このblogを書き始めたころは本業であるシステムエンジニアのことをよく書いていた気がする。
というか、しがないIT土方としての愚痴ばかりを並べていたのではないだろうか。
そのころの自分が少し懐かしくもある。
先週の日曜日、自分が参加していた文芸同人誌の最後の集まりが終わった。
その同人誌は四半世紀前の創刊。自分が参加した年数は通算で10年には少し足りない。
自分が書いた文章が初めて掲載してもらえたのは20代後半のころだったが、そのころの記憶はぼんやりとしてきた。
その同人誌に所属している同人の一部にそそのかされたのは昨年後半だった。
自分がお役に立てればと、同人誌を新しい態勢として続けるためにお手伝いすることを決めたのだった。
他の主要メンバー二人とオンライン会議で議論を積み重ね、その結果を他のメンバーに知らせることを昨年末から続けてきたが炎上することもしばしばだった。
ちなみに同人の90%以上はシニア、大半は後期高齢者で現役世代はたったの数人だ。
人生は旅に似ているとよく例えられる。
沢木耕太郎か村上春樹が旅と人生は終わりに近づくにつれて受け取るよりも差し出す物が増えてくると書いていた。
30歳でバックパッカーをしていた時にはそのことを強く思った。
だが、人生についてはあまりそう思えなくなってきた。このごろ、自分のまわりの先輩たちを見ていると。
特に自分が所属していた同人誌の同人たちにはその傾向が強い。
彼らは自分たちが受け取ろうとするものよりも、多くのものを手放さないからだ。
自分たちはお金も手間もかけようとしないのに、欲するものが多いように見える。
世間体などを必要以上に気にすることも理解できないし、腹立たしい。
20代のころに参加したころも他の同人は年配者ばかりだったが、もう少し大人に見えたのは何だったのだろう?
自分が子供だったのか、それとも見誤っていただけなのだろうか。
口を出すなら金を出せ、と自分の母親はよく口にしている。
確かに口やかましい母親ではあるが、金払いは悪い方ではない。
同人の彼らの年齢は自分よりも母親にずっと近いのに、口だけ出してくることばかりなのが悩ましい。
これからの同人誌のお手伝いを投げ出すことも考えはじめている。
もともと、自分は我慢強い方ではないし。