淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

性善説から抜けきれない

 二週間ぶりに耳鼻科に通院した昨日。診察を受けると、聴力はほんの少しだけ回復しているとドクターから言われた。
 自覚症状はほとんど変わっていないので、そのことを口にするとドクターは続けた。台風が近づいているから、と。自分と似た症状の患者は皆、朝から耳の不調を訴えていたらしい。
 服薬を続けてまた、二週間後に診察を受けることになった。

 診察室の中でドクターと次のようなやり取りもあった。病状の原因をドクターが声を大にして言っていた、と会社に伝えてもよいかと。
 すると、苦笑いを浮かべながら次のようなことをドクターは言った。それで会社の対応が変わるなら、と。
 完全にドクターに一本取られた。
 症状の原因は初診の時と変わらずに、昨日もストレスと睡眠不足だとはっきりと口にはしてくれていた。

 一昨日の夕方、会社の上司に会った際に耳の調子が悪いことは伝えた。
 何故、睡眠不足になったのかと上司が尋ねてきたのにはびっくりした。答えるのもアホらしいほど理由がはっきりしていたので、半端ない脱力感に苛まれていたが仕方が無い。
 現場までの通勤に時間がかかるので、その時間分睡眠時間が少なくなっていることを伝えた。

 というか、そんなことを上司から答えさせられるのは切ない。管理職という立場上、部下の現場への通勤時間くらいは把握していて当たり前だとどうしても自分は考えてしまう。
 会社や上司に何かを期待する方が間違っているはずなのに。
 想像力の無さが原因で出てしまった上司の言葉を思い出しながら今この文章を書いていると、どうしようもなく切なくなってくる。
 所詮、他人のかゆいこと、痛いことは人事なのだ。形式上、どんな言葉を並べ立てたとしても。
 自分が味わっている苦痛を他人に伝えるのは、どんな手段を使ってもきっと無理なのだ。

 それでもやっぱりまだ、自分は何かを期待していたことに昨日、気がついた。
 会社の上司から再診察の結果を連絡して欲しいと言われていたので、それに従って送った自分のメールへの返信を見た時に、自分はとんでもない所に立っていたからだ。その場所は失望を通り越した絶望という名のがけだった。

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自分を絶望の寸前まで追い詰めたメール。
 どうしても、性善説に囚われてしまう自分。どうすれば、どんな場面でも性悪説で物事を見られるようになるのだろうか。
 いつになったら、人に期待しないで生きられるようになれるだろう? 疑うべき物事や人に対して、きちんと判別できるようになれる日が、自分に来るのだろうか。
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今日の写真のモデルはMumeiさん。すっかり秋らしくなったけれど、この写真を撮った日は暑い8月の終盤でした。