手洗いをする時に、石けんやハンドソープを使用する人は少数派なのだろうか。今、自分が働いている現場では少数派だ。
トイレの手洗い場には蛇口が二つあるのに、ハンドソープが一つしか置いていないことも原因かもしれないが。
元々、自分だってそれほど手洗いに気を遣っていた方ではない。子供のころは母親が、結婚してからは妻が手洗いとハンカチを常に持ち歩くように口うるさく言われ続けたことで、なんとか習慣になった。
コンタクトレンズを使用するようになったことも、手洗いに敏感になった理由でもある。
コンタクトレンズを装着している時、目にゴミなどが入ったり、ズレたりして違和感を覚えることはままある。そんな時は一度外すのだが、汚い手で触ったコンタクトレンズをまた目の中に入れるのは抵抗がある。
新型コロナウィルスで世間が騒ぎ始めるまでは用を足した後も手を洗うことは少なかったと、ある友人から聞いたことがある。
自分たちも含めたアラフィフ以上の男性たちには、そんな感覚だった人も少なくないだろう。
かつてある医療法人に勤めていたころ、法人の男性スタフとお手洗いで居合わせても、手洗いを丁寧にしていたのは少数派。
当時、雑に手洗いをしているスタッフが多いことを医療従事者へ自分が話すと、現場では常に医療用の消毒や手洗いをしているとの答えが返ってきたが、なんだかすっきりしなかった。
ある時、その法人内でノロウイルスが流行った。こともあろうに、理事長までが感染してしまった。理事長は外科医でもあった。
理事長がノロウイルスによって苦痛を味わい出すと、組織内の衛生管理の責任者でもある薬局長、薬剤部のトップを責め始めた。初老の男性薬剤師のことを。
自分よりも一回り以上も歳上のオッサンが、自己防衛の甘さを棚に上げて八つ当たりをしているようにしか見えなかった。職場の立場を利用して。
流行病の院内感染のニュースを知るたびに、自分が働いていたあの医療法人のことを思い出してしまう。
土曜日の仕事中、ある道の駅でトイレを利用しようとすると、すぐにローリー車まで戻ることになった。手洗い場には何もなかったからだ。
駅内の売店でそのことについて話すと次のように言われた。かつては用意してあったが、手洗い場が汚れること、持っていってしまうお客が多かったことなどから、無くしたことを。
そこで働くスタッフたちがどうしているのかを尋ねると、各自が家から持ってきているとのこと。何かがおかしい気がする。何もかもがおかしい気がする。
ちなみに、土曜日に利用したガソリンスタンドのトイレも、何も置かれていなかった。
こんな状況では、流行病の感染者はなかなか減らないのではないだろうか。