主業としているシステムエンジニアとして、今年の初出勤だった昨日。
出勤中の電車の中であることに気がついた。現場で一緒に働いている人の名を誰一人、覚えていないことに。
年末、たった二日しか一緒に働いてないとはいえ、自分でも少し呆れた。
電車の中で、自席の近くに座っているメンバーの顔さえ、すぐに思い浮かばなかったから。
今、自分が働いているオフィスは知多市にある工場内の敷地にある。
自分のセキュリティーカードが発行されていないので、工場の入口で守衛にちょっとした書類を書いて、入門証を受け取ってからでないと敷地内に入れない。
その書類に記入しなければならない管理者の名前さえも記憶から消えていた。
仕方がないので、年末に会社の営業から送られたメールを見て、その名前を書いた。 名前は誰一人として覚えていなかったのに、工場までの行くルート、乗換駅などは覚えていた。工場の入口から執務室へのルート、自席の位置、お手洗いや食堂なども。
場所などの記憶は残っているのに、人に関連する記憶がほとんど無かったのはどうしてだろう?
仕事をするメンバーに興味が無いのは、自分だけでは無いかもしれない。
自分が身に着けているものが変わったことを、まわりのメンバーから気がついてもらえなかったからだ。
自分が変えたものは眼鏡。レンスは傷だらけになって見づらくなっていたので、新しくしようと年末に眼鏡屋を訪れた。
すると、店員にフレームも変えた方がいいと促された。
あらためて見てみると、フレームは劣化して変色していた。
アラフィフのオッサンの眼鏡なんて、誰も興味を持てないのだろう、きっと。
実は職場の人間だけでなく、そのことに言及してくれた人物は今までいなかった。友人はもちろん、妻、娘、実弟や母親でさえも。
変化に気がついていた人もいたのかもしれないが、本当のところはわからない。
以前に自分が使っていた眼鏡とフレームの色味が似ていないことはない。デザインの差異はそれなりにあるはずだが。
ただ、そのことを自虐的に何度も自分から口にしたことだけは確かだ。
しばらく会っていない友人たちなども、同じように自分の外見の変化について、口には出さないのだろうか。