淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

年を経て

 今夜、入浴している最中にシャワーヘッドが壊れた。前兆もなく、あっけなく。外れのものを引いていたのかもしれない。
 はっきりとは覚えてはいないが2、3年ほど前に節水タイプのものに買い換えた。
 それなりの値段だったので費用対効果には疑問を持ったが、思い切って買ってみた。結果はどうだったのだろう? 劇的に水道料金が下がってはいない気がする。

 このごろ、身の回りの物の調子が悪くなったり、壊れたりする。
 ある部屋のドアノブが壊れたし、冷蔵庫の冷凍室が開きにくくなってしまった。
 ドアノブはともかく、冷蔵庫は高価なので買い換えるのを少し躊躇っている。

 食事がほぼ自炊の自分にとって、冷蔵庫は必需品。どうせ購入するならば選びたい。
 魅力的なものであればあるほど、価格は高くなるだろう。

 そんな出費に頭を悩ませている原因は懐が寂しいこと。
 アラフィフにもなって、冷蔵庫の購入に頭を悩ませるとは思ってもいなかった。
 年収で考えると今の収入は20代のころとほとんど変わらない。物価の上昇を考慮にいれると、収入は減っているとも言える。

 はじめて社員として勤めた会社は生花の仲卸。出勤する時間は朝早かったし、連休もほとんどなくて大変だったが、今になって考えると給料はそれほど悪くなかった。
 花についての知識はともかく、働く意欲だって今と同じでほとんどなかった。

 まだまだ若かったあのころはお金よりも欲しかったものがある。それは圧倒的な才能。
 生きることは表現することと恥ずかしげもなく思っていた。まわりや自分が見つけていない才能があるかもしれない、と自惚れてもいた。
 才能があれば、お金も手にできると思っていたし。
 だが、今は違う。とにかくお金が欲しいし、自分には何もないこともはっきりと自覚した。

 特別な能力があっても、上手く使わなければお金を稼げない。
 しかも、お金を稼ぐには手間と時間も必用だ。
 才能を使って他に欲しいものを取得しようとしている間に、人生が終わってしまうことだってあるかもしれない。

 この歳になってつくづく思い知らされるのは、世の中のほとんどの物はお金で手に入るということ。
 100%お金で手に入れることができないものでも、お金に余裕があればそれを取得する手段だって増えるはず。

 この先、こんな自分の考えが変わることはあるのだろうか。

今日の写真のモデルは葉月ひらりさん。