お昼休みが終わって自席に戻ると、机の上に小冊子が置かれていた。その冊子はカラーの写真までが印刷されている客先の社内コミュニティー紙。
会社がスポンサーになっているレーシングチームの活躍や、アスリートとして活躍する社員の戦績を褒め称えていたり、自社製品の開発秘話が美辞麗句で書き連ねてあった。
社外の人間である自分にとってははっきりいって、どうでもいい内容。ただ、その冊子を見ているフリをすれば、仕事をサボれたくらいがメリットだった。
冊子を置いてくれたと思われたプロパー社員に持って帰っていいかを尋ねた。持って帰ったとしてもゴミになるだけだが、社交辞令として。
その社員は数秒考えたのちに、思ってもいないような言葉を返してきた。社外秘になるので辞めてほしいと。
プロパー社員は社外秘の意味を理解しているのだろうか。
その冊子にはどこにも社外秘の文字はなかった。開発中の製品や経営などの投資に参考になるような情報も掲載されていなかった。
こんなものを見ても得する人がいるとは、自分には思えなかった。
その社員が席を外した時に、自分と同日から働きだしたエンジニアに話しかけた。その冊子のことについて。
とりあえず彼はキャビネットに仕舞っておくとのこと。すぐにゴミ箱に棄てようと思った自分とは大違い。
自分がゴミ箱に冊子を棄てる光景をプロパー社員の誰かが見られたら、自分への印象はよくはならないだろう。
その瞬間を見られなくても、ゴミ箱に棄てられた冊子を見つけた社員がいたら、どう思うだろう? まさか、魔女狩りまでは行われないだろうが。
プロパー社員の彼らは冊子を自宅に持ち帰るのだろうか。ひょっとしたら、彼らの家族に少しは物好きがいて、冊子の毎号を楽しみにしている人がいないとも限らない。
世の中は誰もが思っているよりも広いし、様々な価値観の人が生きているから。
プロパー社員への配布はわかるが、持ち帰ることができない社外への人たちに冊子を配るのはお互いに意味がない気がする。
メールなどで電子ファイルにしたものを見ることができるようにしてくれれば充分なのでは。仕事上、パソコンが1人に1台は使える環境なのだから。
不必要な印刷物がなかなか減っていかないのは、何故なのだろう?
ある大臣の捺印廃止についての言動が、ニュースになったことは記憶に新しい。
未だにほとんどのオフィスからファックスが無くならないのは、日本が時代に取り残されているひとつの象徴のような気がしてならない。