淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

雨の24日

 普段の平日よりも少しだけ早く起きると雨が降っていた今朝。夕立のような騒がしい感じではなく、しっとりとした感じの雨だった。
 お盆を過ぎると秋の兆しを意識してしまう。
 簡単に朝食を済ませると襟付きのシャツとジーンズに着替えて車で実家に向かった。

 毎年8月24日は我が家が檀家になっている寺の盆施餓鬼だからだ。
 8月と12月の24日は自分にとって少しだけ意味を持っているが、意識するようになってから雨が降った記憶はない。
 クリスマスイブに雪がちらついた日があったことは覚えているけれど。

 実家の前に差しかかったので車を入れようとするとバックミラーに母親と女の子が映った。
 彼女たちは実家のお隣さんだが、自分が見かけたのははじめて。
 挨拶をすると実家の南側に建っている小学校に通っていると話してくれた彼女たち。自分は先輩だと答えた。
 今日は夏休みの登校日だったのだろうか。

 自分が物心をついてから両隣の住人は何度も入れ替わって、今の東隣は更地。
 自分が子供だったころのお隣さんには多少の思い入れがあるが、今はほとんど感情を持てない。

 盆施餓鬼は同居していた祖母が亡くなってからの恒例の法事だが、雨天だったのははじめてのような気がする。
 一緒にお参りした母も同じようなことを自分に話したので、確度は高いのだろう。

 雨だったこともあるのかもしれないけれど、昨年以上にお寺の中は空いていた。
 檀家だけでなく、読経していた僧も少なかった。
 亡くなった父親が参加していた時はもっと賑やかだったし、喪服を着ている人も多かった気がする。

 形式的なことに囚われ過ぎるのはよくないけれど、形式を完全に軽視する最近の風潮もどうかとは思う。
 近い将来、法事どころか法事という言葉自体が世の中から消える日も遠くないかもしれない。

 今年の自分は例年以上に施餓鬼に興味が持てた。
 読経中に僧侶が叩いている木魚の位置が一定でないことが面白かったし、代替わりした住職の所作がきれいでないことなどなど。
 いろいろなことを見ていると自分たちの順番が回ってくるのは早かった。

 盆施餓鬼に参加していた人の中では数番目に若かった自分。
 仕事を理由にして施餓鬼に参加しないことがほとんどな弟は現在っぽいのだろう、きっと。

今日の写真のモデルは結月そらさん。