淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

卒業アルバム

 在宅勤務になってから仕事をしていて嫌になると、部屋の片付けをすることが増えた。
 仕事をしている二階の部屋は、きれいになったとは言い難いが少しは整理されたので、あるものがよく目につくようになった。
 あるものとは卒業アルバム。何故か高校の卒業アルバムだけが本棚に残っている。
 小学校や中学校のアルバムも一度は自分の本棚に収まっていたはずなのに、どこへ行ってしまったのだろう?

 今、本棚に唯一確認できる高校の卒業アルバム。こいつはかつて、自分をちょっとした事件に巻き込んだ。
 高校を卒業したばかりの春休みのころに。

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今日撮ってきた紫陽花。
 高校を卒業すると自分は浪人することが確定していたが、本当にのんびりとしていた。
 今、振り返ると親は優しかったと思う。特に父親は自分が気に入らないような名前だけの大学に入学するくらいならば納得できるような大学に何度でも挑戦すればよい、というようなことを常に口にしてくれていた。
 結果、自分は親の期待を裏切ることになってしまったが。

 高校を卒業したばかりのころに話を戻す。
 中学校が一緒だった他の友人二人と、アルバイトをすることになった。
 一人は私立の男子校を卒業して就職先が決まっていた。もう一人は県立高校を卒業して自分と同じように浪人することを決めていた。

 三人がバイト先に選んだのは結婚式場。実家から自転車で急げば15分くらいの場所に、地元ではそれなりに有名な結婚式場があった。
 余談だが、名古屋の結婚の風習を面白おかしく取り入れたドラマをローカル放送局が毎年のように手がけ、全国ネットで放送されていたことがある。
 バイト先はそのドラマのロケ地に毎回、選ばれていた。

 そのバイト先で自分は初めて、働いて対価を得ることが経験できた。
 それほど楽な仕事だとは思わなかったが、機嫌が悪いお客が少なかったこともあって、理不尽なことで怒られた記憶はほとんどない。

 だが、ある日のこと。バイト先の同僚たちから理不尽なことを言われた。
 自分と浪人が決まっていた友人と二人、同じ時期に入った女性のアルバイトに呼ばれた。仕事中の手が空いたときに。
 彼女に連れられて着いていくと、女性たち10人以上に囲まれた。
 自分が若い女性に囲まれたのは、今のところこの時が最後。彼女たちはタイプこそ違っていたが、容姿は素晴らしかった。

 彼女たちは自分たちに話しだした。
 どうやらこの場に呼ばれていないもう一人の友人が、ある女性の家に電話したことが、自分たちがハーレム状態になっている理由のようだった。
 何故、電話番号を教えたのかと何度も詰られた。

 最初は訳がわからなかったが、次第に状況が理解できてきた。
 その春から就職することになっていた友人に頼まれたので、自分は高校の卒業アルバムを貸した。
 当時のアルバムには住所と電話番号が書かれていたので、友人はそれを見て気になって仕方がない女性の家に電話をかけたのだろう。

 そのころの自分は今と違ってとがっていたので、彼女たちへすぐに言い返した。
 友人に頼まれたので卒業アルバムを貸したこと。そのアルバムに載っている電話番号を見て、友人が電話をしたのではないかという推測を。
 最後に自分は次のような言葉を口にした。異性に抱いた好意を伝えることがそんなにいけないことなのかと。
 自分の言葉に彼女たちは黙ってしまい、とりあえずはその場は収まった。
 今、振り返ってもそのころの自分は尖っていたし、可愛げもない。
 自分と一緒に呼ばれた友人は、ただ巻き込まれただけだったということに、起きた事実を思い返しながら文章にしていて、初めて気がつくことができた。

 この話にはふたつの後日談がある。
 一つ目は、この事件を境にして何故か自分と一緒に呼ばれた友人の二人は、女性たちと仲良くなった。
 しかも、社員たちから見ていてもあきらかにわかるほどだったようだ。
 そんな状況を見てなのか、社員が世話を焼いてくれた。一時的には評判が悪くなった友人も含めて、三対三の男女で近くのテーマパークに遊びに行くことが、自分の知らないところでほとんどまとまっていたようだった。

 その話をメンバーで最後に聞いたのは自分だったが、聞いた瞬間に自分ははっきりと断った。浪人生であることを理由にして。

 今、その言動をしている自分を横で見ることができたら、ツッコミを入れまくってやりたい。頭をポカポカくらいはするかもしれない。
 話をまとめてくれようとした社員と二人の友人が肩を落としていたことを、未だに覚えている。

 二つ目は、その二人の友人とは今、連絡を取っていない。
 就職した友人は、数年前までは気まぐれに電話をしてきた。本当に前触れもなく突然に。
 だが、自分にも限度があるので、電話口で次のように諭したのだ。中学校からの友人同士で年に何回かは集まって呑んでいること、その会で電話をしてくるような内容を話して欲しい、と。
 その友人からはその後、一切電話はなくなった。

 もう一人の友人は、向こうから電話で今後は関わって欲しくないはっきり言われた。
 飲み会に友人が遅刻したので店の場所がわからないと電話をしてきた時のことだった。
 遅刻したことについて自分が強い言葉を並べたので、逆ギレされたのかもしれない。

 今、思うと浪人していたあの日に自分が真面目ぶっていなければ、それぞれの人生は大きく変わっていたのかもしれない。素敵だった女の子たちとテーマパークへ遊びに行っていれば。
 ちなみに今の自分は他人から見れば離婚寸前。他の二人からは結婚したという噂を聞いたことはない。

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今日の写真のモデルはaoiさん。

人生は続く

 昨日はお客の会社では締日にあたる二十五日。
 仕事場を離れる人が、メールで離任の挨拶を送ってきた。
 時代錯誤のような気はするが、今の現場では珍しくないこと。

 メールの数が少ない現場だということもあって、仕事に直接は関係がないものでも全部のメールに目を通している。
 一日に200や300通のメールが届くような現場で働いたことがあったので、パソコンのモニターで文字を追うのをそれほど負担には感じない。
 その文面を自分が理解できているのかは別にして。

 送ってきたメールの差出人が一人、印象に残った。自分と同じような外注ではなく、客先のプロパー社員だった。
 その社員は三十年以上も勤めた会社を、昨日で退社したらしい。どうやら定年ではなく、早期退職だったようだ。
 顔は知らないがメールに書かれていた文章と名前から推測するに、おそらく男性だったのではないか。

 新卒で入社した彼。一緒に入社した同期は、どれくらいが彼よりも早くその職場を去ったのだろう?
 東証に上場している会社とはいえ、数年前にいくつかの会社が統合したので、その影響を受けて去った同僚も少しはいるのかもしれない。

 彼はセカンドキャリアをどのように描いているのだろう? ひょっとしたら、自分の叔父のように次の職場を探さずに、そのままリタイヤ生活に入っているのかもしれないが、どうだろう?
 ちなみに叔父、実母の弟は五十代半ばで会社に辞表を出して、その後はのんびりと暮らしている。

 かつての自分の上司も、某NECを早期退職していた。役職定年になったことが理由だったようだ。
 かつての部下に使われなければならないことに、我慢がなかったようだ

 会社が用意してくれたコンサルにも世話になったが、結局に流れ着いたのは形式上だけは新興市場に上場している、三流のベンダー。
 そこで使いづらくて使えないエンジニアを部下として持つことになった。そのエンジニアとは自分のこと。
 父がまだ生きていたくらい、昔の話だ。

 考えたら、かつての上司や叔父たちが早期退職した年齢に、かなり自分は近づいている。
 見た目や体力だけでなく、思考能力や記憶力も衰えている自覚は充分にある。髪に白いものが増え、肩が上がらなくなり、睡眠が浅くなってきても、歳を考えると普通なのかもしれない。

 人生のターニングポイントを迎えつつある、自分の同級生たちは増えているのかもしれない。
 自分が死ぬときに人生を振り返る時間があるのなら、何を思って、何を考えるのだろう?

 この先にはまだ、いくつかのターニングポイントが残っていると考えているが、今の自分にはもちろん何もわからない。
 明日もただ歩いていくだけだ。何もわからないままに。

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今日の写真のモデルはみーちゃん。

分断

 newsの手越祐也について、自分なりの視点で語ろうかと考えていた。
 ゆるい話題だが意外と奥深い文章が書けそうな気がしていたからだ。

 だが、今日は他のことを書き綴ることにした。
 あるメーカーの一部の事業が外資系ファンドに譲渡されることになったニュースに友人二人が反応して、LINEでメッセージを送ってきたからだ。

 ニュースに登場したメーカーはオリンパス。カメラの製造販売を含めた事業部門を切り離すことを決めたようだ。
 連絡を取ってきた二人は、自分がオリンパスのカメラを持っていることを知っていたからだろう。二台も持っていることまで、把握していたのかはわからないが。

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いつどこで撮った写真でしょう? ちなみにこの写真はオリンパスのカメラで撮りました。
 楽しい話題ではなかったが、それほどのショックは受けてはいない。このごろは業界内でよく噂になっていたし、ユーザーとしては覚悟も予想もできていたから。

 若いころと違ってきたことがある。
 商品自体に愛着があっても、その商品を送り出した組織に対しては、愛着を持てなくなってきたからだ。
 例としてはHONDA。
 中古、新車を問わずして今までHONDA以外のメーカーの車に乗ったことはない。
 とういうか、20代のころの自分は、車種ではなくてHONDA製であることにのみ、こだわっていた気がする。

 一企業の動向よりも、自分にはもっと気になることがある。オリンパスがそのような選択をした背景についてだ。
 スマホの発達と普及が、ひとつの理由として挙げられているが、もっと根深いものが問題の本質ではないかと、自分は考えている。

 格差社会が叫ばれるようになって、どれくらいが経つのだろう。
 それから時代はさらに進んで、格差社会から分断の社会に差し掛かっているのではないだろうか。

 良くも悪くも段階の世代が時代のリーダーになっていた時には、誰もが知っているような話題があり、価値観が多くあったように思う。今とは違って。
 二十年前ならば巨人やプロ野球について語れる男性が多かったし、山口百恵の歌を口ずさめる女性が多かったのではないか。

 今、そのようなものは、何かあるのだろうか。
 手越がメンバーの一員だったnewsの曲のタイトルでさえ、自分は一つも思いつかない。
 それでも、一昨日夜の手越の記者会見をオンライン配信で120万人が見ていた。彼のファン以外ではどれくらいの人がそのことを知っていたのだろうか。

 僕たちは日々、分断している。しかも、そのスピードは加速しているように思う。
 もちろん、自分たちが望んでいることでもあるはずだが、何者かの作為的な意図もあるような気もしている。
 分断が進んだ社会では自分たちが何を受け取り、何を失うことになるのだろう?
 今の自分では上手く想像がつかないでいる。

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今日の写真のモデルはりなさん。

初秋を感じるころには

 今の現場で働く期限は八月七日まで。残りの勤務日を数えると丁度、三十日。
 最近の自分であれば残りの日々を消化試合としてやり過ごしているはず。あとに残り続けるメンバーの誰からも自然と忘れ去られるように。
 少しずつ存在感を薄くしていくことに力を入れるべき時期に、もう入っているはずだ。

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週初めの夕方、散歩をした時のワンショット。
 自分を担当している自社の営業は次の仕事を探し始めているようだが、なかなか厳しいようだ。
 営業曰く、今まで以上に自分の経歴の書き方にも気を遣わなくてはいけないらしい。

 エッセンシャルワーカーと違って、IT土方は世の中ではさほど必要とされているわけではない。
 自分のような扱いにくい土方であれば使ってくれる現場を探すのも、それなりに大変だろう。新型コロナの影響を受けている、今のような世相では特に。

 ここ数年に関わった現場の中では、自分の仕事ぶりについて自身ではそれなりに評価している。微力を尽くしたとも、目の前の仕事に対して真っ直ぐに向かったとは言えないが、最低限のことだけはした気がしている。

 現場では自分が居なくなったあとのことを考えることが増えてきた。
 工数の見積もり作業や会議に出席すると、今後のことについての考えを求められるからだ。
 会議において、システムの改修や拡張などが話題になると、二ヶ月先やもっと先のことについての意見を聞かれことは、決して少なくない。

 今から二ヶ月先になると、お盆が明けて初秋を感じるころだ。
 そのころに自分はどこで何をしているのだろう? 次の現場が決まらないことを憂いているのだろうか。今の会社のルールだと、現場に入っていないとその日数分の給料が減額されてしまうので。

 お金の心配は尽きないのに、ぼんやりと思っていることがある。どこか遠くへ行きたい、と。
 ここ数年は自分としては珍しく、遠方へ旅していないこともあって。
 もし、次の現場が決まらないのであれば、車に寝泊まりしながら、東北か北海道を回りたい。
 娘が産まれてからは、どちらも足を伸ばしていない地域だ。

 沖縄へ行くのも悪くない。
 沖縄に足を踏み入れることができれば全都道府県制覇だが、今の自分にはそれほどの価値を見いだせない。
 それよりも、砂浜に寝転びながら南の海をのんびりと眺めることに、強く惹かれている。

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今日の写真のモデルはきゃささん。

最初にヤケ酒を飲んだのは

 今日は火曜日。もう火曜日になってしまったと焦っている人もいれば、まだ火曜日だとうっとうしく感じている人もいるだろう。ちなみに自分は後者だ。

 定時近くになったころにほっとしたのか、急に胃が痛くなってきた。
 常備薬を飲むか考えていたら、我慢できないほどの痛みは治まったが、今でもまだ疼きはある。
 そんな調子なのだからやめておけばいいものの、この
 文章を書き始めるとすぐに、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
 グラスに注いで飲みながら、続きの文章を綴りだした。今日は仕事をしていて、気を揉むことが多かったから。

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昨日の夕方の散歩中にて。
 嫌なことがあると、どうして人はお酒を呑みたくなるのだろう?
 上手く酔うことができれば、酔っている間だけは現実逃避はできるが、それも酔いが覚めるまで。
 身体に負担をかけてまでお酒の力を借りたとしても、ほんの一時しか気を紛らわすことはできない。
 何も変わっていない現実に気がついた時に、虚しさを感じるのは自分だけではないだろう。

 人生で最初にヤケ酒を呑んだ時がいつだったのかを思い返してみた。
 二十歳のクリスマスイブだと思っていたが勘違い。
 ただ、そのままそう思い込んでいた方が、ある意味では物語が浮かびやすいし、他人の興味も惹きそうだが仕方がない。

 細かいことをはっきりとは思い出せないが、おそらく十九歳か二十歳の今ごろ。高校で同じ部活だった友人と後輩から預かっていたお金を落とした時だと思う。
 三人で一緒に渡辺美里のライブに行くための費用を預かっていて、どこかで落としてしまった自分が嫌になったのだ。
 そのことが良い薬になったのか、おっちょこちょいの性格な割に、以降は財布や高額な金額を落としたり、どこかに置いてきたり、忘れてしまったことはない。

 同類はやはり同類を呼ぶせいか、自分の周りには辟易するほどのケチが何人かいる。
 だが、以外にもそんな彼らからはよく財布を置いてきた話をそれなりに聞く。ほとんどは酔った時のようだ。

 一番身近でそれをやらかしているのは実弟
 家族内では醜いほどの守銭奴なのだが、外で呑んで財布を置いてきたのは、母親に言わせるとしょっちゅうのようだ。自分に比べると外で会食する回数は圧倒的に少ないはずなのに。

 逆に外で酔っ払って自分が置いてくるのは雨傘ばかり。
 傘だけと言っても過言ではないが、それでも弟との貯蓄は比べようもないほどの差がある。
 お金の落とし方は知っているようだが、使い方は知らないようだ。

 昨年、自分の娘がお盆玉をせがんでも、苦笑いを浮かべたまま切り抜けた弟。
 器が小さいままだと、本人がいくら望んでも結婚するのは難しいだろう。
 貯金をいくら残しても、最後は自分の娘のものになるとは考えられないのだろうか。

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今日の写真のモデルは真辺あゆみさん。