newsの手越祐也について、自分なりの視点で語ろうかと考えていた。
ゆるい話題だが意外と奥深い文章が書けそうな気がしていたからだ。
だが、今日は他のことを書き綴ることにした。
あるメーカーの一部の事業が外資系ファンドに譲渡されることになったニュースに友人二人が反応して、LINEでメッセージを送ってきたからだ。
ニュースに登場したメーカーはオリンパス。カメラの製造販売を含めた事業部門を切り離すことを決めたようだ。
連絡を取ってきた二人は、自分がオリンパスのカメラを持っていることを知っていたからだろう。二台も持っていることまで、把握していたのかはわからないが。 楽しい話題ではなかったが、それほどのショックは受けてはいない。このごろは業界内でよく噂になっていたし、ユーザーとしては覚悟も予想もできていたから。
若いころと違ってきたことがある。
商品自体に愛着があっても、その商品を送り出した組織に対しては、愛着を持てなくなってきたからだ。
例としてはHONDA。
中古、新車を問わずして今までHONDA以外のメーカーの車に乗ったことはない。
とういうか、20代のころの自分は、車種ではなくてHONDA製であることにのみ、こだわっていた気がする。
一企業の動向よりも、自分にはもっと気になることがある。オリンパスがそのような選択をした背景についてだ。
スマホの発達と普及が、ひとつの理由として挙げられているが、もっと根深いものが問題の本質ではないかと、自分は考えている。
格差社会が叫ばれるようになって、どれくらいが経つのだろう。
それから時代はさらに進んで、格差社会から分断の社会に差し掛かっているのではないだろうか。
良くも悪くも段階の世代が時代のリーダーになっていた時には、誰もが知っているような話題があり、価値観が多くあったように思う。今とは違って。
二十年前ならば巨人やプロ野球について語れる男性が多かったし、山口百恵の歌を口ずさめる女性が多かったのではないか。
今、そのようなものは、何かあるのだろうか。
手越がメンバーの一員だったnewsの曲のタイトルでさえ、自分は一つも思いつかない。
それでも、一昨日夜の手越の記者会見をオンライン配信で120万人が見ていた。彼のファン以外ではどれくらいの人がそのことを知っていたのだろうか。
僕たちは日々、分断している。しかも、そのスピードは加速しているように思う。
もちろん、自分たちが望んでいることでもあるはずだが、何者かの作為的な意図もあるような気もしている。
分断が進んだ社会では自分たちが何を受け取り、何を失うことになるのだろう?
今の自分では上手く想像がつかないでいる。