淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

五月の風に吹かれて

 今朝は気持ちの良い朝だった。通勤のために、最寄りの駅に向かう中、五月の風に吹かれていた。くっきりとした輪郭のあるような、爽やかな風に。
 昨夜、飲酒していた自分。目覚ましにそんな風を欲していたかもしれない。

 昨夜は錦にあるラウンジでお酒を呑んでいた。接待や会社関係ではなくプライベートで。
 自分の意志でラウンジに行くのは初めてだった。しかも、同行者も意外な人。20代の女性だ。いくつもの偶然が重なったからだと思う。

 あるラウンジのママがお店を辞めることを聞いていた。彼女に出会ったのは数年前。自分が友人と初めて遊びに行ったガールズバーで働いていた。しかも、そのガールズバーでもママをしていたのだ。
 彼女は経営者ではないが、お店を立ち上げて、地域でも評判の店にしたのは彼女によるところが大きいと、自分は考えている。

 その後、同じ経営者が錦でラウンジをオープンさせることになったので、その店でもママを務めることになった。
 彼女は今、アラサー。その年齢で業態の違う二店舗のオープンに立ち会い、それぞれのお店を軌道に乗せることは、なかなか他人に出来ることではないだろう。

 少なくとも彼女がガールズバーの立ち上げに失敗していたら、自分が小説を再び書きはじめるのが、もっと遅くなっただろうし、ひょっとしたらその機会さえなかったかもしれない。
 ガールズバーからラウンジに移るときも、挨拶に行った。その時はまだ自分が小説はおろか、このblogさえ書きはじめる前だった。
 その後、自分が書き上げた小説の中で、彼女が立ち上げたお店を作品中の大事なシーンのモデルとして書かせてもらうことになるとは、全く想像できなかった。

 自称、おひとりさま有段者の自分。キャバレー花園やフィリピンパブには1人で行ったことがあるが、ラウンジはさすがに厳しい。
 ママが店を去るまえに、なんとなく思い出話をしたかった。お礼なんて言える立場ではないし、照れくさかったから。
 お客だったあるオッサンに、次のように言われても意味もわからないし、ウザいと思われる可能性だって否定できない。あなたのおかげで小説を書くことができました、と。

 先日、ガールズバーのカウンターで飲んでいるときに、思わぬ話を持ちかけられた。
 今まで一度も指名したこともない、スタッフからラウンジのママに一緒に挨拶しに行きませんかと。少し驚いたが、有難く了承した。

 昨夜、ママと再会して話をしたら驚いたことがいくつかあった。そのうちのひとつを紹介すると、自分通っていた高校と彼女が卒業した高校が同じ市内で、最寄りだったのには驚いた。少なからずの縁を感じた。
 ママはラウンジの立ち上げの際には、今まで以上にまわりに助けられた、と話してくれたことが印象に残っている。
 これからも頑張って下さい、と彼女に言えるような立場ではない自分。元気でいて下さい、と代わりの言葉を口にしたと思っている。自分の記憶がお酒でおかしくなっていなければ。

ワンブロック違うだけ

 今の現場のオフィス近くには、以前勤務していた会社の名古屋オフィスがある。その会社は大阪が本社で、新興市場ではあるが上場もしている。
 今所属している会社の前に勤務していたそのオフィスと、今の現場はワンブロックしか離れていない。

 昨日、当時よくお昼休みにランチを食べた店に、訪ねようとしたら閉店していた。
 逆に、先日の雨降りの際は今のオフィスの近いお店で昼食を済ませた。以前のオフィスからそんなに離れていないのに、知らない店だった。
 ひょっとしたら、当時の記憶が薄れているだけなのかもしれないが、街も少しずつ変わっているはずだから勘違いしている可能性も否定できないが。

 さきほど、自分がかつて勤めていた会社のホームページを久しぶりに見てみた。
 入社時に2次面接をしてくれ、退職するときには名古屋オフィスの責任者でもあった役員の名前が無い。自分とそんなに年齢も違わなかったことと、面接で約束してくれたことを入社日に反故にしてくれたことを、未だに鮮明に覚えている。
 彼はスマートでそれなりに見栄えもしたが、自分からしてみれば、ただ調子の良い男としか思えなかった。
 今何をしているのだろう? また、どこかの会社に所属して経営者の腰巾着になっているのだろうか。

 人生において、『たられば』を考えたらきりがない。長い人生の中では誰もが何回かは、その考えに縛られ、悩んでしまうことがあるのではないか。
 自分は若いときほど、その考えによく陥った。年齢を重ねる毎に、あまりそのことについて悩まなくなった。
 結論がすぐに出るからだ。何回、同じ分かれ道に出会っても、同じ道を進むのが自分だと、ある意味あきらめているからだ。格好良く言えば諦観といえるのかもしればいが、自分はそんな柄ではないと思っているが。

 自分らしい道を行けば、また同じ分かれた道に戻ってくるかもしれない。その時は、以前進んだ道中で起こったことを考えて再選択すればいい。
 本当に縁がある場所、人や物には再会できることができるはずだと、感じることが増えてきた。

 再び出会えないにしても、似たような選択を再びしなければならないときに、自分の過去を活かせば過去の価値も変わると信じている。
 失敗したと思い込んでいた過去も、未来に活かせば失敗ではなくなるはずだ。

 今夜、久しぶりにある女性に再会することになっている。年下の女性だが、その当時から自分のタイプではない。
 だが、今の自分があるのは彼女のおかげ。そのことをなんとなく伝えたいだけだ。言葉としては伝えられないとしても。

 そんな彼女と再会する場所は、今の現場のオフィスとかつて勤めていた名古屋オフィスとも、ワンブロックしか離れていない。

夫婦別姓

 昨日から新しい現場で働いている。相手先はグローバル企業ではない。某TMCともおさらばだ。
 実はこのプロジェクトの面接時に、以前別のプロジェクトで働いたことがあったエンジニアが面接が終わった後に、わざわざオフィスからエレベータ前まで来てくれて、自分に参加を勧めてくれたのだ。
 前一緒に働いたプロジェクトに比べればここは天国ですよ、と。助言の言葉から読者は推測できたかもしれないが、優しい言葉をかけてくれたエンジニアは女性だった。
 女性の言葉に乗っかって失敗したとしても、女性好きな自分らしい失敗になると思って、今のプロジェクトの参加を決めた。
 ちなみに彼女と出会ったプロジェクトは串勝男も一緒だった。

 昨日の初日、彼女は居なかった。座席表を見ても彼女の名前は見当たらない。ひょっとして勝男もこのプロジェクトに参加しているかもしれないと思ったが、彼の名前もないので少しホッとした。
 しかし、モテない男の性なのか、すぐに女性に騙されたと考えてしまったが、彼女を責める気持ちはなかった。ただ、つくづく自分は懲りない男だと思っただけだ。
 ちなみに、自分の左横にも自社が仕事を受けている会社のプロパーが在籍しているようだったが、昨日は休んでいた。

 今朝、出勤すると自分を誘ってくれた彼女が出勤していた。すると、わざわざこちらの席まで来て挨拶してくれたのだ。そればかりか、困ったことがあったら言って下さいね、と優しい言葉までかけてもらった。彼女に対して失礼な思い込みをした自分が恥ずかしかった。
 座席表を見てもわからなかったことを彼女に話すと、この現場から姓を変えたのだと話してくれた。
 女性だからプライベートな繊細な事情が絡むことが考えられるので、深く聞くこともできない。デリカシーに欠ける自分でも。

 この彼女とのやり取りがきっかけで、夫婦別姓のことが気になりだした。これまで夫婦別姓については、正直他人事のように考えていた。
 だが、結婚をしても仕事を続けたいと考えている女性にとって、苗字が変わることはデメリットの方が多いはずだ。もちらん、婿養子に入った男性でも同じだろう。

 そもそも、何故日本人はオフィシャルな場ではファミリーネームで呼び合うのだろう?
 ファーストネームで呼んでいれば、夫婦別姓についての議論も入口が少しは違っていたはずなのに。

 どうやら世界的に見ても、選択的夫婦別姓を認めていない国は日本くらいのようだ。
 過去行われた世論調査などを見ても、60歳以下の人たちは概ね選択的夫婦別姓について好意的であるようだ。

 自分と妻の関係もそうだが、結婚してからも正規で働いている女性は男性よりも平均収入が上回っていることも証明されている。その主な理由は、結婚してからも仕事をフルタイムで続けている女性は士業が多いことが理由であると、ある新聞が分析していた記事が印象に残っている。

 今の世の中、同世代であれば女性の方が高収入であることも珍しくないのに、過去の遺物となりつつある家長制度を理由にして、夫婦別姓に反対するのは無理があると自分は考えている。

どうしたマックアース

 今日のblogの内容を考えていた当初は違うタイトルを考えていた。そのタイトルとは、どうしたチャオ御岳。
 だが、書く内容について調べたり思慮を深めたりする過程で今のタイトルにすることにした。

 昨日、今シーズン最後のスキーと思われるスキーを楽しんだが、帰りに立ち寄ったインフォーメーションで驚くような事実を知ったのだ。
 チャオ御岳がマックアースグループを抜けていることを。
 また、来シーズンはエコーバレースキー場と共通のシーズン券を販売することも併せて知ったのだ。

 昨日、帰宅したあとにインターネットで調べるとエコーバレースキー場もマックアースグループから外れることがわかった。詳細はエコバレースキー場をマックアースが譲渡したらしいのだが、譲渡先までは明らかにされていない。

 実は昨シーズン、ホームである野麦峠スキー場のリフトで一緒になったスキーヤーがマックアース信越のシーズン券を毎年購入していることを話してくれた。
 彼も自分と同じ愛知県の尾張地区在住だが、シーズン序盤はエコーバレーで、ハイシーズンになったら野麦峠スキー場を滑走する目的で、共通シーズン券を買い求めているとのことだった。彼は来シーズンからはどうするのだろう?

 斜陽であったスキー場の再生を掲げて、颯爽と現れたように見えた、株式会社マックアース。
 2年ほど前に、テレビ東京系列のドキュメンタリー番組であるカンブリア宮殿に社長の一ノ本達己が出演したのを鮮明に覚えている。
 テレビに出て恰好をつけている余裕があったのなら、両スキー場の再生にさらに尽力して欲しかった。

 確かにチャオ御岳の経営は素人の自分が考えても厳しいと考える。高速道路からのアクセスが悪い。御嶽山噴火による風評被害もあった。ハイシーズンはアクセス路に積雪が多いため、運転も大変だからだ。

 だが、逆にいくつかのメリットもある。御嶽山の北側斜面の標高1800メートル以上でゲレンデが構成されているために雪質が良い。
 自分は蔵王温泉や北海道のニセコでもスキーを楽しんだことがあるが、両スキー場と比べても雪質は引けを取らないと考えているほどだ。
 また、高速のアクセスが悪いことを逆手に取って泊まりでゲレンデを訪れる来客にアプローチするのはどうだろう。スキー場の近くには、自分が好きな濁河温泉があるのだから、温泉とセットでアピールできないのだろうか。
 ちなみに、自分は昔から温泉好き。幼少時代から同居していた祖父母にあちこちの温泉に連れて行ってもらったために、温泉についてはかなりうるさい。かけ流しでない温泉が世の中にあることを大人になるまで知らなかったほどだ。

 チャオ御岳は今シーズンの途中にホームページがリニューアルされた。また、そのホームページによるとゲレンデの名称まで改められたようだ。『チャオ御岳スノーリゾート』から『チャオ御岳マウントリゾート』に。
 名称変更からも、フォーシーズンに対応するリゾート地に脱皮することを意図しているようだが、果たして上手くいくのだろうか。
 これからもチャオ御岳とマックアースを注視していきたい。

雪別れ

 9連休最後の日の今日、チャオ御岳マウントリゾートの今シーズン最終営業日。
 一昨日の娘とのハイキングの筋肉痛が残っていたので、スキーに出かけるか迷っていた。残り少なくなっている雪に魅せられてはいるが、月曜日からの仕事のことも遊び人と呼ばれる自分でも、多少は頭をよぎったからだ。
 昨夜、ベッドに入ったのは20時。目覚ましのアラームはセットしなかった。それで目が覚めなければ、行かないことにした。

 だが、3時過ぎに目が覚めた。気持ちが高ぶっていたからだろう。遊び人の面目躍如だ。
 暗いなかでスキー道具を車に詰め込んで、家を出た。休日だが、往路の道は高速も下道も空いていた。
 インター手前のコンビニエンスストアに入店すると客は居なかった。店員がばつが悪そうな感じで挨拶した。レジ横の揚げ物が陳列棚には何もまだ並んでいなかった。
 買い物を済ませるとそのまま高速に乗ると、サービスエリアや道の駅などで一度も休まなかった。
 ただ、桜と山桃の写真を撮影するためだけに、車を停めただけだ。開田高原の県道で。

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開田高原で見つけた桃と桜の花。おそらく桜を見るのも今年は最後だろう。
 先日、脱輪したことを教訓にして、慎重に運転したがそれでも予定よりもかなり早くゲレンデに着いた。到着時間は6時30分。車を止めると隣の車は車中泊をしているのか、車の窓全てを遮光していた。
 お手洗いを利用するためにセンターに行くと、カウンターなどはシャッターが降ろされていた。リフト券もまだ買えなかったので、車に戻って仮眠をとることにした。

 気がつくと、まわりが多少騒がしくなっている。駐車場の車はそれほど多くはないが、車中泊していたと思われるスキーヤーやボーダーも滑走の準備に入っている。
 自分もスノーウエアに着替えることにした。着替え終わると、コンビニで買ったスティックパンをかじってから、再びセンターに向かった。
 今度はシャッターも上がっており、インフォーメーションやリフト券も販売していたので、購入した。

 時計を見ると7時20分過ぎ。ゴンドラの営業は7時30分から。ゴンドラ乗場を見ると、人が並び出している。ファーストトラックとはいかないが、まだ雪が荒れていないコースを楽しむことは出来そうだ。スキー板を担いで乗場に向かった。

 外に出ると先日よりもまた雪が減っている。センターコースの下部も滑走出来なくなっていることが案内されていたが、納得できた。ただ、乗場までに行く途中に雪解け水が薄い膜状に氷結しているのが、このスキー場の標高を伺わせた。ベース部分でも1800メートル以上ある。夜間はまだ、氷点下になるのだろう。

 ゴンドラ乗場の入口で待っていると、人並みが動きだした。時計を見ると30分よりも幾分早い気がした。ゴンドラに乗車中、コースを見渡すと至る所に地表が顔を出している。木々を見ても雪を被っているものは一本もなかった。
 ゴンドラを降りて、ゲレンデトップで景色を見ながら体をほぐした。今シーズン最後の一日がはじまる。

 前回訪れた5月1日よりも滑り始めた時間が早いこともあって、ゲレンデコンディションは思ったよりも良かった。
 雪解けによってコース幅が狭くなっているのは仕方がないが、ブッシュや石が雪面から飛び出しているところが多かった。
 気をつけて滑ってはいたが、何回か石のせいでスキー板に傷をつけてしまった。
 スノーボーダーを意識しているせいか、今年は最終営業日まで何か所かキッカーがまだ残っていた。キッカーの雪を使ってコースを整えれば、多少板の痛みが減ったかもしれないと思ったが、これはスキーヤーの我儘だろうか。

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コース幅も流石に狭くなっていた。
 ゲレンデトップにあるゴンドラ降り場のボードに気になることが書いてあった。このゲレンデの今シーズンの営業が微妙だったことを改めて伺わせる内容だったので、目が留まったので、スマホで記録に残すことにした。
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今シーズンの営業が危ぶまれたことも、記録に残しておきたい。
 7時30分から滑りはじめ、11時で今日はゲレンデを上がった。今日は途中で休憩も挟まなかったので、本数はそれなりにこなしたと思う。
 ゴールデンウイーク最後の日のため、帰りの渋滞を考慮したこともあったが、今シーズンのスキーでまだやり残してあることがあったからだ。
 御岳チャオに訪れたのは今日で今シーズン3回目。しかし、今シーズンは一度も濁河温泉に入湯していなかったのだ。

 着替えてから、狭い山道を車で降りていくと、下呂市に入ったことを告げる標識が立っていた。御岳チャオは高山市、ほぼ隣にある温泉地の濁河温泉下呂市になるのだ。これも強引に推し進められた、平成の大合併のひずみのひとつの事例だろう。

 市営の露天風呂に到着したので、入口をくぐると番台に誰も居ない。代わりに番台にある掲示が置かれていた。その掲示には次のように書かれていた。『只今管理人は外出中です。料金は入浴後いただきます』と。
 脱衣所に入ると他の人の服がない。露天風呂を除くと入湯客は誰も居なかった。広い露天風呂が貸し切りだ。
 こんなことは初めてだったので、こっそりと記念に写真を撮らせてもらった。

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下呂市営の露天風呂。ちなみに帰りには管理人が戻っていたので、料金を支払うことができました。
 ゴールデンウイーク最後の日、濁河温泉の露天風呂を貸し切りで楽しむことが出来た。
 丸太をくり抜いた戸井からかけ流されている温泉が浴槽に落ちる音に、時折鳥の鳴き声が重なる。浴槽の底が滑って歩きにくいほど、湯中には湯の花があふれている。
 肩を出していると、まだ冷気を感じるほどだ。そのために、時折肩まで浸かったりして、ゆったりと秘湯を満喫した。