淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

妻とのことを娘に聞いてみた

 母方の叔父、母親の弟は毎年のように新年会を開いてくれている。会費も全て叔父が負担して。
 自分はそこに出席する子供たちのお年玉だけを負担すればよいのだ。

 叔父夫婦には息子が二人いる。その二人がティーンエイジャーになってからは、お年玉の負担をきつく感じることもままあったが、それも昔のこと。
 何故、従兄弟にお年玉を配るのか疑問に思ったことも何度かあったが、彼らも社会人になってからは自分が恐縮するような気遣いをしてもらっている。
 従兄弟二人が娘にお年玉をくれるようになったからだ。昨日も娘は従兄弟二人を含めた、新年会の出席者たちからポチ袋を受け取っていた。

 名古屋地区ではしゃぶしゃぶで有名な和会席のチェーン店で、今年の新年会は催された。
 妻の実家に娘を迎えに行って車を自宅の駐車場に停めて、店まで二人で歩いた。
 その道中に、娘と交わした会話を今回は書き綴りたい。

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娘を妻の実家まで送り届ける道中でのワンショット。
 妻が家を出て行ってから、なし崩し的に別居状態になって6年が過ぎている。その状態が続いているのには、自分と妻の意思が働いているが、そのことを娘がどのように捉えているかを聞いたことは一度もなかった。
 小学校に入学するタイミングで、どちらの小学校に通いたいかの希望は聞いたことはあったが。
 嫁の実家がある場所を学区にしている小学校に通いたい、と娘は答えたので自分は彼女の意思に従った。

 妻が家を出て行った後に、自分は何度も離婚を考えたことがある。
 だが、その度にある人の言葉を思い出した。ある人物とは義弟、妻の実妹の旦那だ。
 自分と妻が別居状態になってすぐ、彼に喫茶店に呼び出されたことがあった。
 夕方の店内で彼に向き合って座ると、次のようなことを言ってくれたのだ。娘が傷つくので離婚しないで欲しい、と。

 彼は子供のころに、両親が離婚していることは知っていたが、そのことに傷ついていたことは、それまで気がつかなかった。
 自分が経験したこと、おそらくは思い出したくもないようなことまでを振り返って、助言してくれたことは今でも頭が下がる思いだ。

 ただ、最近になって、逆の意見も別人から聞いて考えが少し変わった。
 両親の仲が悪いことを子供はわかっているものだと。籍を入れたまま両親が別れないでいることの方が不思議に思う子供もいるらしい、と。
 今まで妻と別れないでいたことは、娘のことを思ってのことだったが、娘自身がどう思っているかを聞いてみるべきだという考えに至ったのだ。

 歩道を娘と手を繋いで歩きながら、聞いてみた。
 妻と別れない方がいいかどうかを。別れないでいて欲しい、と娘は即答した。
 そのことをきっかけに、今までは話すことがなかったことをいくつか会話できた。
 妻と自分の仲が悪くなかったころの話なども。両親の仲が良かったころの想像が上手くできていない様子が、娘から窺えた。
 正月早々、離れて住んでいる娘とほんの少しだけ、距離が縮まったような気がした。

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今日の写真のモデルはまやさん。