淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

バス通り

 実家の前の道にバス通るようになって、どれくらいが経つのだろう?
 自分が子どものころと実家付近の様子はすっかり変わってしまった。
 家の前に市バスが通るようになることを両親や一緒に住んでいた祖父母は子どもだった自分によく教えてくれていた。
 当時の実家の前は歩道こそあったものの一方通行。朝夕以外は通る車はそんなに多くはなく、それなりに道幅があったので、自宅前の道ではよく遊んだものだ。

 自分が働きはじめてから数年経ってから、やっと道が拡張された。教えてくれていた大人のうち、祖父母はもう亡くなっていた。
 敷地が道路の一部になるために土地を譲らなければならなくなったので、実家は立て替える羽目になった。

 昔の実家は平屋建ての昭和という言葉がぴったりの建物。縁側もあって、夏はそこでよくスイカを食べたものだ。
 写真を趣味にしている今の自分だったら、敷地内の至るところでシャッターを切っただろう。
 陽当たりが悪かったので、雰囲気がある写真が撮れたかもしれない。

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昨日のお散歩ショット。

 仕事が終わった後に、実家まで昨日のお土産を届けた今夕。551のシュウマイを。
 実家のあたりを車で走るとびっくりした。すっかり暗くなった中を車のヘッドライトが連なって流れていくから。
 市バスこそ見かけなかったが、その通行量はバス通りと言っても、恥ずかしくない気がした。

 通りの西は二桁の国道に繋がっている。空いていれば車だと10分ほどだが、途中に小さなショッピングモールなどもあるので休日だとそれなりに活気もあるが、バスの運行本数は少ない。一本も通らない時間帯があるくらいだから。
 しかも、走行しているバスは小型タイプ。そんなことを考えると、実家やお隣さんたちが土地を譲り渡した意味はあったのだろうかとも思ってしまう。

 古い実家には自分の部屋があったこともあり、愛着もあって居心地がよかったが、今の実家には何回訪れてもどこか落ち着かない自分。
 娘にとっては今の実家が、おばあちゃんの家なのかもしれないが。

 人はそれぞれに思い出を増やしながら生きていく。
 個人の思い出が誰かと共有できるような素敵なことが、人生には希に起こる。
 そんな経験を自分はあと、どれくらい味わえるのだろうか。
 冷え込みはじめた夜にそんなことを想った。

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今日の写真のモデルはEmiさん。