淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

形式

 平日、自分が必ず送らなければならないメールの件数は四件。自社に二件、現場でお客から作業を請け負っている会社に二件ずつ送信している。
 始業時と終業後にそれぞれ別な文面で、メールしなければならないことになっている。しかも、それぞれ別の端末で。
 セキュリティーを守るために実作業をしているパソコンからは、自分が所属している会社へのメール送信が禁止されているからだ。パソコンはお客から借り受けていることもあって。

 それでも自分が在宅勤務をするようになった当初からは、負担が少し減った。
 在宅勤務が始まったころの自社のルールでは午前中の終わりと、昼休み明けにもメールを送ることが義務づけられていたからだ。
 毎日4回、ほぼ同じ時刻に全く同じ文面を同じ相手に送る。心のどこかで馬鹿馬鹿しいと思っていたせいか、お昼休みに入るときのメールを忘れたことが何回かあった。

 最近になって自社のルールが変わり、朝の作業開始時と夕方の作業終了時だけの連絡でよくなった。
 おそらく、メールの受取手が負担になってきたのだろう。ルールを決める時に少し考えれば、気がつくことができたはずなのだが。

 今日のお昼休みに自社の事務を担当している社員からメールが届いた。
 その社員は事務を担当してくれていて、名古屋支店に勤務している女性であることだけは知っているが、それ以上のことは何も知らない。顔と名前も一致しない。
 そんな彼女がメールで知らせてきたのは、退職の挨拶だった。来月の中旬までは会社に籍はあるようだが、おそらく有休休暇を消化するのだろう。勤務するのは今日までのようだった。

f:id:mobemobe617:20200508224310j:plain
同じ支店の事務を担当していた社員から送られてきたメール。
 自分はその文面を見た時に、あまりいい気持ちを抱けなかった。自社からの急用だと思って、お昼休み中にも関わらずにスマホで読んだから。
 彼女がこのメールを書いた理由は何だったのだろう? くだらない会社だからひょっとして、上司の指示でもあったのだろうか。彼女の意思だったのだろうか。

 何度も会社を変わってきた自分から言わせれば、退職の際に挨拶やお礼のメールを送る必要なんて感じない。
 受け取った相手が件名と送信者からそのメールを読むべきかどうかを判断するための時間を奪ってしまうことすら、気になってしまう。
 仕事で始まった人間関係でも本当に打ち解けている間柄になっているのならば、プライベートな連絡先を交換しているはず。私的な挨拶は私的な時間に行うべきだと考える。

 自分が今の会社を去る時に、同じ考えでいられるだろうか。
 それほど遠くない未来な気はするが、案外と挨拶のメールを送って、まわりに鬱陶しがられたりして……。

f:id:mobemobe617:20200508224607j:plain
今日の写真のモデルはまやさん。

春の宵に歩くことなく

 ほろ酔いで今、この文章を書いている。
 晩酌に缶ビールを一本と日本酒をコップで一杯ほど嗜んだ。
 立夏を過ぎたので暦上では既に夏。だが、酔った状態で屋内に居ても薄着だと少し肌寒い。
 考えたらヒーターと電気カーペットをまだ片付けていなかった。例年ならすでに使っていない時期なのに。

 街中で何件もはしごをしながら酩酊して、酔い覚ましに歩くのには今夜くらいの夜気が丁度良いのではないか。桜が咲き終わり、八十八夜くらいまでが。
 酔いに任せて長い時間を歩いても汗をかかないし、手の指先に冷たさも感じないから。
 うっすらとした意識の中、ぼんやりとしながら最後は家まで歩く。そんなことが数年に一度くらいはあるが、次に味わうのは、いつになるだろう?

f:id:mobemobe617:20200507222948j:plain
連休中のお散歩ショット。
 ネット社会が進むにつれて人がどれほど醜くなれるのかを問われているような気がしていた。少なくとも日本国内では。
 逆にインターネットが普及してこそのメリットをあえて享受しないように見えるのは、自分だけなのだろうか。
 たまたまの人生の流れでシステムエンジニアという仕事に辿り着いたから、自分がそう思えるだけなのだろうか。

 IoTというキーワードを聞きあき、スマホが当たり前のように使われるようになって、どれくらい経つのだろう?
 それでも一部の人間がアナログに執着していることが理解できないし、ここまでくると滑稽ですらある。
 スマホSNSを使ってメッセージを送ることは是でも、スマホのカメラとマイクを使ってLIVEでコミュニケーションを取ることを非とする人間が多いことにも驚かなくなってきた。心の奥底で、ヤレヤレと呟いてはいるが。

 どこかの国の薄っぺらな大臣が『スマートライフ』なる言葉を掲げても、今のこの国の国民性ではなかなか浸透しないだろう。
 というか、行政側もこのパンデミックを受けてどれくらい変わる意識が芽生えているのだろう?
 FAXだったコロナの発症届が、やっとのことでweb化されたくらいだから。
note.com
 そんなようなことを自分一人、考えていても仕方がないことだとはわかっているが、それでもまたいつの間にか考えてしまう。

 外を見るとキレイに月が出ている。月明かりに照らされた街を歩く代わりに、持っているカメラでベランダからシャッターを切ってみた。
 パソコンのモニターで見るまでもなく、全く面白味がないままの月がカメラの液晶に、ただ写っていた。

f:id:mobemobe617:20200507223216j:plain
今日の写真のモデルは宮本はなさん。

巣籠のまま連休が終わりに近づく中で

 連休最終日の今日は朝から雨。時折、雷が鳴って他事に集中しにくくなるくらいの音を立てる強い雨も降った。
 世間では十二連休の人もいるようだが、自分のゴールデンウイークは残念ながらあと一時間ほどで終わってしまう。

f:id:mobemobe617:20200506223159j:plain
今日のお散歩ショット。
 五月二日からの四連休は思いのほか有意義だった。
 ゲレンデでの雪遊びにも、釣り、ポートレートを撮ることもできなかったが、当初考えていた以上にリフレッシュすることができた。多少は退屈を覚えることはあったが。

 それでも、カメラ片手に近所を散歩しながらスナップ写真を撮ることはそれなりに楽しかった。一日に100回以上、シャッターを切った日もあった。
 興味があること、好きなことを増やしながら生きてきてよかったとしみじみ思う。

 この四日間であらためて気がついたのは、自分がどれほど仕事を嫌っているかということ。システムエンジニアとしての作業を。
 仕事さえしなければ夜も眠りにつき難いこともなく、左耳の調子も悪くならなかった。
 今はもう、明日からの仕事のことをどこかで考えているのだろう。先ほどから音が聞こえ難くなり始めている。

 自粛生活によって自分の好きなことがほとんど出来ないままに四〇日以上が過ぎた。
 緊急事態宣言の期限は五月末までに延長されたが、経済活動の落ち込みを理由にして宣言の解除が早まることも想定されている。

 もし、働かなくてもある程度の生活が保障されるのであれば、ゴールデンウイークのようなライフスタイルであれば自分は耐えられる気がしている。
 それよりも、多少の自由を受け取る代わりに理不尽な労働を強いられる方が自分にはキツイと思えることに気がついた。
 逆に自分が望まないような仕事に従事しなければならないのであれば、プライベートではかなりの自由がないと我慢できない自分は我が儘なのだろうか。

 緊急事態宣言の解除はそれなりに先が見えてきた。
 だが、宣言が解除されることが妥当なのかがわかないし、不安でもある。
 一旦はなんとか感染が収束したとしても、今秋以降にまた感染が拡大する可能性はどうなのだろう?

 現実を直視することが重要だが、今のような状況だと新型コロナウィルスについて何が真実の情報なのかがわかりづらくなっている。
 解決のためには感染の疑いがある人がPCR検査を受けられるようになる必要があるはずだ。
 諸処の事情はあるようだが、それらの問題を調査して解決されることを期待している。行政としては当たり前のことが果たされることを。

f:id:mobemobe617:20200506223421j:plain
今日の写真はモデルのゆる子さん。さくらフォト撮影会にて撮影。

このごろ気になっている女性

 自分のゴールデンウイークは明日の水曜日まで。
 例年と違ってゲレンデにも行かず、ほとんど出かけることもなく家に居るだけで連休は終わりそうだ。
 午前中に散歩をした後はお酒を飲むか、リビングでゴロゴロしていることが多い。今の状況だと、そんな行動をしていても避難されることはないだろう。褒められたっていいくらいなはずだ。

f:id:mobemobe617:20200505220424j:plain
今日のお散歩ショット。
 今日はこのごろTVでよく見かけるようになった、ある女性のことに触れたい。
 女優と女子アナ好きを公言しているが、今回のblogで取り上げる女性は学者の岡田晴恵。
 彼女を知ったのはあるバラエティー番組。その時は失礼ながら、芸人に弄られているオバチャンくらいの認識だった。

 最近、平日は毎日のように朝のワイドショー番組への出演を続けている彼女。
 普段ならば通勤中のために見ることができない番組だが、在宅勤務になってからは朝食を食べながらぼんやりと見ている。

 TVに出始めたころに比べると、彼女は痩せたのではないか。
 カメラにも慣れてきたからなのか、映り方も上手くなっているように感じるし、このごろの着こなしは彼女に似合っているものばかりだ。

 話し方も好感しか抱けない。声の高さは落ち着いているがある程度抑揚がついているし、学者なのに専門的な言葉を選ぶことが少ないためにわかりやすい。
 たまに、感情を少しだけ込めるところが、どこかの国の内閣総理大臣と違って訴えかけてくる力がまるで違う。もちろん、何かを見ながら棒読みすることもない。

 彼女を見ていてあることを思い出した。昨年参加した、スタジオで催されたポートレート撮影会のことを。
 その撮影会は順撮りだったので、カメラマン一人あたりの制限時間があった。そのためにタイムキーパーが居て、モデルを務めることもある女性が担当していた。
 タイムキーパーの女性は主役であるモデルに気を使っていたこともあっただろう。メイクはナチュラルに近く、服装もカジュアルなものだったが、足の露出だけは高めだった。

 そのことを他のカメラマンに指摘されたとき、彼女は次のように答えたことを覚えている。見られることがキレイにつながるから、と。
 横で聞いていた自分はそれでも、彼女の足をあまり直視できないでいたが。

 おそらく明日も明後日も、岡田教授をTVで見てしまうだろう。
 自分と同じように見ている人の分だけ、彼女はより魅力的になっていくはずだ。
 彼女が今以上にキレイになっていくことよりも、体調に問題が現れないことを願っている。なったばかりのファンの一人として。

f:id:mobemobe617:20200505220602j:plain
今日の写真のモデルはrikakoさん。

翠松園の貴婦人

 車に乗ることがめっきり減っている。
 最後に給油したのはいつだろう? 少なくとも先月からは一度も給油していない。

 天気が悪くなければ散歩をしているこのごろ。だが、歩いて行ける範囲はどうしても限られてしまう。
 散歩を始めたころは自宅からほど近いところに流れている一級河川の川沿いを歩くことが多かったが、最近はコースとして選ぶことが減っている。
 人が多いこともあるが、視界の広過ぎて自分の好みに馴染まないことに気がついた。

 最近、自分がお気に入りの散歩コースは金城大学の周辺。カトリック系で幼稚園からの一環教育の学園として、地元では有名なお嬢様学校だ。
 ただ、自分はこの学園に対して変に意識して生きてきた。高卒であるために学歴のコンプレックスだけでなく、お嬢様という響きをフラットに受け取ることができない。

 そのために自宅から近いのに大学の前を通ることは滅多になかった。
 だが、そのブランドに対してほのかに憧れもあるのか、スナップ写真の遠景に大学の建物の一部を収めたことは何度かある。

f:id:mobemobe617:20200504192556j:plain
今日のお散歩ショット。翠松園近辺です。
 今日も大学の前を通り過ぎた。
 大学の最寄りの駅に人気はなく、駅前の理容店と中華料理屋はシャッターが降りていて、張り紙がしてあった。
 五月六日までの休業することが書かれていたが、それ以降はどうなるのだろう? 月末まで休業するのだろうか。

 坂を上がると緑に囲まれた学び舎が見えてきた。
 道の右側には薬学部の学生のリクルートを目的にした看板がいくつも並んでいた。
 大学の正門に差し掛かっても人気はない。時折聞こえてくる鳥の声が閑散さを引き立てていた。

 さらに歩くと、自宅近辺では見ることがないような家屋が目立ってきた。どの家も庭先が手入れされていて、停めてある車に軽自動車はない。
 この辺りは翠松園と呼ばれている高級住宅地。どうして金持ちは高い所に住みたがるのだろう?

 近くには八竜緑地と野鳥観察の森があり、ちょっとした森林浴も味わえるのだが、訪れる人は意外に少ない。
 ちなみに、野鳥観察の森はフェンスに囲まれているだけでなく入口も制限されていて、ペット同伴では入ることはできない。生態系の保護のためのようだ。

 地元の人たちに今日はやたらと声をかけられた。ほんの挨拶ていどだったが、誰もが感じがよかった。
 この辺りを散歩し始めたころと違って、高級住宅地内を歩くのに慣れてきたので不審者感が薄らいでいたせいだろうか。

 もっと、自分がこの辺りの雰囲気に馴染むようになったら、素敵な貴婦人にお茶でも誘われるようなことが起きたりして……。

f:id:mobemobe617:20200504193126j:plain
今日の写真のモデルはまやさん。