10年ほど昔の話。
四月のはじめに父は亡くなった。
死因は膵臓癌で、主治医からは桜の花を見ることができないかもしれないと言われていたが、現実になった。
父の葬儀は気持ちのよい日だった。
喪主だった自分は霊柩車の助手席から見た景色に春を感じたのを覚えている。
やるせない気持ちを抱いていた自分と違って、まわりはあまりにも平和に見えた。
霊柩車の行き先は名古屋市南東部にある火葬場だった。
火葬場からの帰りは親族たちと一緒だったはずなのに、その記憶はあやふやだ。
マイクロバスかタクシーのどちらに乗ったのかもはっきりとは覚えていない。
今年は春の彼岸も父の命日にも墓参りをしなかった。
特に理由はないけれど、あえて言い訳するならば彼岸のころは仕事に追われていたからだ。
だが、亡くなった父のことを忘れてはいるわけではないし、ふといろいろな場面で様々なことを思い出す。
先日、かつてある商社でトップだったというセールスマンの話を動画で見た。
動画内でそのセールスマンは次のように話していた。営業成績を残すためには客に対して高いけれど買ってくれと言えるかどうかだと。
そのセールスマンの印象が強く残っていたのだろうか、あまり安くないものを父に買ってもらおうとした記憶を思い出した。
20年前の自分は宅配便のセールスドライバーだった。
今よりも浅はかだった30歳の自分は深く考えることなく、物流業界に飛び込んだ。
セールスドライバーには配達と集荷以外にも仕事があった。その中でもキツかったのは営業。
定期的に会社は営業キャンペーンを催し、キャンペーンに沿ったノルマが課せられた。
新規荷主や代引きを利用する荷主の獲得。変わったところでは既存荷主にデジタル伝票の導入を促すなんてものもあった。
入社してしばらくは荷物を持ってうろうろするだけで疲れ果てて毎日が過ぎていった。
余裕なんて全くなかったので、営業の成果はほとんど出せなかったが一年ほどすると、それなりに成果を出して営業所内で表彰されたこともあった。
表彰された時に受け取った賞品は500円のクオカード。
たまたま、表彰基準の二倍の成績だったので賞品も倍だったが、それでもたった1000円の金券だ。
あんなに大きな会社なのにしらけてしまう話だ。
キャンペーンで意外とキツかったのは物販。
今は知らないが自分が在籍した当時、セールスドライバーはいろいろなものを販売していた。売れ筋は梅干し、牛丼の具やラーメンだったが、他にも様々なものを扱っていた。
閑散期の時には物販の販促キャンペーンがあったのだが、自分は苦戦した。
新規荷主の獲得などは、配達時などに相手と普通に会話していれば自然と話が広がって困ることが自分はなかった(強いていうならば印紙代を客にごねられるくらいで)。
物販のキャンペーンで困っていた自分は父に泣きついた。取り扱っている品の中にコピー用紙があったからだ。
父はフリーのメカニカルエンジニアで仕事場には複合コピー機が置かれていて、日常的にコピー用紙を消費していたからだ。
だが、あっさりと購入は断られた。父が利用していたコピー用紙の方が安かったのが理由だ。
父の言葉を聞いた自分はきょとんとしていたように思う。
どちらかと言うと好感を抱くことが多かった父にそんな対応を取られるとは思っていなかったからだ。
そのときのことを改めて考えた。他に父の真意があったのだろうかと。
だが、深い理由があったとはやっぱり思えない。
タイミングが違っていたら、父の判断は変わっていたような気もする。
ちなみに占い師になった母のプロとしての見立てによると、父は子供っぽいとのこと。
また、マザコンなくせに父にとっての自分は運命の人だったと少しも照れずに言ってのけた。(女は怖い。)
だが、母にとっての父は運命の人ではなかったらしい。あくまで母の占術の見立てによるようだが。
逆に自分はマザコンではなくて大人びた人間とのこと。大人びた≒老けているということならば、なんとなくわかる気もする。子供のころからオッサンっぽいとよく言われてきたから。
あと、仕事の星が自分にはなくて働くこと自体が向いていないらしいが、父や弟は仕事人間とのこと。
大人びてはいるが、勤労意欲がないってどういうことなのだろう。ちょっと気になる。