一日が長く感じた昨日の日曜日。
休日なのにもかかわらず7時前には起きてすぐ、バタバタしはじめたこともあるのだろうが。
予定は確定していたことばかりなので、前日と早朝から準備をしていたが、良くも悪くも想定していないことがいくつか起きた日になった。 午前中は撮影会に参加してポートレートを撮ることになっていたし、午後からは自分が参加している文学同人誌の集まりに参加するつもりだった。同人誌に掲載された作品について、作者に対して同人が感想や意見を言い合う、例会と呼ばれる集まりに。
新型コロナの自粛明けからは毎週のようにポートレートの撮影をしているが、文学的なものからはすっかり足が遠のいていた。
自分が参加している同人誌のイベントが行われる曜日はほとんどが日曜日。時間は午後から夕方までだ。
昨年の十二月から今年の三月までの毎日曜日は灯油の巡回販売をしていたので、同人誌のイベントには参加できなかった。
四月と五月にも例会は予定されていたので出席するつもりでいたのだが、新型コロナによる自粛で中止されていた。
昼過ぎまでカメラのシャッターを切っていたので、例会の会場に少し遅れて参加すると、考えていた以上に参加者は多かった。
同人のほとんどはシニアなので、新型コロナを警戒して出席者が少ないのではないかと考えていた自分の予想はすっかり外れた。
同人誌の例会へ最後に出席したのがいつだったのかを、改めてこのblogで確認してみた。直近で参加したのは、昨年の九月だった。
自分の記憶なんて、本当にいい加減なものだ。
会が二回連続で中止されていたこともあって、昨日は取り上げられた作品が多かった。
作品毎への言及が少なくなってはいたが、会の進行には淀みを感じなかったので、眠くなることもなかった。
好きなことの集まりとはいえ、退屈に感じることだってある。
古今東西、何人もの著名な作家が多数の文学作品を遺してきたが、それらのほとんどに興味を持つことなくここまで来た。
これからも自分の気を引くような作品に、それほど多く出会えるとは思っていない。感性は加齢とともに、確実に鈍ってくるのだから。
今号の同人誌で巻頭を飾った作品を書いた作者が、執筆の動機について、次のようなことを口にした。例会が終わったあとのお手洗いで、ある同人に言われたことがきっかけになったと。
お手洗いで話かけた同人とは自分のことらしいのだが、全く記憶に残っていないことが恥ずかしかった。
自分の記憶なんて、本当にいい加減なものだ。
相変わらずに大雑把にしか生きていけないし、生きられないだろう。
そんな自分が、ちょっとだけ彩りのある風を誰かに送っていたなんて不思議な感覚だった。自分が書いた小説ではなくて、ちょっとした言葉が誰かに影響を与えていたことが。