午前中、覚王山日泰寺の近辺でポートレートを撮影していた。七月にも別のモデルさんを撮影したのでその地でのポートレートの撮影は二度目。
マスクをして重いカメラバッグを背負って歩いても、汗が止まらないような季節ではなくなった。
ちなみに覚王山と書いて、『かくおうざん』と読む。
名古屋で一番利用者が多い地下鉄、東山線の駅もある。
乗車していると駅名の車内アナウンスが『く』を強調しすぎるあまり、不自然に聞こえるのは自分だけなのだろうか。
自宅から車を走らせれば30分もかからないが、公共交通機関の利用だと1時間近くかかる距離。
それほど遠くはないかもしれないが、特別な理由がなければ足が遠のいている街だ。
子供のころには身内に連れられて、何度か来たことがあった。
表通りから日泰寺までの参道が子供のころの自分にとっては長く感じたが、今歩くとそれほどでもない。
参道を歩いていた人は今よりももっと多かったような気もするが、当時の自分が訪れた日はいつも縁日だったのだろうか。
人々の群れの中を歩いていたので境内まで歩くのには余計に時間がかかったはずだ。
本堂で彼岸会が行われていたが、人集りができているほどではなかった。
五平餅を売っていた屋台のおねえさんが、昨日の方が人出は多かったと話してくれた。
そういえば日泰寺の縁日は毎二十一日なので昨日だ。
二十一世紀は宗教不遇の時代と言われているくらいなので、人口減も相まって寺社仏閣に訪れる人は減っているのだろう。
覚王山日泰寺がどこの宗派にも属していないことを知ったのは、つい最近。
母方の実家の宗派は曹洞宗、父方は臨済宗でどちらも禅宗だ。
父の両親と同居していたのだが、祖母が亡くなった時に初めて実家の宗派を認識した。
祖母は寺に参ると南無妙法蓮華経と唱えていたことを覚えている。
一方、東別院に何度か自分を連れてお参りにも行っていた。
東別院で祖母が南無妙法蓮華経と唱えていても唱えていなくても、なんだかちぐはぐな気がする。
神様や仏様は器が大きいので、そんな細かいことを気にしなくてもいいのかもしれないが。
祖母だけでなく、昔の人の信仰心は意外と大雑把なものだったのかもしれない。