つくづく自分がオッサンになったと思わされることがいくつもある今日このごろ。
アラフィフにもなると自分が若かったころと隔世の感があることがいくつもある。
その一つは映画の和高洋低。自分が10代のころの邦画はイケテないものの象徴。世の中に見捨てられたような存在だった。
一方、ハリウッドで製作されたというだけで必要以上にチヤホヤされていた映画作品は山のようにあったのではないだろうか。
へそ曲がりなくせに基本はミーハーだった自分はそんな波にしっかりと乗っかっていた。
理解できているか作品の価値がわかっているかは別にして、世間的な関心を得ている作品を観ることにこだわっていた気がするあのころ。
そんなころに映画館で鑑賞した映画で印象に残っているのは『プラトーン』。オリバー・ストーン監督の代表作。
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当時の自分は中学生。月のお小遣いは1000円。映画館の入館料と同じだった。名古屋市の真ん中まで友人二人と自転車で往復したことも思い出となっている。
自分が青かったころに映画館で鑑賞した邦画作品は多くはないがそのほとんどはアニメ。ドラえもんとジブリ作品ばかりだった。
亡くなった父親が思いつきで『魔女の宅急便』をスクリーンで見るために家族四人で映画館に行ったことを覚えている。
自分は高校生だった。友人の家で徹夜麻雀した後だったが、居眠りできなかったほどには自分の興味は惹かれた。
父、母と弟の四人で一緒に映画館で一緒に見た作品はこれだけだったのではないか。
10代のころに実写の邦画にお小遣いを使ったのはたぶん一作品だけ。その映画は『はいからさんが通る』。
南野陽子主演でアイドル映画と言っても差し支えない作品だったと今でも思う。トリビア的なこととしては阿部寛の俳優デビュー作品でもある。
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南野陽子のファンだった友人に誘われたのがきっかけだった。
それまではアイドルにはほとんど興味がなかったのに、友人の誘いにどうして応じたのかは全く覚えていない。
それでもその作品鑑賞後に主役だった彼女への好感度は上がった。CDやグッズなどを買ったことは一度もないが、今でも好意的に彼女のことを見ている。
彼女が主演を勤めた作品の時代設定は大正時代。
完全ではなかったが普通選挙が法律で定められたのもそのころ。
昨日の選挙結果を見てため息をつきたくなった。
選挙権を得るために奮闘した故人たちに申し訳ない気がしているのは自分だけなのだろうか。