淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

オーバーペース?

 先週の土日は両方とも副業先で出勤したので、今日で13連勤だ。そのせいだけでは無いと思うが、最近疲れがたまってきている。

 今日突然、社長と面談することになったのだが何も心当たりがなかったので心配していたら、逆に社長がマスヲの体調のことを気にしてくれていたのが突然の面談が行われた趣旨だった。
 目を見ただけで疲れているのがわかる、と言われてしまった。
 もう少し元気がありそうだったら、お酒を飲むことも考えていたそうだが、今日のマスヲはあまりにも疲れているようだったので、次回にラウンジに連れて行ってくれるそうだ。
 また、来月からの仕事の予定を少し考慮することを考えてくれそうな雰囲気だったので、少しほっとしている。

 マスヲは23歳までフリーターだったが、その当時は月に29日以上働いていたことなんてざらだった。
 最高で3つのバイト先を掛け持ちしたことがあったので、
半日休みがあるだけでも当時は嬉しかったし充分にリフレッシュできていたと思う。

 では何故そんなに働いていたかと言うと、断れない男だったからだ。
 実際、いくつものバイト先で誰かが突然休んだ時もピンチヒッターでの依頼をよく受けたし、3つ目のバイトを掛け持ちするときもそうだった。
 マスヲは当時マクドナルドでバイトしていたのだが、仲が良かったとこちらが思っていた社員が別の飲食チェーン店に転職したあとに連絡してきた。
 店を新規にオープンすることになったが人手が足りないので手伝って欲しい、と。

 そのお店はマスヲの家からは車で30分以上かかる距離だったので断ろうとすると同じマクドナルドで働いていた友人から、俺も手伝うから一緒に手伝ってよろうと強く促されたので、結局手伝う羽目になった。

 友人はフリーターではなく大学生だったことと、マスヲより自宅から遠かったこと、それから当時は彼に彼女がいたことなどが原因だと思うが、手伝った時間はマスヲのほうが期間と労働時間は数倍になった。
 変な話だが、手伝ったマクドナルドの社員と手伝うことを促した友人とは15年以上は会っていないし、そのうちのひとりは音信普通だ。
 彼のことを思うと少しさびしい。

60日間、約2か月の間ブログを書き続けてよかったこと

 書きはじめたころは桜を記事で扱っていたが、マスヲが住む地方も昨日梅雨入りが発表された。季節の移り変わりをblogに書いていることを自覚するだけでもほんの少し感慨深い。

 blogを書きはじめてよかったことよりデメリットを先に書こうと思う。1番は時間がかかってしまうことだ。
 当初は文章を書くことの楽しさを思い出せたらという気軽な気持ちではじめたが、次第に自分なりのこだわりが出てきてしまい、今では自分なりの下書きフォーマットを作成して、そのフォーマットの倍数分に収まるように書くようにしている。
 基本的には原稿用紙にすると3枚単位ずつで書くようにしているので、決めてからは原稿用紙3枚、6枚か9枚に収まるように構成しているので余計に時間がかかる。
 時間にすると早い時だと30分ほどだが、長い時だと3時間以上かかってしまったときがある。
 このとき違う内容の記事を6枚と9枚で書き、土壇場までどちらにするか推敲もしながら、どちらの記事を選択するか悩んでいたためだ。

 よかったことの1番目はblogを書くことで文章の書く楽しみを思い出したことで、小説をまた書きはじめたことだろう。
 blogはノンフィクションなので書いているときに時々調べたり確認したりすることが面倒になるときがあるのだが、そんなときはフィクションだったらと思うことが増えてきた。
 小説を書きはじめたからといって完成するかは別問題だと思うが、少しずつ書き進めているがblogの記述に時間が取られてしまっているジレンマもある。

 2番目はアドレスを紹介した友人や知人の中には読者になってくれた方たちがいてblogを介してマスヲの意外な1面を伝えられていることだろう。
 お前がこんなに繊細だとは思わなかった、と保育園からの友人のひとりに飲んでいるときに言われたことが印象深かった。
 他にもリアルマスヲはつまらないが、blogのマスヲは面白いとか、強い、とメールで伝えてきてくれた友人もいた。
 自分をそんなに多面的に捉えてもらえるのはblog全体での特にこだわったテーマを決めることなく、毎日気になっていることや書きたいことをそのまま書いているせいだと思っている。
 あと、これは偶然かもしれないが昨日の記事「白いスニーカー」でも書いたが、2日酔いに一度もなっていないが何故だろう?

お題「はてなブログをはじめて良かったこと」

白いスニーカー

 昨夜は過去の記事「再開、再開そして別れ」で書いた、今の会社の元取締役との会食だった。

 なんとかお礼だけは言えたのでほっとしたためか、かなり酔っぱらったようで帰りはふらふらだった。二日酔いになるか心配だったが朝になったら、普通に朝食を食べれるくらいに大丈夫だった。

そういえば、blogを初めてから何故だかわからないが二日酔いは無い。

 

 午前中にプロジェクト上で指示を受ける立場の人からマスヲの靴が注意された。

 今日は朝から1日雨予報のためにビニール製の白いスニーカーで出勤したからだ。

 雨なので足元が濡れにくいのでその靴を選択したことを告げるとプロジェクト内ではルール違反なので、今日はなるべく席を立たないように言われた。

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 プロジェクトに参加した時期は3月だったが、エンドユーザーが商社なこともあってノータイで大丈夫だったため、ドレスコードはゆるいとずっと思ってきたし、そもそも事前にドレスコードの説明がなかったので、マスヲに言わせれば何を今さらと心の中では思っていた。

 それにその白いスニーカーには特別な思い入れがあるからだ。

 

 マスヲの母親は実は産みの親と育ての親が違う。母親は長女だったのだが、跡取りのいない身内に養女として出されたのだ。

 昔ならよくある話しらしいが、その昔という時代がどれくらいなのかイマイチ、マスヲには分からない。

 母親が大変だったのはその後だったらしい。

 養女に出された先の親がそれぞれ亡くなったために、その度に親が後妻と後夫を取ったために母親とはまったくゆかりが無い夫婦が親になり、その夫婦が1男1女を儲けたために母親はまったく血のつながりのない4人の家族と5人で過ごすことになったのだ。

 

 マスヲがそのことをはっきり知ったのはかなり大人になってからで、育ての親と産みの親が違うことだけを最初に知ったのだが、そのことでさえ中学校くらいの時だったと思う。

 母親本人から聞いたことはなく誰から聞いたのかも覚えていないが、そのことを知ってからのしばらくはそのことに触れることはタブーのように感じていたし、大人になってから弟とたまに外でふたりきりでお酒を飲んだ時にお互いに同じような気持ちだったことを話し合ったことがある。

 

 マスヲの実家から近くのところに母親の産みの親は住んでおり、その当時マスヲは叔父と叔母と呼んでいた。

 そして産みの両親にも1男1女がいるのだが、血の繋がりのある叔父と叔母のことをファーストネームのさんづけ呼んでいたし、叔父はまだ生きているために今でも同じ呼び名で呼んでいる。

 育ての親の両親である1男1女の方たちもファーストネームのさんづけでずっと呼んでいる。

 簡単に言うとマスヲには血の繋がりはともかくとして、母方に2組の祖父祖母がいて、4人の叔父叔母がいるといいうことだ。

 

 母親はある時期までは産みの親と交流を続けていたので、マスヲも自転車で行ける距離だったためによく遊びに行って可愛がってもらっていた。

 だが、あるときに産みの両親と母親が絶縁してしまう。そしてマスヲと弟にも遊びに行かないように強く言われたのだが、そのころはまだはっきりと産みの親と認識していなかったので、どうして叔母の家に行ってはいけないのかすっきりしなかったが、母親の言いつけには従っていた。

 

 その後、しばらくは母の産みの親と会うことはなかった。だが、高校生くらいのころだったと思うが、ある日道でバッタリと母の産みの母親と会った。

 彼女はびっくりしながらも母親への誤解を解いて欲しいというようなニュアンスを伝えてきたが、マスヲは自転車だったこともあり、ろくに話も取り合おうとせずにその場を立ち去った。

 今思うと何でそんなことをしたのかと考えたりするが、マスヲはまだまだ子供だったのだろう。せめて話しくらいは聞いてもよかったのではないかともたまに思い返すこともある。

 母親の産みの親と直接会ったのはそれっきりだ。

 

 母親の産みの親は夫婦で靴屋を経営していた。

 両親がそれぞれ亡くなった後は母親の血の繋がった弟である叔父が両親の住居兼店を取り壊す判断をした。

 その時に母親は取り壊す前の片づけを手伝いに出かけていた。

 そしてそのときにいくつかの傘と靴を持ち帰ってきたのだが、その中からマスヲには今日怒られた白いスニーカーを母から分けてもらったのだ。

 母親がどういう気持ちで店を片付けて、その靴をマスヲに渡したのかはわからない。

 だが、マスヲにとっても形見でもあるし、その靴を履くことが何か特別な気がしているのでよく履いているせいか白い靴が少し黒っぽくなってきている。

献血についてゆるく考えてみた

 今日は通院のために午後出社を申請してあるので、普段よりは朝ゆっくりできるはずなのだが、そんなときに限って就寝前に服薬しても早く目が覚めてしまったので、朝からこの記事を書いている。

 今夜は過去記事「再開、再開そして別れ」で触れた、今の会社の取締役だった方との再会できる飲み会だ。
 場所はまた、名駅だ。マスヲとしては好みの場所ではないが幹事が三重県在住なのでしょうがないと思っている。
 何でもかんでも名駅に集中する気がしてならないが、それに便乗してかJRゲートタワーの完成にあわせて、献血ルームゲートタワー26がオープンした。名駅では2か所目となる献血施設だ。

 帰宅時に献血を呼びかける方(ボランティアらしいが)を見かけるが、施設だけ増やしても肝心の献血者は近年減少傾向だというので調べてみたら、少なくとも昨年は減少だった

 マスヲはそれなりに献血している方だと思う。
 だが、最近は服薬しているなどのタイミングが悪くできていないのが残念だ。

 初めての献血は高校生の時の春休みだった。
 マスヲは2人の男兄弟で、マスヲには5歳離れた弟がいるが、初めての献血に至った経緯は彼のせい?彼が原因だった。
 毎年春休みの恒例になっているドラえもんの映画を見に行った帰りのことだった。
 マスヲは当時高校生。さすがにドラえもんは卒業していたので、小学生の弟の保護者として一緒に行った。
 映画館からの帰宅中に弟は喉が渇いたのでジュースを飲みたいと言い出したのだ。
 目の前に街頭献血をしていて、献血した方たちがジュースを飲んでいる姿を彼が指さしながら。

 マスヲは気が小さいし、痛がりの怖がり。
 注射でさえできれば避けたいのに献血なんてとんでもないと思っていた。
 マスヲも頑固な面があるが、弟はより頑固。
 あきらめて弟のジュースのために献血したのが献血をするようになったきっかけだ。

 それからは時折、献血をするようになったが一番献血した施設は大須万松寺献血ルームだ。
 ここで献血すると車で行くと駐車券がもらえ、大須商店街で帰りに買い物ができるメリットがあったことと他の献血センターに比べるとスタッフの感じが良かったと感じたからだ。

 献血を啓発するような、CMやポスターに若者に人気があるタレントやスポーツ選手を使うことも悪くはないと思うのだが、もっと他のアイデアはないだろうか。

 国民的長寿番組となっているバラエティ番組の『新婚さんいらっしゃい!』のある放送回で、そのとき出場していた夫婦の知合ったきっかけが献血施設内でのナンパだったいうエピソードがあった。
 夫婦になったふたりはお互いに献血する人に悪い人はいないという、ちょっとほっこりするような素敵な思い込み?があったようだ。

 このエピソードから想像(妄想?)を膨らまして、例えば献血参加者で希望があれば、献血後に軽食やお茶などを出して簡易な婚活パーティみたいなイベントを特定日に実施することはできないだろうか。
 マスヲが知る限り、献血施設での献血後はソフトドリンクやお菓子などが無料で提供されるので、お茶会などの予算がそれほど上乗せされるとは思えない。

 また、場所の問題や経費の不足などがあれば結婚式場などのブライダル業界に働きかけてスポンサーになってもらうのもひとつのアイデアだと考える。
 もし、そこで誕生したカップルが結婚を意識するときにはそのときに見たブライダル関連のブランドを普通なら当然意識するはずだ。

 また、これはふざけ過ぎかもしれないと誤解されるかもしらないが採血するスタッフを献血者が選ぶことができるサービスはどうだろうか。
 マスヲだったら何回かは好みの女性看護師を選ぶかもしれないが、総合病院に勤めた経験上で言わせてもらうと採血や注射はスタッフの技術差がはっきり出ると思っている。
 
 病院在職時に健康診断や予防接種などで何人かのスタッフにお世話になったが、採血が一番上手く感じたのは男性のある臨床検査技師だった。
 痛がりのマスヲでもまったく痛さを感じなかったので、その感想を彼に言うと、気分が良くなったらしく採血コツなどの能書きを止まらないほどにいろいろと語ってくれた。
 普通の人であれば仕事に関して向上心があるはずだし、医療関係の人たちはマスヲが考えていた以上に向上心が高い人たちが多くてびっくりしたので、彼らにもいい励みになると考えている。

夜の散歩のおかげで

 マスヲは日曜日の夜は実家で夕食をとることにしている。
 父親が亡くなってからは母ひとりなので寂しいのではないかと思って、独身の弟となんとなく続けている慣習だ。

 マスヲの家からは実家までは車では10分ほどなので、車でいくことが多い。
 そのために弟や母親がお酒を口にしていても、車で行った場合は当然お酒には付き合えない。
 先週の日曜日の帰り際に、弟から来週は一緒に晩酌することを促されたので、昨日は車で行くことを辞めて晩酌に付き合った。

 帰宅途中にもう少し飲みたくなったので、散歩がてらにあるお店に寄り道をしてお酒を飲んだ。
 飲酒量も適量で気分よくお酒を飲むことが出来たので、薬も服用せずに気持ちよく睡眠できた。

 今朝の出勤時にマスヲがいつも利用している乗車駅である市会議員が辻立ちして、利用者に声をかけながらビラ(市政報告書)を配っていた。
 睡眠が深かったせいか乗りたい電車の時間までに十分な時間もあったし、マスヲにしてはとっさのアドリブがきいた。
 会社の名刺を差し出しながら挨拶をして近くの住民であり、有権者であることを述べてから以下のような質問をしてみた。

 質問の内容は名古屋市水道料金がクレジットカード決済できないことへの疑問だ。
 東京大阪はクレジットカード決済できることは以前から知っていたからだ。

 じつは金曜日にも顔見知りの市会議員が辻立ちしていて同じ質問をしていた。
 その議員はマスヲの副業先に事務所を構えてくることもあり、たまにお客として来店するので顔見知りだったこともあって聞きやすかったこともある。

 副業先のパートの女性があの議員は信頼できるからきっと何かしらの返答がある、と話していたがはたしてどうだろう?

 今日の議員の返答も気になるが、同じ方法でこれから辻立ちする議員全員に質問してみることも考えている。
 ちなみに過去の記事「radikoと桜と選挙の投票」と重複するが、今までの選挙は全てに投票しているので、聞いてみる権利くらいはあるはずだ。