自分の好きなカメラマンの一人は濱田英明。twitterとInstagramでは彼をフォローしている。
先日、彼がtwitterでスペースをしていたので繋いでみた。彼の声を聞いたのは初めてだった。
オッサンの声を聞いただけで心が弾んだのは作家、村上春樹以来だった。
スペースでは彼はある女性と会話をしていた。
彼の声を聞くことを目的だったのだが、二人の会話をそのまましばらく聞いてしまった。
女性が口にしたあるキーワードを機転に展開していった会話に自分は惹かれてしまったから。
そのキーワードとは『余生』。
東日本大震災の被災者だと女性は濱田さんに口にして続けた。震災ではなんとか助かったが、その後の月日が余生であるような気がしていると。
震災で彼女の人生は終わっていて、震災後の人生はオマケのようなものだと思って生きてきたらしい。
ただ、このごろになってその余生があまりにも長くなってきたので色々な感情や考えが彼女自身の中でよぎっているのを自分は感じた。
顔も名前も知らない彼女の話を深夜のベッドで横になって聞き、彼女の人生に想う自分。
そんなことはSNSがなければ経験できなかったかもしれない。
一命を取り留めたような重い体験なんてないが、ここ数年の自分は彼女に似たようなことを思っていたし、そんなことをこのblogにも記したことがあった。
hatehatehahaha.hatenablog.com
自分にとってオマケのように思っていた時間がまだかなり長そうだと感じはじめてきたことも彼女に近い。
ここ数年は意識して自分に興味があることを中心に考えてきたが、少しだけまた視点を変えようともがきはじめている。
一ヶ月ポートレートを撮っていないのもそんなことが影響しているのだろう。
時間とお金の使い方が気になってきたからだ。
おまけの人生であればその日暮らしでも問題ないが、自分の余生がまだかなり長いのではないかという気もしてきたからだ。
魅力的なことにはお金はつきものなのはわかっていたつもりだった。
だが、最近のガソリンの急騰やじわりとした物価の上昇は薄給の自分に堪えていることもある。
時間やお金をあまり言い訳にしたくはないが無いものはどうしようもない。
他人のものを盗ってくるような勇気や根性は自分にはないし。