淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

意味のあるオリジナリティ

 今週の日曜日、万博記念公園でのヨドバシカメラ撮影会に参加していた時に気になったことがあった。講師として出席していた写真家さんの指示が、それぞれ違った点だ。もっと言うと、真逆の内容もいくつかあった。
 わかりやすい例だと、モデルにシャッターを切るのに連写をするか否かだ。そのことについては、今まで自分が接した写真家たちの意見はバラバラだった。

 ポートレートを撮りはじめたころの自分は連射派ではなかったが、あるカメラマンからポートレートの撮り方を教わったことをきっかけに、連写派に変わった。
 理由もある。なるべくシャッターを切るタイミングを詰めた方が、モデルの存在を肯定するだけでなく、テンションも上げることができるから、と教わったからだ。モデルに対してかける言葉が見つからないときは、シャッター音でコミュニケーションを取ればいいとも言われた。

 だが、ストロボの使い方を習った時に講師を務めてくれた写真家にシャッターを連写にすべきかを尋ねると、否と言われたのだ。モデルがポージングを決めた瞬間にシャッターを切るべきだと。
 子供であれば先生、働きはじめたばかりの社会人であれば職場の先輩や上司から、それぞれ真逆のことを言われたら混乱する可能性は高いだろう。
 クリエイティブなことなので、理論的に答えを見いだすのは難しいこととはいえ、自分を高めたいと思って専門家の言葉に耳を傾けているうちに混乱するだけで終わったら、ちょっとした悲しい喜劇だ。

 また、日曜日にはモデルに対してのポージングの要求も写真家毎に考えが違った。
 ある講師はモデルに撮らされていては駄目だから、自分のアイデアがあるのならモデルに要求することを助言してくれた。
 別のモデルに自分が動きを要求していたら、別の写真家が不自然な動きだから言われて、却下されてしまった。モデルに悪いことをしたと思ったが、それ以上に写真家に対して舌打ちをしたくなった。自分の中で正解がまたまた遠のいた気がした。

 だが、少し考えてみたらクリエイティブな物事には絶対とか、鉄板とかいうものはほとんどないという結論に至った。
 それ以上に、作品の送り手のオリジナリティが大事だと思えてきた。ただ、今の自分にはその大事なオリジナリティがないことが問題なのだろう。

 そのことが原因で、タイプの違う専門家に会う毎に自分のスタイルが翻弄されているのが、現在の自分。
 もちろん、拙いオリジナリティを築きあげてしまい、それに縛られてしまうよりはマシな気がするが。
 どうしたら、高位なオリジナリティを持つことができるのだろうか。そのことに対して考えながら、ただただシャッターを切り続ける以外の方法しか、今の自分には思いつかない。たとえ、効率が悪いとしても。

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今日の写真はナゴヤオートフェスティバルで見つけたセクシーなお姉さん。名前知っている人います? いたら教えて下さい。