淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

初アウター

 今朝は寒かった。この冬で一番寒く感じた。
 昨夜は早くベッドに入ったので、アラームが鳴るよりも早く目は覚めていたが、なかなか布団から出ることができなかった。おかげで、最近習慣になっていた朝のストレッチが出来なかったが、体重の計測と朝食は食べた。餅菜とお餅をタッパーウェアに入れて、作り置きしてあるけんちん汁を注いで電子レンジで加熱した、即席のお雑煮を。

 この冬初めてスーツの上にアウターを羽織り、靴を履いた。アウターといっても安っぽい地味なドカジャンだ。
 玄関を出ると登校中の小学生たちを見かけた。世の人たちの大半は、昨日で冬休みは終わり。駅の駐輪場だけでなく通勤電車も混雑していた。

 現場のオフィスビルに到着すると、エレベータを待つ人が長い列をなしていた。その光景を見ただけで、昨日に似た明日が続く毎日が始まったと思う人も多いだろう。自分もそのように考えていた時期があるし、これから先もあるかもしれないが、少なくとも今朝はそのようには思えなかった。

 オフィスに入室しようとして、セキュリティカードをかざしたがオフィスの扉が開かない。かざした場所を確認すると、隣の会議室に入室するための場所へカードをかざしていたのだ。まったく仕事モードになっていないことを、その瞬間に自覚した。
 それでも、迷わずになんとか自席に辿り着くと、机上に小袋に入ったチョコレート菓子が置かれていた。自分の右に座る自チームのリーダーからのお土産だった。地名が書かれていないので何処に行ったかわからないね、と彼は呟いた。

 パソコンのスイッチはすぐに入れたが、自分の仕事モードへのスイッチは未だに入っていない気がする。スイッチの場所をわざと忘れてしまったのかもしれない。
 アウターとスーツをハンガーにかけに行ってから、鞄をしまうためにキャビネットを開けた。このキャビネットを開けない選択、年末でそのまま退職することを妄想していた自分を思い出し、苦笑いをしてしまった。

 パソコンが起動したのでメールを確認すると、50通以上が未読。比較的、メールが少ない現場なのでこれほどの件数が未読になっているのは珍しいが、どれもこれも自分にはそれほど関係のない情報だった。そう思い込もうとしていたのかもしれない。

 システムエンジニアとしての今年初めての出勤日は、意外にも静かに過ぎていった。
 毎日、退社時に上司へ勤怠を連絡するメールを送ると、その返信の最後には次のように書かれていた。『今年も、頑張りましょう!』、と。その文章を見て、もっとお前が頑張れよ、と心の中で毒づいた自分。
 今年も前のめりにならずに、最低限の仕事だけをする仮面社畜として静かに過ごせますように。

お年玉

 午前の遅い時間まで二度寝していた。昨夜は友人と、手羽先と親子丼で有名な鳥開総本店*1を足がかりに、日付が変わるまで呑み歩きをしていたので、午前中はまったりしていた。洗濯などを済ませたあとに。
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 すると、施錠がしてある玄関を強引に開けようとする音が聞こえてきた。そんなことをする人間は空き巣か、自分の身内の1人しかいない。音を立てていた主は、泥棒ではなく母親だった。

 母親が今日、自分を訪ねてくるのは知っていた。今日は母方親戚の新年会だったから。主催者は母の弟になる叔父で、毎年それなりの店で自分たちをもてなしてくれる。今日の料理も前菜でのびるや鹿児島から取り寄せた新タケノコを出してくれた。
 会は13時から、集合は叔父の自宅にその20分前と連絡をメールで受けていたので、午前中はのんびり過ごしていたのだ。

 玄関を開けると、せっかちな訪問者は言った。寝てたの、と。この言葉と玄関を力任せに開けようとした態度に、自分は一気にヒートアップ。寝ていて何が悪いか、というようなことを母に感情を込めて返球した。
 再びベッドに潜り込みふて寝した、自分。親の前だからか完全に子供だ。

 10分ちょっとのふて寝の後、着替えて起床した。そして、最近毎朝の習慣になっているストレッチを行った。
 母親とはあまり口を聞きたくなかったが、必用に迫られてあることを尋ねた。お年玉のことだ。

 新年会には毎年、自分の従兄弟も出席する。叔父夫婦の息子2人と叔母の一男一女だ。今年は叔父の長男と叔母の長女しか顔を見せなかったが。

 従兄弟は皆、自分よりも一回り以上年下。叔父の息子2人はちょっと前まで学生だった。それまでは新年会で会う度にお年玉を渡していた。
 自分の器が小さいせいか、従兄弟が従兄弟にお年玉を渡すのは少し変な気がしていたのだが、結局彼らが社会人になるまで渡し続けた。
 叔母の長女は結婚していて、娘が1人いる。自分の娘の一つ年下だと思う。

 母に相談したかったのは、自分の娘と年齢の近い彼女にお年玉を渡すかどうかだった。従兄弟の娘にまでお年玉を払う必要性を自分は感じないからだ。しかも、今年は娘にさえ自分は渡していない。

 妻からスキーウエアから小物までを新調したので、そのレシートの束を手渡されて金を請求されたからだ。その合計金額は22,885円。妻の意表を突く攻撃には慣れているとはいっても、この金額の請求と理由には流石にたじろいだ。
 結局支払ったが、スキーに行った時に娘に昨年のクリスマスとお年玉代わりだと説明した、いや弁解した。

 母親の答えは自分の考えていた通り、渡すことだった。自分もある意味では、そうするつもりだった。母や弟が渡さないのに自分だけが手渡すと、おかしなことになりかねないから確認したかったのだ。

 自分の娘とは違って小学校低学年にも関わらず、女子力の高さを見せつけるような容姿の彼女に会うとすぐに、お年玉を手渡した。
 するとその後に、驚くようなことが起きた。昨年か一昨年までお年玉をあげていた従兄弟2人から、自分の娘へとお年玉をくれたのだ。彼らのおかげで、正月らしいほんのりとした気持ちにさせてもらった。

*1:ちなみに自分はこの系列が好きではありません。接客のレベルも高くないし、味も他の手羽先を売りにしている居酒屋と大差がないし。その割には値段は高めでコストパフォーマンスが悪いから。

2019年仕事初め

 今日が自分の仕事初めとなった。平日ではなく土曜日だったのには訳がある。週末働いている副業先のラーメン屋の営業が、今日からだったからだ。
 本業であるシステムエンジニアとしての仕事は、月曜日の7日からだ。

 昨日、自分の娘を含めた子供4人と大人2人にお節介を焼きながらのスキーを、朝の10時からリフトが停まるまでの16時まで続けたので、流石に朝から身体は重かった。
 毎朝恒例になっている、体重測定をすると自分の予想通り前日比、0.1㎏増。

 スキー、スノーボードなどのウインタースポーツはバランススポーツなので、上手くなるほど無駄な力とエネルギーを使わないことはよく言われていること。痩せないことはわかっていたが、それでも、今朝は少し期待していた。
 1日でこれだけ、エネルギッシュにゲレンデを駆け回ったのは久しぶりだったからだ。自分の滑りたいように滑っているわけではなかったので、それなりにカロリーは消費しているはずだと、思っていた。
 だが、身体の節々に感じる筋肉痛とは裏腹に、体重という結果には結びつかなかった。

 副業先で働く時は、出勤途中に野菜ジュースを買うことが多い。賄いのラーメンを食べる時に一緒に飲むために。
 今日は身体の動きがいつもよりもキレがないこととコンビニのレジに人が多かったので、ジュースを買うのを諦めた。
 ラーメンの具材が栄養のバランスを欠いていることへの配慮だが、別の理由もある。それは食べ合わせダイエット。
 昔見たテレビ番組での情報だが、ラーメンを食べる前に野菜ジュースを飲むと太りにくいと伝えていたことを、今でも自分は実行しているのだ。どれほどの効果があるのかは、突き詰めていないのでわからないが。

 仕込みで今日自分が担当した仕事は、新年最初の営業日らしい内容だった。年末にカウンターに置いてあるものの中身をすべて空にしてから洗ったので、きれいになっている。それらの容器に入っていたそれぞれのものを再度詰めなければならない。
 ラーメン屋らしい、餃子のタレ、ラー油、胡椒や割り箸などなど。不器用な自分が一番苦戦したのは、爪楊枝。
 爪楊枝は空いたラーメンドンブリに乱雑にいれてあったからだ。方向どころか向きも不揃いになっている細くて短い爪楊枝を不器用で大きな手で摘まみながら、同じ方向に揃えて器に詰めていく。久しぶりに行った作業は思っていた以上に時間がかかった。それでも、なんとか賄いができあがる時間までには終えることができた。

 賄いのラーメンを食べていて、あることに気がついた。ラーメンに入っていた具の中であるものの味が気になったのだ。その具とはチャーシュー。いつものものよりも、パサついた食感で少し臭いも気になった。
 継ぎ足して作り続けているスープや返しにはそれほど違和感を覚えなかったので、余計に気になった。

 今日は久しぶりの営業のため、営業時間の開始から自分のアルバイトの終わりの時間まで、お客が途絶えることどころか、常に長い列を作り続けるのは例年のこと。
 ただ、今年は自分が気になったことを多くのお客の中でどれだけ感じたかが気になった。身体はヘトヘトになりながらも。

野麦峠スキー場へ愛をこめて

 先ほど、21時過ぎに帰宅した。娘を実家に送ってから。今ここまでの文章を書くだけでも、随分誤タイプしている。正直、眠いし疲れているからだ。
 早朝、5時前に起きて友人ファミリー4人に娘を含めた6人で、野麦峠スキー場へスキーに出かけてきたのだ。

 ゲレンデまでは友人が所有しているワンボックスカーで移動した。運転は友人がしてくれたので、乗車中自分はただ座っているだけ。娘のとなりに。
 考えたら、ドライブで自分が娘の隣に座ったのは初めてのような気がした。それだけでも、きっと自分にとっては良い思い出になるだろう。

 道が空いていたこともあり、ゲレンデには8時30分過ぎに着いた。友人ファミリーも今日は全員、スキーをすることになっていたので、その準備を自分と友人で手分けして行った。
 お互いの子供と友人の奥さんがスキースクールを受講させることを予定していたので、その手続きと友人の奥さんのスキーセットをレンタルするための手続きなどなど。

 全員着替えてゲレンデで板を履くことができるようになったのは、9時40分ごろ。スキースクールの開始が10時からだったので、自分と娘は初心者コースで足慣らしをすることにした。
 乗車したリフトからスキーセンターの方を見ると、友人と友人の長女も自分たちが乗車したリフト乗り場に向かっていた。

 娘を見守りながらも斜面を降りると、何も問題なくスキーセンターまで滑って戻ることが出来た。
 ただ、後ろを振り返ると友人親子は苦戦していた。今朝のゲレンデコンディションは野麦らしい固めのバーン。朝一はどうしてもエッジがかかりにくく、ずれやすかったので戸惑ったのだろう。10時には少し遅れたが、友人親子はスキースクール講師との待ち合わせ場所に、到着した。

 自分はスキースクールの講師に挨拶を済ませると、すぐにスマホで知人の男性に電話した。その男性も今日家族でゲレンデに来ていることを昨日知り、その後メールでやり取りをした。
 その際に、娘をスキースクールに預けている間に時間があれば、1時間ほど彼の長男の滑りを見て欲しいと依頼されたが、気持ち良く了承した。彼のご子息は昨年自分がスキーを教えた少年だったからだ。
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 一年ぶりに彼の滑りを見ていると、少し感慨深くなってきた。まったく滑ることが出来なかった少年に自分がちょっとしたアドバイスを贈ったことで、ゲレンデを楽しそうに滑っていることを見ることが出来て。
 また、今年も本人と親に少しのアドバイスをさせてもらった。

 その他にも自分の身のまわりにいろいろなことが起きた、今日の野麦峠スキー場。野麦劇場ともいえるほど。
 それらのことを大げさに言うと、様々な正の感情を抱かせてくれた。おかげで、このゲレンデに愛を感じないわけにはいかない1日になった。

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今日の天気は素晴らしかった。まさに野麦ブルー。

眠れないほどの

 昨日、ぼっちスキーから帰宅するとポストに年賀状はなかった。代わりに大きな封筒が投函されていた。差出人だけ確認してから開封せずに、blogを書いて夕食を取った。
 年末に録画しておいたバラエティーの特番を見ながら封筒を開封した。緊張感のまったくない状態で。
 差出人は自分が所属している文芸同人誌の主宰。封筒の厚みから、冊子が入っていることだけはなんとなく想像できた。自分が久しぶりに書いた小説が掲載された号が余ったので、お年玉代わりに贈られてきたのではと考えていた。
 だが、自分の考えはまったく違っていた。いい意味で。

 自分が所属している同人誌は一年に4回発刊されて、もうすぐ25年、今夏には100号が発刊される予定。
 その同人誌では、同人誌名を冠した賞が設けられている。初期20号のころまでは10号単位で、それ以降は毎年掲載された作品から、受賞作が決められる。選考によっては、受賞作がないことも今まで何度かあった。

 驚くことに、自分が15年ぶりに書き上げた小説が昨年の受賞作に選ばれたようだ。開封するとそのことが書かれていた。
 恐縮至極で恥ずかしかった。過去14人の受賞者たちに、自分が並ぶことになろうとは、おこがましいのではないかと思えて仕方がなかった。そのせいか、最初は現実感もまったくなかった。
 ただ、真っ先にある人物にだけは電話で連絡した。今まで自分が小説を書くときに、初稿を見せてなにかと意見をもらい続けている、小学校からの友人に。

 その後、床についたがなかなか寝付けなかった。日付が変わっても睡魔が近づいてこないので、睡眠導入剤を服薬した。
 年末年始の休みに入ってからは、身体のことを気にして精神安定剤睡眠導入剤も控えていたので、それなりに効果はあると思ってみたものの。
 結局、明け方に数時間眠れただけだ。そのまま、洗濯をして朝食を取ったら、少し眠くなったのでなんとか二度寝をすることが出来たのは、幸いだった。

 現在通院を続けている心療内科にかかってからは、嫌なことがあっても眠れなかったことは減ってきた。
 逆に、そういう場合にこそ起き続けていると、思考が悪い方に流れて行きやすいので、薬の力に頼って早く眠るようにしているし、何とか眠れることが出来るようになってきた。
 だが、眠れないことの原因は負の感情だけではないことに久しぶりに気がついた。もちろん、嬉しい気づきだ。

 受賞の通知には受賞の言葉とともに掲載する写真も用意するように、書かれていた。言葉に敏感な人たちに対して、読まれる文章なので、それだけでも緊張するのに写真まで用意しなくてはならないとは。
 見た目が関係しない身内だけの賞だが、その写真もあるページに掲載されて残ることになることは、正直微妙な気分だ。