一昨日の日曜日の撮影会に参加してから、祭りが終わった後のような気持ちになっている。
ただでさえ、自分にとっての春は気持ちが沈みがちな季節なのに。
今日は朝からほとんど陽が差さなかったので尚更だった。
自分の気持ちはどうであれ、季節はただ過ぎ去っていく。
気がつけばお彼岸がすぐそこ。
例年通りに父と祖父母が眠っている墓地にお参りには行くだろう。自分は信心深くないだろうが。
墓地を用意したのは祖父母だが、墓開きをしたのは亡くなった父だった。
その墓地に弔われている三人と一緒に生活していた自分。
祖父母たちと同居していたからだ。
そのころの実家は賑やかだった。
昭和という時代のせいもあったかもしれないし、常に誰かが在宅していたこともあっただろう。
それでも来客は多い家だったと思う。誰も訪ねて来ない日は希だった気がしている。
自分の友人はもちろんのこと、祖母、弟、母や父の知人友人などは訪ねてきたが、祖父の友人が訪ねてきた記憶は残っていない。
大正一桁産まれで職人だったことも関係しているのだろうか。
祖父のことで真っ先に思い浮かぶのは乗っていたライトバン。
左官の仕事で使う道具を乗せていたこともあり、車内は独特の匂いがした。
お酒は嗜まなかったが一時、養命酒を飲んでいたことも印象に残っている。晩年までハイライトを吸っていたことも。
ちなみに父方の血統では自分以外は全員愛煙家。また、弟以外の全員はパチンコ狂だ。
父と祖父は親子なのに共通点は少なく、煙草とパチンコを愛していたことくらいが似ていたところ。
自分と同様におしゃべりだった父とは違って祖父は口数が少ない人だった。家族で一番、口にする言葉が少なかった。
父の通夜や葬儀には参列してくれた友人がいて、泣いていた人もいた。
父と違って友人のことを自分に話してくれたことはなかった祖父。
祖母はよく戦争中のことを話してくれたが、祖父からは戦争のことを聞いたことがない。赤紙で招集されたことを自分は知っているのだが。
現場へ行く前に仕事仲間も喫茶店でコーヒーを飲むことが祖父のたのしみの一つだったことを、最近になって母から聞いた。
早起きしてまで一緒にお茶を飲みたかった仲間とはどのような人たちだったのだろう?
その喫茶店には祖父にとってのマドンナがいたりして。