読者の一人として、大人になった自分の娘も想定して書いているこのblog。
今まで書くか書かないか迷っていた内容を大人になった彼女のためにも、正直に書くことを決めた。
必ず読んでくれるアテがあるわけではないし、彼女がこんな文章を必要としてくれなければ、それはそれで良いことだろうし。
癌で亡くなった父親が生前、医者から癌の家系だと言われて憤っていたことを、今までに何度かこの場で書いた気がする。
父の両親も癌で命を落としていることを考えると、違っていると断定するのは難しい。
日本人の二人に一人が癌になっている現状を考えると、日本中は癌の家系だらけと言えることを考えると尚更だ。
一方、母の家系については説明がややこしくなる。産まれた家と育った家が違うから。
遺伝という視点で考えると、産みの親側の死因について考えることが普通だろう。
自分の知るかぎり、母と血の繋がりがあった人物の死因で目立っているのは自死。母の実の妹と従兄弟は自ら命を絶っている。
妹が亡くなった時に母が堪えていたのが、今でも覚えている。
そのことはまだ、娘は知らないはずだ。
自死について遺伝性が有るかはわからないが、母の血を自分と娘も受け継いでいるのは事実。
そのせいかはわからないが、今までの人生で死んでもいいと思えるほどに、自分を追い詰めていたことは何度かあった。
最初に思ったのは中学一年生のころ。学校に嫌いな奴がいて、差し違えることを考えていた。
台所に置いてあった包丁を学習机に忍ばせているのを両親に見つかって、ジエンド。事なきを得た。
今となっては、その相手が一人だったか複数だったかさえ覚えていない。
思春期だけは、誰にとっても危うい時代なのかもしれないが。
両親が気がついてくれなかったら、と改めて考えてみる。大それたことをする勇気が本当に自分にあったかは、今となっては疑わしいが。 死んだ方が楽になるかもと、一番よく考えていたのは、宅急便のドライバーをしていたころ。
仕事中に荷物を持って闇雲に走り回っていたときに、今この場で死んだら楽になれるかも、という想いが何度か沸いた。
生活道路を走っている車に何度か突っ込もうかとしたが、今もこうして生きている。
右足で踏み出そうとすると、左足が踏みとどまろうとする、なんとも不思議な感覚を何度か味わった。
娘が産まれてからは、死を急ぐような気持ちになることはなくなった。自分がいなくなると、親が悲しむことをリアルに感じられるようになったから。
辛いことがあっても、次のように考えるようになった。
自分が今死んだら、少なくとも母だけは悲しむだろう。それだけは避けたい。
自分は楽になるかもしれないが、誰かを悲しませたくないからだ。ひょっとしたら、娘だって悲しむかもしれないし。
だったら、誰にも気づかれないように消えてしまいたい。神隠しにでもあうように、ひっそりと。
人からは陽気に見えているらしい自分だが、そんなことを思う夜も、それほど珍しくはない。