で命を落としているということだ。三人とも、それぞれ部位は違ったが。
 父の気分を害した医者がどこまで考えて口にしたかはわからないが、今や日本人の二人に一人は癌になる時代。国民のほとんどは癌の家系に属していると言っても、過言ではないだろう。

 父が医者に言われて憤慨していた時のことを、母は今でも時折、面白おかしく話す。ひょっとしたら、そのことを話すことによって父への郷愁を感じているのかもしれない。
 母は自身の育ちのことを口にすることはあまりなかったが、ここ数年は変わってきた。自分の幼少期のころを少しずつ話すようになってきたからだ。
 母は幼少期のころに、産みの親から育ての親へ養女に出された。
 戦中戦後のころまでは珍しい話ではなかったらしいし、これまでもこのblogでも触れたことがあると思うので、今日はそのことに対して、これ以上は書かない。
 そのかわりに、母親の血筋に関わることを書き綴りたい。

 母親は産まれた家と育ての家でそれぞれ男女一人ずつ、兄弟が居る。しかも、どちらの家でも母が長女、次に次女、最後に長男という兄弟の構成まで一緒だ。
 残念ながら、母と血のつながりのあった妹は既に他界している。その死因は自死だ。
 詳しくは聞かされていないが、旦那の不倫と子育てに悩んでノイローゼ気味だったことはうっすらと聞いている。
 また、母の従兄弟の一人も自死している。彼が死を選んだ理由や背景を詳しく覚えていない。その前に、しっかりと聞かされていないのかもしれないが。

 母の従兄弟はともかく、母の妹は自分にとっては叔母に当たるので、本来ならば自分が葬儀に出席していてもおかしくないのだが、法事なども含めた叔母の仏事には1回も顔をだしたことがない。
 そもそも、両親からそれらのことを聞いたことが一度もなかったこともある。

 実弟が大学生だったころ、鬱病に罹患したことがある。様子がおかしいことに気がついた両親は、東京から弟を連れて実家に帰ってきた。
 その当時のことは、まだ鮮明に覚えている。弟のいないところで、母はいくつかのことを自分に通達した。話してはいけない言葉などを。
 当時の弟は話し方や目つきが明らかにおかしかった。鬱病とはそういうものか、と身のまわりに罹患者が出て初めて少しは理解したが、その後自分までもが鬱病にかかるとは、当時は思ってもいなかった。

 そのころの母親は、叔母が亡くなってからそれほど時が過ぎていなかったので、親としては気が気でなかっただろう。
 幸いにも弟は順調に回復して、今は独身を謳歌している。

 母方の家系が鬱病に罹患しやすい傾向があるとしたら、その影響は自分の娘にどれくらい影響を与えているだろうか。
 ポンコツな父親でも、それくらいのことは心配している。

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今日の写真はキムハルさん。