先日の憲法記念日のこと。ある東京の撮影会に参加してポートレートを撮るはずだったが、その予定は流れてしまった。
理由は撮影会に所属しているモデルの突然のキャンセル。
撮影会からのメールによると、そのモデルは二回連続でのやらかし。よって会から除名するとのこと。
だが、そんなことは自分にとってはどうでもいいこと。
撮影会が所属モデルの管理に甘さを感じているかもしれないが、モデルをどのように処しようとそちら側の勝手だ。
それよりも、モデルのドタキャンのせいで嫌な気分を味わっている自分に対して、どうように償うかを考えてくれた方が前向きだったのではないか。
撮影会の多くは、参加者側が直近でキャンセルするとキャンセル料が発生するのに、撮影会側の都合で参加者が撮影できなくなった場合は金銭的な償いがされないことがほとんど。フェアではない気がする。
ちなみにその撮影会の規模は小さくなく、東名阪の地域でそれぞれ活動している。
それぞれの地域で自分はドタキャンされた被害者だ。
同じ系列の撮影会で三回以上も相手都合でキャンセルされているので、今回ばかりは自分も呆れ果てている。
自分の中でこの撮影会のブランドイメージは急降下。もう、上昇することはないような気もする。
一応、代わりのモデルを提案されたが受け入れることができなかった。
趣味で楽しんでいるとはいえ、ポートレートはモデルあってのもの。
ロケ地やシチュエーションの変更はまだ受け入れ可能だが、その時に撮りたいと思っていたモデルに代打を立てられても自分は承認できない。
『ポートレート界隈』という言葉がゴールデンウイーク前くらいから、SNSで盛り上がっていた。
どちらかというと、その盛り上がり方はよいものでなかったのではないか。
というか、ポートレート撮影を趣味にしているとはいえ、自分の中ではどこかで何かが引っかかったままだ。
飽きっぽい性格のせいもあり、今までいくつかの趣味を嗜んできた自分。
スキーやスノーボードはともかく、人からはなかなか理解されにくい趣味にも熱中してきた。
人に小説を書いていることを話したら、明らかに変な顔をされたこともあった。
だが、それらの趣味の中でもポートレートを撮ること。アラフィフのオッサンである自分が若い女性の写真を撮っていることはよい目で見られないことは多々あるし、世間が自分をそのように見るのもある程度は理解ができる。
自分だってポートレートをはじめる前だったら、他のオッサンがカメラを持って若い女性を追っかけているのを目にしたら、見ないふりをしたかもしれない。
そんなこともあって、他人から趣味を聞かれてもポートレートと答えることは少ない。
さして仲良くもない人に趣味を聞くのはあくまで社交辞令。スキーとスノボと答えておくのが無難だろう。
ポートレートは続けているものの撮影会に参加する回数は減ってきた。
フリーのモデルたちと直接交渉して、撮影させてもらうことが増えてきたからだ。
その方が撮影場所や日時なども自由が効くし、テーマだってより掘り下げることができるからだ。
自分の印象ではポートレートの撮影を楽しんでいる人は減っている。
労働者の実質賃金は下がり続けているので、お小遣いが減っている人の方が多いはずなので当前だろう。
趣味の中でもお金がかかるポートレートを楽しめる人は限られているはずだから。
それでも撮影会の数は、あまり減っているようには思えない。
少なくとも自分の地元、愛知県では逆に増えている印象すらあるが、某TOYOTA自動車による影響が少なくないのかもしれない。少ししゃくではあるけれど。
このごろ改めてよく思う。撮影会ってなんだろう?
写真に撮られたいモデルとモデルを撮りたい参加者をマッチングする機会を提供しているのはわかる。
けれど、それ以外のもの。それ以上のものは提供できていない気がする。それなりに高い参加費を支払っている割には。
このままだと、ポートレート界隈に新しく足を踏み入れる人が増えていかないのではないか。
界隈から去る人がいるのに、来る人がいなければ寂れてしまうのは必須。
結果として撮影会を利用する人は減り続け、会自体の存続は危うくなっていくのではないかと自分は考える。
その辺りのことを撮影会の主催者や運営の中心の近い場所に居る人たちにはもっと考えてもらいたいと思えてならない。
勝手な立場で厳しいことを書いているのかもしれないが、それもポートレート界隈のことを思ってのこと。
ポートレートを撮ることよりも、パチンコやパチスロなどのギャンブルを趣味と口にする方が、なんとなくはばかられない今の世の中。
そんな世の中を少しでも変えたいと自分なりに思っている。
数は力。ポートレートの愛好者が増えれば少しは世間の見る目が変わっていくはずだと自分は考えている。