淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

宝くじにすがるしか

 午後、早退した。気怠さだけでなく、足のつま先に冷たさを感じたから。
 帰り道を少し間違えた。それでも混雑した夕方に帰宅している時よりもハンドルを握っている時間は短かった。

 帰宅してすぐに検温すると平熱だったので、そのままリビングの電気カーペットの上で横になった。録画したテレビ番組を見たり、まどろんだりしながら。
 3時間ほどまったりできたので気分転換にはなったが、まだまだ身体と頭は重いままだ。

 前の現場での仕事は在宅勤務だったこともあって、拘束時間は9:00~17:30。通勤時間も計算すると今よりも3時間以上も短かったことに気がついた。
 こなしている仕事量と受けているストレスが同じだとしても、今の現場の方が自分への負荷は高いのではないか。

 尾張の民が三河の国まで仕事のために通うようになってほぼ四ヶ月。秋が過ぎて冬が深まり、少しずつ春は近づいているが、自分の気持ちは重い日が続いている。

 入浴中に宝くじで大金が当たったことを想像してみた。今だったら本業も副業もすぐに放り出すだろう。世間から無責任と罵られたとしても。
 ただただボーとしていたい。運動不足になっても、太っても構わない。好きなだけ寝て、好きなだけ食べてだらだらとした毎日を過したい。

 だが、おそらく宝くじは買わないだろう。買わなければ当たるはずもないのに。
 お金がなる木を持っていないので、明日も明後日も薄暗い時間にベッドから出て、仕事へ向かうのだろう。

 家のローンを完済してから、働くことの意味を見いだせないまま。
 それなりには欲しいものはある。真っ先に浮かぶのは新しいカメラやレンズ。
 だが、我慢してまでは手に入れたいとは思えないのは、年老いたからなのだろうか。

 行き詰まっているような感覚を覚えるのは、流行病のことはあまり関係ない気がする。
 自分にとって働くことは他人からの承認を求めることでも、自己表現でもないことにはっきりと気がついてしまったからではないだろうか。

 自分をすり減らしながらの日々を、あとどれくらい続けなければならないのだろう?
 そんな生活から逃れるためにはやはり、宝くじにすがるしか方法はないのかもしれない。

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今日の写真のモデルはRIHOさん。