今年も春があっという間に過ぎていく。桜が咲いたと思っていたら、四月も後半になっていた。
仕事で新しいことへの挑戦が始まる日も近づいている。水曜日には東京に移動して木曜日からはフリーランスとしての実作業をしている、はずだ。
娘は進級して中学二年生。
彼女の家出があってから会う機会が増えている。
クラス替えもあったので、新しい人間関係に緊張しているようだ。
新学期になったある日。学校内のトイレの個室に入っていたらその前で自分の悪口を言われていたので、出るに出られなかった話を聞いた。
女子校はやっぱり、人間関係が大変そうだ。
自分だって、高校三年生の時だけ男子クラスだったがしんどかった。
先週の木曜日、小学校からの友人と自宅から最寄りの焼鳥屋で呑んだ。
久しぶりに友人がご馳走してくれたのは嬉しかった。自分の新しい出発を祝してとのことだったようだ。
その晩、酔った最後に二人で話したことが印象に残っている。
友人も客先に常駐して仕事をしている。
ただ、自分とは業種は違うし、自社内では順調に出世中。稼ぎも自分とは比べものにはならない。
そんな彼は最近、上司から次のようなことを言われたらしい。もっと、多くの客先や現場を経験して欲しいと。
友人はできるだけ同じ現場に居たいようなのだが、自分はどうかと聞かれた。
自分は彼とは逆の意見。一つの現場には長く居たくない。
一番の理由は仕事やお金を介した場で知り合った人間関係は信用できないので、深入りしたくないからだ。
何度も虚しさや寂しさを覚えてきた経験上、業種や会社などはあまり関係ないように自分は思う。
自分の言葉は友人にどのように伝わったのだろう。
酔っていたせいで覚えていない可能性も少なくないだろうが、それはそれでいい。
気取らず、格好をつけなくても付き合える間柄なのだから。
友人と別れて入浴している時のこと。
酒に酔っていると、希によい考えが浮かぶことがあるような気がするのは自分だけだろうか。その時もそうだった気がする。
湯船に浸かっていると、いつの間にかぼんやりと考えていた。ポートレートを撮らせてもらっているモデルと自分との関係性のことを。
ポートレートを撮っている人とモデルの関係性には相互に無償な場合もあるようだ。
そのような関係性にあまりメリットがあるとは思えなかった。
だが、気がついた。モデルがお金を受け取っていなければ写真に対しての本音を口にしやすいような気がしてきたからだ。
そうなれば、もっとよい写真が撮れるかもしれない。
メイクやファッションなどにはお金がかかるのはわかる。
また、撮影をお願いする側がある程度の負担をすることも。
ただ、そんなある程度の負担はどれくらいが適当なのかが、気になりはじめた。
ちなみに、今までに自分がフリーのモデルに支払ったことがある謝礼金額は1時間につき、2500円~7,000円。わりと幅がある。大抵の場合は交通費や貸衣装のレンタル代なども別だ。
撮れた写真の自分の満足度は、謝礼金額とは必ずしも比例していない。撮影会の参加料金も。