自分のまわりの人たちがたいしたことはないと感じるようになったのはいつごろだったのだろう?
自分が子供ではなくなったと思えるようになったのと同じころだったような気がする。
昨夜は久しぶりに修羅場に巻き込まれた。仕事ではなくプライベートの時間に。
昨日の日曜日は所属している同人誌の集まりの日。日中は同人が書いた小説やエッセーの批評会。
怠け者の自分にしてはしっかりと全ての作品を読み込んで参加したので、それなりの意見を発言できたと思う。
作品の批評会後は二次会。以前までならいつもの店でと気安く書けたのだが、コロナ禍になってからは二次会がないことも珍しくなくなった。
自分たちが集まった店内は、昨夜も他の客が少なかった。
そのせいもあってか店は冷房が聞きすぎていたので、店員に弱めてもらったくらいだ。
冷え込んでいた店内が熱くなろうとは。同人の誰もが予想はしていなかっただろう。
乾杯後、自分が二杯目か三杯目のビールを飲んでいたころだった。
同人誌の主催者と創刊号から参加している同人が罵り合った後に、主催者が何人かの夏目漱石を置いて帰ってしまった。
口論のきっかけになったことは文学的なこととは全く関係もない些細なこと。傍からしたらくだらないことだったように思う。
80代の女性が二人、本気で喧嘩をしていた。ある意味では元気があるシニアだとも言えるかもしれない。
ただ、その場に居たときは気まずさしかなかった。
モヤモヤしたまま帰りたくなかったので途中下車して寄り道してしまったくらいに。
途中で降りた駅の改札を抜けた時は、気を紛らわすために久しぶりにガールズバーかキャバクラに行くつもりだった。
だが、途中の交差点で踵を返した。翌日の弁当のために炊飯器をセットして出かけてきたことを思いだしたから。
代わりに新しくできたエキナカにあるラーメン屋で味噌ラーメンとライスを食べた。対価は1000円。
不味くはなかったが、自分の収入を考えると少なくはない出費だった。
帰宅してからもどうしても彼女らのことを考えてしまった。弁当を作っているときも、湯船に浸かっているときも。
彼女たちの前で自分が気の利いた振る舞いが出来ていれば、昨夜の衝突は避けられたことだったかもしれない。
歳を重ねれば、いつかはきちんとした大人になれると思っていた若き日の自分。
大人になりきれない大人たち。そんな大人が集まっているから、生きづらい世の中なのだろうか。