昨日、blogを書いた後に会社の営業から次の仕事についてのメールが届いた。二名の営業からそれぞれ一通ずつ。
そのメールに気がついたのは昨夜の就寝時。メールの内容について確認し、返信したのは先ほどだ。
昨夜、仕事に関係する夢を見た。コンピュータシステムの仕事をするために30歳の時に入社した会社のメンバーが出てきた。
このごろ、似たような仕事の夢を何度か見るが、どうしてなのだろう?
今の会社や仕事について、自分が考えている以上に心の奥底で迷っているのだろうか。
自宅待機になっているために時間だけは余裕があるまま、数日が過ぎた。
湯船に浸かりながらかなり長い時間、ぼんやりとしていた昨夕。
はじめは好きなこと、プライベートで起きたつまらないことについて考えていたが、いつの間にか仕事のことに思考が向いていた。
結果、好きなことの一部である文章を書くことや写真を撮ることが仕事と繋がっているのではないかと考えるに至った。
どんな働き方であろうともシステムエンジニアとしての仕事は、システムを作ることと完成しているシステムを維持していくことだろう。
前者であれば物作り。小説を書いたり写真を撮ったりすることと似ている。
仕事なので好きなようなものを作るのではなく、望まれているものを作らなければならないが。
写真の撮影でお金を手にしたことがある。昨年の九月から十一月までの3ヶ月間、名古屋城で観光客相手にスナップ写真を撮っていた。
社長からは怒られてばかりだったし、最初のころに自分が撮った写真があまり売れなかったことも、今となっては懐かしい。
二十代の後半、キャバクラ雑誌の編集部で文章修行をしようと決意したことがあったが、わずか一週間で挫折。
好きなこと、自己表現を仕事にする難しさを痛感した初めての経験だった。
文章を書くことは、写真を撮ることよりも自分にとっては大事なことなので、お金を得るためでも譲れないことばかりだったのだろう、きっと。
今、同じ仕事をさせてもらえることができたとしても、かつてと同じようにすぐに投げ出してしまうのではないだろうか。
どこかの国の首相みたいに。おっと、まだ投げ出してはいなかった。投げだしそうだと回りから思われているだけで。
実は世話になっている人からちょっとしたソフトを作って欲しいと言われ続けているが、プライベートではどうしてもそんな気がおきない。
システムの設計やプログラミングは仕事だからこそ、なんとか出来るほどの興味しかないことが、やっとわかってきた。
最低限の興味はあるが、仕事の成果物が自己表現とは思っていないし、とてもそう思えない。
文芸同人誌に何度か著わした小説、このblogに書いている文章や掲載している写真と違って。