今日の夕方、娘が母親のところへ帰っていった。
先週の水曜日に家出をしてきてからの八日間。娘との二人暮らしのことは、上手く言葉にできない。
娘と過ごしている間は、それまで自分が感じていたストレスのほとんどのことを忘れてしまっていたし、娘が居なくなった今は自分がしんどく感じていたほとんどのことがちっぽけに思えている。
この八日間で娘に対して強く思ったことは二つ。
自分が思っていた以上にタフな環境で娘が暮らしていること。
そして、親やまわりの大人たちのことを信用していないことだ。もちろん、その中に自分も含まれている。
正直、ショックだったが自分の胸に手を当てて考えれば仕方がないことだろう。親が自分たちの都合で別れたのだから。
娘が通っている中学は地元で有名なお嬢様私立。母親が私立受験を勧めたこともあるが、それ以外の理由も娘にはあったようだ。
娘の従妹は全員が年上。そんな彼女らは、そろいもそろって誰もが知っているような有名校に通っている。その事実が今でも娘にはプレッシャーのようだ。
地元の公立中学に通った自分が、そんな娘の気持ちを理解するのは難しい。
久しぶりに会った娘は、よく愛想笑いをするようになった。そのことに気がついたときには寂しかったし、切なかった。
娘がそんな風に笑うようになったのは自分のせいでもあると悟ったからだ。
今日、娘をたしなめている最中に、次のようなことを言われた。
ある大人から怒らないし、誰にも言わないからと言われて話したことが母親に筒抜けだったこと。そのことで母親から強く怒られたことに強いショックを受けたようだ。
よくある話と言えなくはないのかもしれないが、出来損ないの父親である自分には強く刺さった。
ここ数年、特にコロナ禍を過ぎてから感じていることがある。
ミレニアム世代やZ世代たちから自分たち大人が見透かされているような感覚をどうしても拭えない。
しかも、怖いのは自分よりも年上の人間たちがそのことに全く鈍感な気がするからだ。
インターネットはともかく、スマホを使いこなすのもごく当然の彼らから見ればオッサン、オバサン、ジジイやババアたちが口にするもっともらしい大人の理屈や道理は通じないだろう。
今の若者や子供たちは、一瞬にして多くの情報を集めて精査する日々を過ごしているのだから。
自分たち大人の都合のよい見栄や嘘は簡単に露見してしまう。
せめてこれからは、娘の前だけでも正直に生きたい。