昨夜、高校時代の友人とオンラインでサシ飲みした。しばらく会っていないこともあって、お互いの近況を話しているだけで時間が過ぎて日付が変わってしまった。
オンラインで呑んでいるとオフライン時と違って、今まで気がつかなかった相手の一面を知ることがある。
自分と同様に友人の多くもそれなりの年齢なので、話題はどうしても未来のことよりは過去のことが多くなるのは、対面して呑んでいる場合と一緒だが。
今まで一番辛かったことは何かとwebカメラ越しにある友人へ尋ねたら、びっくりするような答えが返ってきたのを印象に残っている。
自分はてっきり、若き日の冬の夜のことを口にするかと思っていたからだ。泣きながら電話してきたころのことだと勝手に考えていたが、そうではなかったからだ。
今となっては、その夜に彼の長話に自分がつきあったことを覚えているかも怪しい。
人は誰しも差し出したものは覚えているが、受け取ったものは忘れやすいもの。もちろん自分も。 昨日、FMのラジオ番組を聞いていたときのこと。
番組内で女性リスナーの次のようなエピソードが紹介された。ある歩道橋を見ると、元カレのことを思い出すと。
エピソードの詳細はロマンチックとはほど遠いもの。そんな思い出の方が後になってから、微笑ましく思えるような気がする。
プライベートで人と話をする場合は愚痴や自慢話なんかよりも、そんな話をした方が場も和むし、盛り上がることが多い。
ノリが良い相手だと、似たような経験を提供してくれることもある。
過去の恥ずかしい話ができるのは、そのことを客観視出来るようになったからだろう。
自分には恋愛とも呼べないような、それらの話がいくつかある。遠い昔と感じられるようになれば、少なくとも自分だけはそのことの意味をかみしめることができる。他の人からは意味のように思われていたとしても。
実はほんの数ヶ月前に年上の女性に対して勘違いしてしまったことがある。どう考えても、自分が自意識過剰だった。
ある程度の時間が経ったらそのことも、このblogにて書き綴るかもしれない。
ある場所を訪れると付き合っていた相手や、好きだった人のことを思い出す人は多いのだろうか。
それとも自分のような人間は少数派なのだろうか。
自分が写真、特にポートレートにハマっているのは、そんな所にも理由があるのかもしれない。