アラフィフになったせいか、柔軟性がなくなってきたと思い知らされることが増えてきた。
それでも、若いころよりは今の方がマシだと自分で自分のことを思っている。
何の努力や工夫もしていなかったのに何者かに成れると自惚れていた10代。
世の中がわかりはじめたせいで、いじけるか投げやりな日々を過ごしていた20代。
結婚はしたものの何かと戸惑ってばかりだった30代。
40代になったばかりのころは、歳だけ重ねてしまったことに幻滅することが多かったけれど、40代後半になると少しずついろいろなものが吹っ切れてきた。
若い女性には相手にされないかもしれないけれど*1、50代の今の方が若いときの自分よりは好き。
2年前に妻に離婚を切り出された二、三日こそ落ち込んでいたけれど、今では再びの独身を楽しんでいる。
一昨日の土曜日の夜、久しぶりに友人の友人に再会した。年齢は自分よりも一歳上の男性に。
彼と最後に会ったのはいつだったかは覚えていないが、このblogを書き出す前であったから5年以上前なのは確かだろう。
自宅に招いて庭先でバーベキューをしたことがあったのだが、彼はその記憶がうろおぼえだった。
こちらから挨拶したら、彼は自分のことをすぐに思い出せないでいた。
彼にとっての自分は印象が薄かったのだろうか。自分の中で彼は印象的だったのに。
彼と再会した夜は一緒にあるライブを鑑賞して、その後は一緒に食事をしてお酒を嗜んだ。
向き合って座っていても共有できる思い出はほとんどないこともあって会話が弾んだとは言えなかったが、それはそれで仕方がない。
自分の中で彼がほとんど変わっていないように感じたことの方がずっと気になった。
外見は髪こそ真っ白になり初老の落ち着きを醸し出していたが、話していると驚くほどに変化を感じなかった。
自分と出会った時と同じように妻と一男一女の家族四人で平和に暮らしているようだ。
収入は自分なんかよりもはるかに多いようだが、どことなく彼からは余裕を感じられなかったのはなぜだろう。
以前、何度か会ってグラスを傾けた時は仕事のことばかりを口にしていた彼。
しかも、あまりにも自分目線だったこともあって聞いていて楽しくなかったことが記憶に残っている。
彼のカラオケも聞いたことがあったが、選んだ曲が気になった。
というか、彼とカラオケを聞いたころから、自分はヒトカラにはまりはじめたような気がする。
そういう意味では彼は自分を変えてくれるきっかけを作ってくれた恩人であるのかもしれない。
It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.
- Charles Darwin –
*1:甲斐性があればモテるのかもしれないけれど