今日というか日付が変わったので昨日、女性に宛てた手紙を認めた。封書での手紙を三通。宛名書きから全てを手書きしたので疲れた。一人も特別な感情を持てる相手ではなかったのに。
理由があったので葉書ではなく封書を選んだ。集合写真を送りたかったからだ。
封書に入れた写真は、自分が所属している同人誌の主催が年初にその立場から退いた日に、同人皆で撮ったものだった。
写真はデジタルで全て完結するものだと自分は考えている。
同人の一部、特にオバアチャンたちは違ったようだ。彼女たちはプリントして飾るものだと言った。
彼女たちは写真をどこに飾るのだろう? 皆、そんなに広い家に住んでいるのだろうか。
娘にもらったボールペンを使って汚い字で宛名を書き、便箋に文章を綴っているときにふと思った。
二十歳前後のころに手紙を書いた女性のことを。相手は同じ高校の同級生の女性だった。
彼女は自分と同じ部活で放送部員。部内でも同じ活動グループだった。
文化部だったが活動は活発だった。放課後はもちろんのこと日曜日や長期休暇中も部のためだけに登校したことも多かった。
部顧問の教師もさぞかし大変だっただろう。
そんな、彼女とひょんなことから手紙をやりとりすることになった。そのやりとりは、文通と言っても差し支えないものだったのではないか。
互いの文面には青っぽくて酸っぱくなるような言葉が並んでいた気もする。
当時の彼女は東京の大学に進学していたが、自分は中途半端なフリーター。
そんな自分に丁寧に手紙を書いてくれた彼女の優しさは何だったのだろうと、今になって思う。
だが、その文通は突然に終わった。彼女の父親から送られてきた葉書によって。葉書には彼女の母親の訃報が記されてあった。
彼女に何かを書かなければいけないと思っていたのだが、何も書けないままに時間が過ぎてしまった。
高校生のころに放送部のメンバーと彼女の家に遊びに行ったことがあった。
その時には母親がカレーライスとサラダを作ってもてなしてくれたことを覚えている。
先月、講師の仕事で東京に滞在していたときのこと。乗換えのために町田駅を利用した。
他にもルートの選択はいくつかあったのだが、町田駅に立ち寄りたかったからだ。
自分は知らなかった町田駅に大学生のころの彼女は住んでいた。
自分にとって、はじめての町田はなんてこともない街だった。
そんな風にしか感じることができなかったのは、自分がオッサンになったということなのかもしれない。
青い日々は確実に遠くなっている。