物心をついたころに自分が住んでいた実家の東側に住んでいたお隣さんが引っ越していった。
引っ越し寸前のがらんとした平屋の家にお邪魔した記憶がうっすらと記憶に残っている。
平屋の家が取り壊されたあとには二階建ての家が建った。
新しくできた家と実家は子供の自分がカニ歩きをしてすり抜けられるほどの隙間しかなかった。
その隙間で遊んでいたある日、膝上をトタンの縁で怪我をした。今もその傷跡は残ったままだ。
そのころの実家は平屋で、新しく建ったお隣さんの家は二階建て。
実家は一気に陽当たりが悪くなった。特に台所は酷く、灯りを点けないと何もできない部屋になってしまった。
ちなみに南側は通りを隔てて小学校の三階建ての校舎が建っている。
陽が差すのは西からだけだったが、それも長くは続かなかった。
自分が小学校へ入学する前に西側の更地にも家が建ったからだ。その家は小洒落た白い二階建てだった。
そんな環境で育ったせいか、日照権を学校の授業で習った時には先生の話を真剣に聞けた気がする。
同居していた祖父母と祖母は常に仲が悪かった。昼ドラマにできるくらいに嫁姑の関係は最悪だった。
そんな2人もお隣近所とは上手くやっていたように思う。
祖母と母のおかげもあって、お隣さんと自分が会っても自然に挨拶ができるような関係だった。
そのころのお隣さんはもういない。
実家の東側は更地になっているし、西側の家は取り壊されて分割されたあとに、三軒の分譲住宅が建っている。
自宅の西隣は夏に更地になって草が生い茂っていたが、新しい家が建つようだ。
今日、地鎮祭のようで先ほど建築業者が何度目かの挨拶にきた。
先週から新築のための作業に入っている。
振動や音が凄まじくて、在宅勤務の環境としてはよくない。
隣の敷地は100坪近くに見える。200万人都市に狭くない土地を土地を買い取って、注文住宅を建てる人とはどんな人なのだろう?
こんなご時世でそんな大金を使える人はまともではない気がする。
偏見と僻み根性120%で書くが、そのお金を得るためにどんなことをしたのだろうかと勘ぐってしまう。
そんなお隣さんとはまともに付き合えない予感もする。
歳を重ねる毎により思いしらされる。世の中にはきれいなお金などないということを。