TOKIOの長瀬智也がジャニーズ事務所を退所するようだ。
今日は祝日だったので午後にテレビを見ていると、次のようなことをワイドショーが伝えていた。事務所の設立者であるジャニー 喜多川さんが亡くなったことが影響しているとか、いないとかを。
ジャニー 喜多川さんが亡くなって一年。
先日、あるFMラジオの人気番組でそのことにちなんだプログラムが二週にわたって放送されたのには驚いたが、内容が予想に反して面白かった。
自分が考えている以上に、彼と接点があった人たちに影響を与えていたことを知ることもできた。
ジャニーズ事務所の関係者たちにとって、ジャニー 喜多川さんはカリスマなのかもしれない。
今の自分に、カリスマはいない。若いころ、カリスマだと感じていた人はいただろうか。思い出せないということはいなかったのだろう、きっと。
ミーハーなので好きな人物、影響を受けている人は歴史上にも、存命している人にもそれなりにいるが。
若いころは、その中の何人かを尊敬したりもしていたが、今は尊敬している人はいない。
そもそも人は簡単に誰かを尊敬できるものなのだろうか。嫌いになったり、好きになったりすることが日常的にありふれているのと違って。
自分が最後に尊敬したのは父だったが、今はもういない。
何かとネガティブな自分でも、歳を重ねてよかったと感じていることもある。
他人へ簡単に憧れることと、盲信することが減ったことだ。
減ったことのきっかけは、結婚した経験が大きかったのではないか。
人生において、最高のギャンブルのひとつである結婚。相手への憧れと盲信がなければ普通の人だったら、そんなギャンブルに挑戦しないだろう。
なぜ人は誰かに憧れたり、着いていきたくなるのだろう? 部分的ならいざ知らず、全面的に他人を信じて受けいれるなんて自分には理解できないし、狂信的なものさえ覚えてしまう。
広告塔、アイコン、インスタグラマーなる人たちが存在できている理由が、自分には上手く理解できない。
もちろん、感性が落ちまくっているアラフィフになった自分だって誰かの影響は受けてはいるが、あくまで部分的。せいぜい、好感を抱いている人の真似事をする程度。
その人に成り代わって自分の人生を生きられる訳でもない。もし、生きられたとしても面白くもない気がする。