淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

陽の当たる場所で再び巡り会える日のために

 昨日は起きてから通勤途中まで、めちゃくちゃ気が重かった。帰宅するため、休むための理由を電車に乗ってからもずっと考えていた。
 耳の調子はあいかわらずに芳しくない。そのことを理由にすれば休んだってバチは当たらないかもしれない。有給休暇がないので、ただ、減給になってしまうだけだ。
 何故、日本には労働者を保護するために、『Sick Leave』が定められていないのだろうか。

 電車を乗り換えたあと、のどかな車窓を見ながらぼんやりとしていた。泣き出しそうになりながらもというか、正直心の中では泣いていたかもしれない。
 すると何故か、心の中で好きだった人の言葉を思い出していた。というか、自然と浮かんでいたような気がした。ネガティブにならないで、という言葉が。
 自分が最後に好きになった人が、自分によく言ってくれた言葉だし、お互いに別れになることを予感した日にも彼女は言ってくれた。

 彼女の言っていた、ネガティブって何だろう? ネガティブにならないためにはどうしたらいいのかをいつの間にか考えていた。のどかな外の景色を見たままで。
 不思議なことに、自分なりの結論にやっと辿り着くことができた。通勤途中の満員電車の中で、彼女がその言葉を贈ってくれた意味の答えに。

 辿り着いたその答えは、自分自身がただ強くなること。50歳に近づいているオッサンが、今更気がつくことにしては中二病っぽくて、恥ずかしすぎる気はするが。
 ただ、今まで自分が考えていた強さとはベクトルは全く違う。昨日まで自分が考えていた強さとは、誰もが憧れるような強さ。小説、漫画や映画などのフィクションで描かれるような。もっと言うと、自分の犠牲を払ってでも他人を守るような格好いい強さだ。

 だが、こんなナルシスティックな甘い考えは間違っていると結論付けた。
 自分が今考えている強さとは、それまでと全く逆だ。この世の中で、自分だけが一人だけになっても生き残っていく強さだ。
 例え、他人を傷つけるようなことなっても、気にしないことだ。世間の目、評価を気にしていては駄目だ。

 外で仕事をすることは敵と戦うこと。戦い続けることだ。
 皆、自分と自分のまわりの暮らしを守るためだけのお金と時間を手に入れるためだけに、汲々としている。
 そんな人間たちの中で、自分だけがきれい事を心に抱きしめていたら、いつかは打ち倒されてしまうだろう、きっと。
 それでも、昨日まではそれでもいいと思っていた。滅びの美学ではないけれど、自分の弱さに自身で酔っていた。

 相手が自分の大事なものを奪いにくるのであれば、情け容赦なくそれに立ち向かわなければならない。端から見れば、その方法がどんなに酷いと思われても。
 法律さえ守れば、その手段がどんなグレーゾーンでも全く問題がないはずだ。

 そのことに気がつくと、それまで見ていた景色が全く違って見えはじめた。
 世知辛い世の中でも生き残っていかなければ、会いたい人に再び会うチャンスさえないからだ。

 他人に優しさなんかを見せていたら、簡単に足下をすくわれてしまう。転んでいる暇に自分にとって大事なものを守れなかったら、自分を一生許せないだろう、きっと。

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今日の写真のモデルはMumeiさん。自分も気に入っている一枚。