今年は三連休が多いのだそうだ。
今月の二回目の三連休もそろそろ終わり。
夕食を食べたこともあってか眠くなってきた。
朝寝ばかりか昼寝も満喫した一日だったのに、もう睡魔が襲ってきた。
昨日は年甲斐もなく早朝から深夜まで動き回っていたからなのだろうか。
昨朝は5時過ぎに起床。
コンタクトレンズを装着し、前夜に作り置きしておいたおにぎりをラップで包んだ。出かけるための準備は万端。
自分がコンタクトレンズを使用するのはカメラで写真を撮るときか、雪遊びをするときくらい。
眼鏡をかけてカメラのファインダーをのぞくのは、どうも気になる。
雪遊びのときは眼鏡をかけていると何かと都合が悪いからだ。
コンタクトレンズに比べると眼鏡は視野がせまいし、使用できるゴーグルも限られてしまう。
気象条件によっては曇ってしまう眼鏡。コンタクトレンズにはそんなことが起きないのもメリットだ。
5時半を過ぎると友人の車が到着。友人の家族と一緒に雪遊びに行く約束をしていたからだ。
その友人とは小学校から高校まで一緒で、昔からお互いの家族のことも知っている仲だ。
そんな昔からの友人と久しぶりに会って助手席に座っていると、苦言を呈されてしまった。運転に気が散るので静かにして欲しいとのことだった。
眠いのか疲れているのか、それとも両方なのかはわからなかったけれど、友人のテンションは明らかに低かったのは何故だろう。
朝はテンションが低いからと言っていたが、修学旅行なども含めて何度も外泊したことがあったのに、そんなに朝が苦手だとは思っていなかった。
歳とともに友人は朝に弱くなってきたのかもしれない。加齢による身体の変化は誰にでも訪れるものだから。多いか少ないかはあるだろうが。
友人たちと向かった先はきそふくしまスキー場。スキーヤーオンリーのこのゲレンデに訪れたのは5年ぶり。
スノーボードも楽しみたいので自分一人の場合は選択肢からはずれることが増えているからだろう。
今回、このゲレンデを選んだのは友人の子供たちが他のゲレンデを嫌がっているからだった。
父親に似て保守的なところあるのかもしれない。
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ゲレンデにはリフト運行前に到着。
着替えてからの数本は、自分一人で滑らせてもらった。
先週襲った季節外れの暖かかった雨のダメージは思っていたよりも少なかった。
コース幅や雪が薄かった箇所はあったが、コース最上部からベースまで滑ることはできた。
久しぶりのゲレンデで雲海やダイヤモンドダストを見ることができたのはラッキーだった。
運転してもらったのは楽だったけれど、小言を言われたこともあって、誰かと一緒にいるのはどこかで窮屈を感じていた。
一人で好きなようにゲレンデを滑走するのは爽快だった。味わえた小さな自由。
一通りコースを楽しむとベースまで降りて友人たちと合流。その後は友人の一男一女とも一緒に滑った。
滑り出した時に友人はゲレンデコンディションを気にしていたが、そんな中でも子供たちの成長を感じた。
誰一人、怪我をすることがなかったのもよかった。
昨日は14時過ぎにゲレンデを上がったが、それには理由があった。友人と自分は高校時代の友人たちとの新年会への参加の予定があったからだ。
逆にその参加の予定があったからこそ、昨日は一緒にゲレンデに行くことにもなった。
三連休の中日だったが、行きと同様に帰りも酷い渋滞に巻き込まれることなく帰宅。
友人の車から降りて感じたのは気温。ゲレンデに比べると夕方でも名古屋は暖かだった。
18時半の開宴には間に合ったが、シャワーや入浴して汗を流す時間はなかった。
雑に荷物を片づけてから、コンタクトレンズを外して駅へ歩いていると途中で友人と合流した。
少し眠そうではあったが、朝に比べると友人のテンションは低くはなかった。
新年会の会場からの最寄りの駅は、あまり利用したことがない駅。
改札口が何処にあるかもおぼろげだったが、友人も自分と似たようなものだったらしく、来た電車に対してはあまり思案せずに乗車した。
新年会の会場には開宴の数分前に着。自分と友人が最後だったらしい。
誰一人として遅刻しなかったことが、一緒に通っていた高校の校風を表わしていたような気もする。管理教育で有名だった学校がこんな所にも影響したのかもしれない。
このメンバーでの集まりはコロナ後になってはじめて。
互いに何かと変化はあったのだろうが、グラスを傾けて近況などを話していても変わったことはなかったような気がした。ただただ、平和な夜だった。
朝も早かったし、一日中他人と一緒に居ることに張り詰めていたこともあったのだろう。すぐに酔いがまわってきた。
二次会はなく、お開きになったあとは幹事をしてくれた友人の奥さんが送ってくれたのもうれしかった。
彼女に送ってもらったのは、昨日で何回目になったのだろう。
お酒のせいで記憶は曖昧だけれど、車中では皆同様にはしゃいでいたことだけはなんとなく覚えている。
来年も同じように新年会が催されて、自分にも声がかけられて、誰一人として欠けることなく、また集まれるようにと、なんとなく思った。
ちょっとした幸せを味わえた、ちょっぴり素敵な夜だった。