年末年始の休みの九日間はあまり人とは会わなかった。娘にも友人にも会っていないほど。
それでも、特に寂しいとか時間を持て余すようなことは全くなかった。
まだ読みたい本、自分にとって読むべき小説も何作か残っているほどだ。
内省的に過ごせたことは大きかった。
今までの人生を自分なりに棚卸しができたような気がしたし、そんな感覚を覚えたのははじめてだったから。
今までのことを振り返ってみると多く時間を費やしてきたことの中でも、今の自分にとってはあまり意味がなかったと結論付けできたことを一つ見つけることができた。
虚しいことではあったが、その気づきが有意義だったのではないか。
気づきの詳細については長くなるのでここでは書かない。気が向いたら改めて文章にするかもしれない。
自分の人生の意味や目的についても考えた。いい歳のオッサンがそんな青臭いことを考えるなんて恥ずかしいのだが。
自分なりの答えは導けた。ただ、あまりにもその答えは自分の器同様に小さなこともあって伏せておく。また、その答えに自分はもう辿り着いているということも併せて。
では、今の自分がどんな状態なのかについても続けて考えていた。
『人間五十年』とはよくできた言葉なのかもしれない。
今の状態は『おまけ』だということに行き着いた。神様からもらった、いつ終わるかわからない人生の延長戦だと。
だからこそ、不慮の事故や自分の不注意や不摂生によって体調を崩して死を早めるのはもったいない。
一方、避けようもないことで死を迎えてもいいような心持ちが大事なのではないかと。
怖がりの痛がりのくせにちょっとだけ諦観したような感覚、死生観へ繋がるようなこともちょっとだけ考えられるようになったのではないか。50歳手前にしてようやく。
これからは自分のやりたくないことははっきりと拒絶し、やりたいことだけを貪欲に追い求めていくようにしたい。
新進気鋭の占い師である母親から、自分の内面は他人のことをかなり気にする大人だと言われた。
そのことが当たっているのなら、少々子どもっぽい言動をしても、他人から見たらいたって普通の行動だったりして。