淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

愛知万博を開催して何が残ったのだろう?

 雨上がりの今日、写真を撮るために隣町にある場所へ14年ぶりに訪れた。「愛・地球博」、通称「愛知万博」が開催された跡地で、今はモリコロパークと呼ばれている公園に。車で向かったので、駐車料金の500円を支払って。
 万博をする前は愛知青少年公園と呼ばれていて、普通車の駐車料金は確か、200円だったと記憶している。
 万博前後で駐車場の代金が倍以上になったのだ。

 自分は万博とオリンピックを国内で開催するのは、ずっと反対の立場だ。名古屋がオリンピックの開催地として、選ばれなくてよかったと考えているくらいだ。
 もちろん、2回目となる東京オリンピック大阪万博についても反対だ。

 もちろん、まわりが全て自分と同じ意見ではないし、残念ながら世の中では自分のような考えは少数のようだ。
 それが証拠に、不本意ながら愛知万博に自分は行くことになってしまった。妻の父親がお節介を焼いたのだ。万博入場券を2枚、妻にプレゼントしてくれたのだ。

 当時は、妻の親とは少しも険悪ではなかったし、そこまで我を通して関係を悪くするのも嫌だったので、一応万博会場までは出かけた。
 ただ、入場する目的を果たすとすぐに会場を後にした。その目的とはラオスのビール、ビアラオを買うことだった。

 30歳の時に友人と2人、東南アジアでバックパッカーをしていた時に、一番美味しく感じたビールだったからだ。
 買った後、一緒に旅した友人と呑んだが何か味が違った。最初に呑んだ時は、屋外でメコン川を見ながらだったので、今思うとロケーションが味を美化してしまったのかもしれない。

 素敵な思い出なんて微塵もない、万博の跡地。車で向かったが、すっかり当時の面影はなかった。
 8時過ぎに南駐車場に車を停めたが、他の車はまだ見かけなかった。駐車場で作業をしている係員にカキツバタ園の場所を尋ねて向かったが、花の見頃は少し過ぎていた。
 雨上がりで濃い青色の花と葉の緑のコントラストを絵にすることをイメージしていたが、残念な写真しか撮れなかった。

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来園した目的のカキツバタ園。
 カキツバタを撮ることを目的にしていたので、がっかりしていると、自分と同じような気持ちでカキツバタに視線を送っている初老の夫婦を見かけた。
 彼らは地元に住んでいるらしく、公園までは歩いて行ける距離なので、ほぼ毎日園内を散歩しているようだ。そんな仲の良い夫婦は世の中に多く存在するのだろうか。

 彼らの勧めで日本庭園まで足を延ばすことにした。庭園にある『サツキとメイの家』を初めて見ることができたが、特別な感慨を抱けなかった。
 係員は多いときには900人も訪れる人気スポットであることを話してくれたが、その人数が多いのか少ないのかさえ、どうでもいいように思えた。

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サツキとメイの家
 午後から用事があったので、日本庭園を早足で周ると帰宅した。半日、モリコロパークを見て回った感想は、あえて文章にするほどでもない気がする。
 草木が植えてあるキレイな公園ではあったが、自然味がないのだ。どことなく作ったような、アーバンな感じがした。やはり、万博の跡地だからだろうか。
 自分の感性に触れたものの数に比例するかのように、シャッターを切った数は思いのほか少なかった。

『日本野鳥の会』会員とのおしゃべり

 昨日の午前中、次の仕事の関係で街中まで出かけた。地下街を歩いていると、ギャラリーに鳥の写真が展示してあったのが気になった。
 ただ、街中まで訪れた用事は相手との時間が約束してあったので、そちらを先に済ませることにした。

 街中まできた目的を果たすと、ギャラリーに再度向かった。ギャラリーといっても、地下街のどん詰まりの場所の壁に作品が掲示してあるだけだったが。
 だが、作品は自分がいつかは撮影に挑戦してみたいと考えていた被写体、鳥だったのだ。おかげで興味深く鑑賞できた。
www.wbsj-aichi.org
 写真が掲示してある壁から通路を挟んで、テーブルと椅子が置いてあり、数人の関係者と思われるような人が佇んでいた。
 気になったことが多々あったので、彼らに話しかけてみた。2ヶ月前なら、写真が掲示してあっても足を止めることさえなかったのに、人は変わる時は案外簡単に変わるものだと思う。

 一番気になっていたのは、どんな機材で撮影をしたかだ。男性の1人が答えてくれたが、逆に質問された。どのサイズまで写真をプリントするのかを。
 恥ずかしい話、そんなことまで自分は考えていなかったし、一般的なスナップサイズまでしか現像したこともなかった。

 掲示してあった写真は全てA4サイズ。そのレベルの写真を撮ろうとしたら、フルサイズのデジカメを使わなければいけないのかが気になっていたのだ。
 そんなカメラは今、自分は持っていないし、購入するにしてもあまりにも高価だからだ。カメラ本体だけでなく、フルサイズのカメラであれば、当然使用するレンズも高くなる。

 また、アナログからデジカメになり、デジカメもミラーレスが主流になりつつあるので、カメラ本体の軽量化は進んでいるとは思うが、素早く動く被写体である鳥を重量のあるカメラで撮影するのは疲れるとも考えていた。
 今の年齢ならば可能かもしれないが、失礼ながら声をかけさせてもらった男性の年齢に自分がなったとき、そんなモチベーションと体力が残っているとは思えなかったこともある。失礼ながら、男性はシニアと言っても差し支えない年齢に見えたからだ。

 すると、男性からの返答は思ってもいないものだった。掲示してあるサイズまでしかプリントを行わず、撮影するのが日中であれば、フルサイズのデジカメは必用ないことを。
 実際、その男性の使っているカメラはオリンパスのOM-Dシリーズだったのだ。自分が使っている上位機種でセンサはマイクロフォーサーズ。彼と話して良い情報ばかりを得た気がする。

 ちなみに彼らは、『日本野鳥の会』の会員であることを教えてくれた。写真展は愛鳥週間に合わせて催したとのこと。
日本野鳥の会』というキーワードから紅白歌合戦しか連想できなかったが、彼らによると手伝ったのは数回だけらしい。自分は本当に無知である。
www.wbsj.org
www.wbsj-aichi.org

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名古屋のテレビ塔
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真緑の紫陽花

母の日なのに婚活

 母の日である昨日の夕方、実家に行くと洗面所を弟が占拠していた。鏡を見ながら髪型を整えていたのだ。聞くまでもなく、外出するのがわかった。
 結局、昨日の夕食は母の手料理を母と2人で食べた。

 母と2人だけで食事をするときの話題はどうしても、弟のことが多くなる。日曜日の夕食時に弟が居ない理由のほとんどは、婚活だからだ。
 そういった場合は欠席裁判ではないけれど、自分の言葉はどうしても弟に厳しいものになってしまう。昨日もそうなった。

 一年に一度の母の日に、わざわざ出かける神経が自分には理解できなかったからだ。また、そんな日にわざわざ婚活するような相手の人間性も自分は疑ってしまう。
 相手が実家から離れて独り暮らしをしていたり、既に母を亡くしていたとしても、だ。
 そんな日に婚活するのは身内を大切にしない人だと、どうして考えが及ばないのだろうかと、思えてしまうからだ。

 同じ理由でゴールデンウイークやお盆休みなどの長い休み中の婚活パーティーなどへの出席も、自分だったらしない。かなり前から、長期の休みが取れることがわかっているのに、異性だけでなく同性からも誘われないようなヤバい奴だと、考えるからだ。
 そんな自分の考えをストレートに母親に話すことはなかったが、ちりばめた会話をしながら食事をした。

 自分は長男なので、母が昔からどちらかというと弟の方に目をかけているのをなんとなく感じていたし、自分が親になってからはそれが当たり前だと思うようになったので、ひがんでいる訳ではない。娘1人、しかも別居している不完全な父親であっても、親である感覚はそれなりに僅かながら持っているおかげで。

 毎年、続けていた母への花のプレゼントを今年は贈らなかった。というより、母に断られたのだ。
 先日、自分が同人誌で頂いた賞の授賞式に受け取った大きな花束をそのまま実家に持っていき、母に渡した時に、そう言われたのだ。

 その前後、弟から母がハズキルーペを欲しがっているのでプレゼントすること、代金の半分を自分に支払って欲しいことを連絡してきた。
 正直、がっくりした。弟のセコさというか小ささに。
www.hazuki-l.co.jp
 およその値段を知っていたからだ。数万円するものであるならば、折半するのはまだわかる。だが、たかだが1万円ちょっとのものを、40過ぎの大人が2人でプレゼントするものとして、相応しいとはとても思えなかった。しかも、弟の方がダントツに収入も貯蓄も多いのにもかかわらず。

 この話には落ちがあり、弟に買ってもらったモノを母は返品したのだ。弟は愚痴っぽいことを言っていたことも、覚えているが、本題はここから。
 実は母は再度、自分で購入していたのだ。
 母も、ハズキルーペの代金の半分を自分にせびったのには、驚いたらしいのだ。ケチな次男に一万円ちょっとで、恩に着せられたようなことを後から言われるのも嫌だったらしい。

 昨夜、21時前には実家を出たが、それまでに弟は帰宅しなかった。今までの実績からいくと、昨日も芳しい成果が上がったとは思えないが。
 母の日の終わりに、弟と母親はどんな言葉を交わしたのだろう?

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街中で見つけた、額紫陽花。季節の移ろいも早い。。。

今週のお題「母の日」

名古屋で一番高い山へ

 昨日、名古屋市内で一番高い山へ登った。その山とは東谷山。標高は198.3メートル。目的はカメラで夜景を撮影するためだ。

 カメラ、三脚、懐中電灯、タオルにペットボトルのお茶を持って17時過ぎに車で家を出た。
 小中学生のころは、東谷山近辺までは自転車で行くのが普通だったので迷ったが、チェーンがすぐに外れてしまう自転車で夜間の遠乗りは暴挙だと考えて、自重したのだ。

 東谷山の山頂には尾張戸神社がある。神社参拝者のための駐車場があるので、そこに車を停めた。自分以外の車も数台、駐車してあった。
 陽が陰りだすなか、薄手の長袖シャツ一枚で山道を歩き始めると、木陰では少しひんやりとしたが、それも最初だけだった。道はだんだんと荒れ始め、最低でもスニーカーでないと歩くのは難しかった。
 途中、何人かの登山客とすれ違ったので、挨拶をした。そのころには、少し息が上がり初めていた。運動不足の人には結構きついハイクだろう。

 山道を上がりきると正面に神社の拝殿が見えたが、自分以外の参拝者は誰もいなかった。
 しっかりと時間を計っていないが、山頂までは20分はかかったのではないか。
 時折、野鳥の鳴き声がする中で尾張戸神社に初めて参拝をした。

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尾張戸神社の拝殿。
 拝殿の左側に展望台があった。三階立てで、木で作られていた。まわりが少しずつオレンジ色に染まってゆく中、狭い階段を上がって最上階まで上がった。
 左手が木の枝で少し視界を遮られてはいるが、なかなかの眺望だった。何度かシャッターを切ると、展望台に備え付けてあった椅子に座った。空があかね色になるのを待つために。
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展望台からの眺め、左手の枝がなければ名古屋市内中心部が見やすかったのだが。
 18時近くになると、展望台からの正面の眺望が少しずつ色づきだした。独り、カメラと眺めに向き合っていると、話し声と足音が聞こえてきた。しかも、次第にこちらに近づいてくる。
 展望台から境内の方を見やると、若いカップルが見えたので、挨拶がてらに自分から声をかけた。すると、2人は少し驚いているようだった。
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展望台からの夕陽、それぞれの写真に味わいがあって、自分なりには気に入っている。
 どうやら、彼らも夜景を見るために来たようだ。2人はそれぞれ双眼鏡とコンデジを持っていた。
 2人はあきらかに20代。どちらも容姿は残念な感じではない、お似合いの2人。
 先に自分が居たのに、彼らの邪魔をしているように感じたし、見せつけられているような気がしてきたのは、やっかみだろうか。つくづく、自分の器の小ささを思い知らされた。

 自分が写真を撮っていても、どうしても2人の言葉が耳に入ってくる。
 2人が時々敬語になるのが、付き合い出したばかりなのを自分に連想させた。正直、羨ましかった。でも、何が羨ましかったのだろう?

 19時を過ぎると空はオレンジ色を失って青さを増し、代わりに地平線の下に星のような人工的な光がひとつずつ点った。
 彼らは肌寒さを感じたようで、自分よりも先に帰った。その後は、写真撮影に集中出来た気がするが、作品に表れているだろうか。

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暮れ始めた眺め。この写真を撮っている時はまだ2人が横に居た。
 写真撮影が終わると、暗闇の山道を歩くのは考えていたよりも大変だったし、心細かった。駐車場まで戻るとほっとしたが、自分以外の車はもうなかった。

 帰宅してパソコンに取り込んでから写真を見ると、夜景に関しては納得できた作品はなかった。夜景を撮るのは、やはり難しい。

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目的の夜景、自分としてはイマイチだと思っている。心が乱れたせい?

エンディングテーマをヒトカラしたくなった 【『言の葉の庭』と『秒速5センチメートル』を繰り返し観て】

 40代になって、ジャンルを問わずに同じ映画を繰り返し鑑賞することがめっきり減っていたが、久し振りに3回観た作品がある。新海誠監督の『君の名は。』だ。
 初めて観たのは劇場でのレイトショー。公開から結構時間が経っていたのにも関わらず観客は多かったし、雰囲気から2回目以上である人が多そうな気がした。

 初回見終わった感想は、再度観たくなる理由がなんとなくわかっただけだった。再度、劇場に足を運ぼうとしたら上映が終わってしまい、悔やむことになった。
 2018年の正月にTVの地上波で再度、鑑賞したら映画からのメッセージ性がいくつも伝わってきた。中でも、東日本大震災が人災であることを風刺していると、一番強く自分は感じた。

 その放送は録画したので、録画でもう一回観た。結局3回も観たことになるし、録画データは消していないのでおそらく今後も観ることになるだろう。
 3回観たことで作り手である新海誠監督、その人に興味がだんだんと深まっていった。よって他の作品も鑑賞したくなったのは、ある意味自然な流れだろう。

言の葉の庭』と『秒速5センチメートル』を近所のレンタルショップで1週間借りて鑑賞し、両作品を先ほど返却してきたところだ。
 レンタル中に『言の葉の庭』を3回、『秒速5センチメートル』を2回鑑賞した。
 いくら無職で時間に余裕があるといっても、短期間の間に同じ映画を繰り返し観たことは、自分にとっては珍しいことだ。
www.cwfilms.jp
www.kotonohanoniwa.jp
 両作品を観た人の中には賛同してくれる人もいるかもしれないが、どちらの作品もアニメーションの範疇を超した表現力を持っていると感じた。特に、『言の葉の庭』は。
 背景があまりにも美し過ぎるのだ。一コマ一コマに目を奪われてしまうシーンが多々あった。

 雨や木々の緑が丁寧に描かれているが、実写を超えたものを表現する手段としてアニメーションが存在することを『言の葉の庭』は特に気がつかせてくれた。
 自分が写真を撮ることを楽しむことによって感性が変わり、そう思えるようになったのかもしれない。
 今後、写真を撮るときには、自分の目で見たものを、カメラのレンズを通して自身で見た以上の興奮と感動を伝えられる作品に出来たらと、密かに思っている。

 両作品を繰り返し観て共通していることがふたつある。ひとつは恥ずかしながら、作品の後半で涙を流してしまったこと。
 もうひとつは、両作品のエンディングテーマをストリーミングで購入したことだ。山崎まさよしの『One more time, One more chance』と秦基博の『Rain』を。購入してからは、ことある毎に繰り返し聴いているし、そろそろ両曲をヒトカラしたくなってきた。

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昨日撮影した黄色のアヤメ。