他人との価値観で戸惑うことのほとんどは、お金と時間に集約されていることに気がついた。
アラフィフで気がついたことは凄いことなのかもしれないし、遅すぎるのかもしれない。
自分の時間やお金をどう扱おうがその人の自由だが、他人のものを雑に扱っているのを見たり、感じたりするのがどうやら許せない質のようだ。
その当事者が自分だったら目も当てられないが、そんなことも少なくなかった。
大きな話かもしれないが、ふるさと納税について。
このシステムを使って節約に勤しんでいる人を見ると距離を置きたくなる。特にその相手が子供を持っていると。
この制度が採用された時の意図や理念はすっかりおざなりになってしまって、一部の組織や個人が小金に群がっているイメージしか沸かない。
もしも娘に節税と脱税の境界を聞かれたら、自分は説明できない気がする。
今年の春先、昔からのある友人と近所の居酒屋でグラスをかたむけたある夜のこと。
彼の友人の息子があるBarで見習いをしているので、今度一緒に行かないかと誘われた。
ガールズBarだけでなく、割と硬派なBarに行くのも自分が嫌いではないことを付合いが長いこともあって、友人は知っていたからだ。
相変わらずにハイボールにはまっている。
自宅でいろいろなウイスキーをソーダで割って楽しむ夜は少なくない。
居酒屋ではハイボールを注文したことはあったが、Barでは飲んだことがないことに気がついた。
見習いで下働きをするような人がいるようなBarならば、自分が飲み慣れているようなリーズナブルなウイスキーでもびっくりするような味わいがあるかもと、楽しみになっていた。
その友人は家族持ちで一男一女の父。
二人の子は小学生だから気楽に家を開けられないとは考えて気長に誘いを待っていたが梅雨に入り、八月になっても連絡はなかった。
先日、こちらから連絡してみたら自身が口にしたことは覚えていたようだが、こちらが気にして待っていたとは思ってもみないようだった。
しかも、あまり悪びれる様子もなく、八月の週末は全て予定が入っていて空いていないと言われる始末。
正直、全くいい気分はしなかったし、今後は彼からの誘いは気にしないようにしようと今は少なくとも思っている。
ちなみに、先日の夜に別の友人とBarで飲んだハイボールは格別だった。
飲みすぎて、買ったばかりの本と洗濯用洗剤をどこかに忘れてきてしまった。
自分の忘れ物を見つけた人はどう思うのだろう。ムック本と洗剤という、なかなか見慣れない取り合わせを見て。