今の現場で働く期限は八月七日まで。残りの勤務日を数えると丁度、三十日。
最近の自分であれば残りの日々を消化試合としてやり過ごしているはず。あとに残り続けるメンバーの誰からも自然と忘れ去られるように。
少しずつ存在感を薄くしていくことに力を入れるべき時期に、もう入っているはずだ。 自分を担当している自社の営業は次の仕事を探し始めているようだが、なかなか厳しいようだ。
営業曰く、今まで以上に自分の経歴の書き方にも気を遣わなくてはいけないらしい。
エッセンシャルワーカーと違って、IT土方は世の中ではさほど必要とされているわけではない。
自分のような扱いにくい土方であれば使ってくれる現場を探すのも、それなりに大変だろう。新型コロナの影響を受けている、今のような世相では特に。
ここ数年に関わった現場の中では、自分の仕事ぶりについて自身ではそれなりに評価している。微力を尽くしたとも、目の前の仕事に対して真っ直ぐに向かったとは言えないが、最低限のことだけはした気がしている。
現場では自分が居なくなったあとのことを考えることが増えてきた。
工数の見積もり作業や会議に出席すると、今後のことについての考えを求められるからだ。
会議において、システムの改修や拡張などが話題になると、二ヶ月先やもっと先のことについての意見を聞かれことは、決して少なくない。
今から二ヶ月先になると、お盆が明けて初秋を感じるころだ。
そのころに自分はどこで何をしているのだろう? 次の現場が決まらないことを憂いているのだろうか。今の会社のルールだと、現場に入っていないとその日数分の給料が減額されてしまうので。
お金の心配は尽きないのに、ぼんやりと思っていることがある。どこか遠くへ行きたい、と。
ここ数年は自分としては珍しく、遠方へ旅していないこともあって。
もし、次の現場が決まらないのであれば、車に寝泊まりしながら、東北か北海道を回りたい。
娘が産まれてからは、どちらも足を伸ばしていない地域だ。
沖縄へ行くのも悪くない。
沖縄に足を踏み入れることができれば全都道府県制覇だが、今の自分にはそれほどの価値を見いだせない。
それよりも、砂浜に寝転びながら南の海をのんびりと眺めることに、強く惹かれている。