昨夜、寝室に入ると高校時代のことを思い出した。英語の教師から体罰を受けたことを。
寝る前に、しかもクリスマスイブに、なぜかそんなことを思い出してしまった。
高校時代の自分は正直、真面目とは言えない生徒だった。酒と煙草こそ常習はしていなかったが、麻雀ばかりかパチンコ大好きな高校生だった。
三年生になって部活を引退すると学校へ通う目的がなくなってしまったせいか、よくズル休みをしていたことが懐かしい。
停学処分を受けたこともあったが、どれくらいの割合で高校生は経験するのだろう?
振り返ると自主退学まで紙一重だった気がする。
自分に対して暴力を振るった教師は何人もいたが、クリスマスイブに思い出したのは一年生の時の英語の教科担任。その教師は初老の男性だった。
授業態度が悪いからと、休憩時間に職員室に呼び出して正座させられただけでなく、座っていた自分の背中に蹴りを入れたのだ。
自分の態度は誉められたものではなかったのかもしれないけれど、蹴るほどではなかったのではと今でも思う。
人が人に対しての暴力を正当化できる理由を今の自分は知らない。
教師から受けた体罰を自分以上に憤慨したのは亡くなった父だった。その時は学校に乗り込みに行きそうなくらいに怒りを露わにしていた。
普段は家族に怒りを見せることは珍しかったが、人が人に暴力を振るうことを軽蔑していた。
そんな人だったから、自分に対して暴力を振るったことは一度もなかった。
そんな父を見てきたことが大きいのだろう。
娘はもちろんのこと、別れた妻やガールフレンドにだって手を出すことなく今まで過ごしてきたが、自分にとってはごく当前のこと。
父が暴力を強く蔑んでいた理由が最近になってなんとなくわかってきた気がする。
昭和十八年に産まれた父。物心をついたときは祖父祖母や兄弟たちと名古屋市北区の下町に住んでいたと聞いている。
空襲は珍しくなくて、最終的にはその被害で住居は焼けてしまったらしい。
幼いころに残った戦争の影響が、父の人となりに大きく影響を与えたのだろう。
人が人を力で支配することだけでなく大きな暴力である戦争も憎んでいた父。普段から国際情勢に対しても敏感だった。
そんな父とよく会話していたこともあってか、子供のころから政治的なことに対して関心があった変な子供だった自分。外見だけでなく言動もオッサンじみていた子供だった。
正真正銘なオッサンになってしまった自分がクリスマスに思うこと。
楽しいことばかりではないけれど、他人からの暴力で脅かされることなく静かな夜を過ごせている。
できれば、そんな時間を世界中の人々が共有できるように願いたい。今が無理でも、少しでも早く。
唐突に素面で青臭いことを綴ったのかもしれないけれど、これくらいのことは書いても許される気がしている。クリスマスの夜だから。