今朝、出勤時の風景が素敵だった。昨日の強かった雨と風が光と影をくっきりとさせてくれたのだろう。
通勤時に川沿いを運転していると、河川敷でカメラを持っていた男性を見かけた。こんな日にカメラを持って散歩できることが羨ましかった。
数年前までの自分だったら、そんなことは思わなかっただろう。
先日、ポートレートを撮影している時にあるモデルさんが自分へ次のようなことを口にした。
シャッターを押す場所を決めるだけでも凄いことだと。100%お世辞だったのかもしれないが、鈍感な自分は好意的に受け取った。
確かにポートレートを撮りはじめたころは、なかなか決めることが出来なかった。少しだが進歩している実感はある。
カメラを触り続けてきたことが不器用な自分にとっては大きなことだっただろうが、ポートレートを撮影する機会の選択も小さな要素ではなかったと思っている。
ポートレートを撮り始めたころは団体撮影会にしか参加していなかった。
被写体と一対一で撮影できる機会があることを知ることができたのは大きかった。
今の自分は団体撮影会でシャッターを押す頻度は減っている。
モデルさんと一対一で撮る形式の方が素敵な写真が撮れても撮れなくても、自分に対して納得できるからだ。
写真を撮るようになってからと同じように、小説を書きはじめた時もものの見方が変わったことを覚えている。
文章を読む時はもちろんのこと、他人のことを少しは観察するようになった。
情景描写が弱いことも自覚したので、意識的にトレーニングをするようにもなった。
目の前にある景色や印象に残った他のメディアの作品などをよく文章へ変換したものだ。映画、ドラマや漫画などを。
自分が好きだったある女流作家も同じようなことをデビュー前にしていたらしい。彼女が自身のエッセイにあらわしていた。
生まれ持ってのセンスや実力などは大きいだろうが、後天的な影響も少なくはないだろう。
好きなことにどれくらい熱意を持ち、考えることができるかどうかが。
飽きっぽい性格ではあるが、自分の集中力はなかなかのものではないか。
電車へ乗っている時に降りるべき駅を逃してしまったことが何度もあるからだ。漫画や本を読んでいたらその世界に没頭しすぎてしまって。
ただ、鈍感なだけなのかもしれないが。