淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

働かなければならない理由

 二週間ぶりに会社の人間に会った。
 自分と同じようなオッサンに会って、面白くないことを言われただけだ。心の中で何度か相手に毒づきながら。

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今日、撮ったスナップ。テレビ塔の周辺がキレイになってました。

 先日、昨シーズン灯油の巡回販売をさせてもらった会社に今シーズンの仕事のことを打診すると、専従者を優先したいので少し待って欲しいと言われた。
 今シーズンは自分も専従でやることを考えていると言いかけると、相手に止められた。季節限定の仕事をするために正社員の立場を捨てるのは勧められないと。
 雇用形態が正社員であっても、客先常駐のシステムエンジニアがまっとうな仕事だとは考えられない自分。
 いくつかの業種を経験してきた自分としては、いつ投げ出してもいいと思っている。

 働きはじめてから考え続けていることがある。人は何故、働かなければならないのか。
 20年以上も思慮を続けているが、未だに納得できる答えは見つからない。
 大昔ならいざ知らず、様々な発明や改善が繰り広げられ、人類が誕生したころに比べれば生産性は劇的に向上したはずなのに、世の中に働くことに疑問を持ったり疲れたりしてまで生産に与する必要はあるとは自分には思えない。
 ベーシックインカムの導入が議論されるようになってきたことが、世の中の全員が生産に従事しなくてもいいことを現しているのではないか。

 自分のように働くことに嫌気が差している人がいる一方、働くことが好きなように見える人もいるし、生き甲斐だと考えている人もいるようだ。
 働くことが趣味や自己表現になっている人はどれくらいいるのだろう? 仕事を通しての人との繋がりを肯定的に捉えられる人も。

 オフィシャルな時間、最近の自分は心を閉ざしていることがほとんど。油断していると疲れてしまうから。
 金、意味のない名誉や権力の奪取を優先している人たちと話をしても、接点を見つけることは難しいと悟ったからだ。
 無理をし、時には人に嫌われてまで得た金銭やポジションにどんな価値があるとは自分には思えない。

 自分は何歳まで働かなければならないのだろう? 今のモチベーションだと10年以上も働き続けるのは正直、難しい気がする。

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今日の写真のモデルは麗華さん。

インターホン

 自分の感覚では一戸建ての家にはインターホンが二つ付いているのが普通だと思っているが、一般的にはどうなのだろう? 門と玄関の二カ所に備わっているのが。

 宅配便のドライバーとして働いていた時に、他のドライバーが次のようなクレームを本社に入れられたことがあった。門のインターホンではなくて、玄関のインターホンをドライバーが押したことが、配達先の人が気に入らなかったようだ。

 自分の身内は、門ではなくて玄関のインターホンを押すことがほとんど。
 妻はそのことを嫌がっていたが、自分にはあまりピンとこなかった。
 同じ時代に同じ街で育っても、こんなひとつのつまらないことでも、考え方が違ってしまうのは何故だろう。

 昨日、昼食を食べてコーヒーを飲むためにコーヒーフィルターを折っていると、インターホンが鳴った。
 誰だろうと思って通話をすると、高校時代の友人だった。
 自分が在宅していると思って、自分を驚かそうとしたらしい。
 確かに自分は驚いたが、昼食を食べてしまったことを話すと、そのことに友人も驚いていた。

 せっかく誘ってくれたので、二人で近くのガストに行くことにした。
 平日のお昼どきとはいえ、駐車場に停まっている車は少なかった。

 店内に入ると店員に次のような言葉をかけられた。マスクを持っているか、と。
 友人は持っていたが、自分は持っていないことを告げると、店員がマスクをひとつ差し出した。
 ご時世を考えると致し方ないのかもしれないが、食事をするために入った店でわざわざマスクをするのは、微妙な気がした。店内に客が少なかったのは、そのことが少しは関係していたのかもしれない。

 友人は午後から半休を取得したことを説明してくれた。
 平日の午後、アラフィフのオッサンがファミレスの南側の窓側で向き合って座っていた。初秋ののんびりとした陽射しを浴びながら。
 二人の会話は、そんな雰囲気に似合っているような罪のないものばかりだった気がする。
 お酒を呑みながらだと、下ネタや親父ギャグに走りがちなのだが、昨日の二人は違った。

 誰のことも責めない、誰にも責められることもない平和な秋の一時。
 セルフサービスのドリンクをおかわりするときに、グラスやカップを新しいものに取り替えることが煩わしく感じるほど、のどかな時間だった。

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今日の写真のモデルはなすたろうさん。

JUST A MAN IN LOVE

 昨夜、昔からの友人に焼き肉をご馳走になった。
 二人で訪れた焼き肉屋は、その友人がかつて住んでいたところから数百メートルほどの距離。
 それにも関わらず、友人は一度も来店したことがなかったので、ずっと気になっていたらしい。

 自分は一度だけ訪れたことがあった。祖父が亡くなった直後の晩のことだったが、もうどれくらい昔になるかは正確にはわからない。
 自分がサラリーマンになっていたこと、父の弟つまり叔父と一緒に来店したこと、叔父が父のことをあまり面白く思っていないこと、蜂の巣を食べたことくらいしか記憶にないし、店の内装などは全く覚えていなかった。

 友人が先に店に電話してくれて助かった。コロナ禍の月曜日にも関わらず、店には活気があったからで、連絡してなければすぐには座れなかっただろうから。
 そんな雰囲気の方が、つまらない話や愚痴も話しやすい。

 ロースターの火を消してもらった後にアイスクリームを食べていると、共通の友人の大昔の小さな恋の話になった。
 昔から噂好きでおしゃべりな自分。その話は何回もしていてくどいと思っていたが、友人は聞いたことがなかったらしく興味深そうに聞いてくれた。
 男女の昔話をしたり思い返したりするのに、すっかり似合う季節になったと思う。

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昨日、訪れた有松のスナップ。

 今の若い人たち*1、恋に破れたらその傷を癒すために旅をすることはあるのだろうか。
 自分は二十歳のころに一度だけある。一人ではなかったが。
 当時も今もたいして仲が良くなかった同窓生に誘われたが、やり場のない気持ちをどうにかしたくて、その旅の計画に乗っかった。
 メンバーは自分を入れて四人で行き先は富山県。友人の車で名古屋から白川村を経由し、和倉温泉に泊まった。
 宿はその日にお願いしたので夕食が間に合わず、焼き肉屋へ行ったことを覚えている。

 ちなみに、自分に声をかけてくれた彼は小学校から高校までが一緒。他の二人のことも自分はよく知っていた。一人は高校が一緒で一年生のころに同じクラス、もう一人は小学校から中学校が同じで、クラスも何回か一緒になったことがあった。
 高校が一緒だった彼をB君、小中学校が一緒だった彼をC君としたいが、彼ら二人はお互いにほとんど面識がなかったので、B君C君のことを知っている自分が間接材の役割として、旅行の計画者に声をかけられたのだろう。


 当時、四人の中で交際している相手がいたのは、旅行に声をかけてきた彼だけだった。
 そんな彼が小さな貝殻の耳飾りを土産物屋で選んでいる姿を見て、感傷的になった自分。
 秋の日本海と空を眺めていると、カーステレオから流れていた桑田佳祐の曲が切なくさせた。

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今日の写真のモデルはともみさん。

*1:オッサンになってしまったことを自ら認めるようなものなので、他の言い回しも考えたけれど見つからなかった…。

映えるようなスポットでなくても

 朝から爽やかに晴れていたせいなのだろうか、寝起きから心身ともに軽かった。
 久しぶりにどこかを散歩したくなったので、朝食を食べるとすぐに車で家を出た。
 向かった先は有松。古い町並みを写真に撮ろうと思ったからだ。
www.aichi-now.jp
 先日、又吉直樹の『東京百景』を読了した。芥川賞作家である彼が東京の地名にちなんだ100編のエッセイを書き連ねた同作。
 読んでいる途中から、自分も名古屋の街にちなんだ文章を書いてみたくなってきた。
 誰もが知るような作品に、名古屋が舞台なったことが少ないのは、絵にも文章にしても映えない街だからなのだろう。

 50年近く生きてきて有松を訪れたのは初めて。大手の私鉄、名鉄本線の駅があるのは知っていたが、ホームに降りたこともなかった。
 有松の古い町並みは駅から歩いてすぐのところだったが、駅前にあるイオンも存在感があった。
 イオンの駐車場に車を停めることも考えたが、駅近くのコインパーキングに停めた。

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有松駅付近からのショット。

 車を停めた場所からまずは東、旧東海道沿いを江戸に向かって歩いた。
 一方通行で歩行者も少なかったので、初秋の風を感じながらのんびりと歩くことが出来たが、15分ほどは歩いただろうか。国道一号線が見えてきたので、一本裏の道を引き返した。

 しばらく歩くとなつかしくていい香りが漂ってきた。誘われるようにそのまま進むと小学校が見えてきた。
 なつかしさを感じさせたのは給食。調理室から香りが流れてきたようだった。
 自分が小学校で給食を味わったのは40年近く前。そのころと同じようなレシピがまだ残っているのかもしれない。

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小学校の裏が竹藪になってました。

 駅の通りを超えてさらに西へ歩いた。車が入れないような細い路地を歩くのが面白かった。ふと、同じ道を古人が歩いたような気がしたからだ。
 先を進むと旧東海道に突き当たり、その場所に看板が建てられていた。看板には自分が歩いてきた道も古い道だと説明が書かれていた。

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西側の折り返し付近。

 東西に走る三本の道を行ったり来たりして二時間近く、有松に滞在した。
 映えるような場所はなかったが、来てよかったと思う。誰かに強く勧めようとは思わないが。
 人によって感性は違う。
 自分だって今日ではなく明日に訪れていたら、全く別の感じ方をするかもしれないから。

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今日の写真のモデルはaoiさん。

OFF

 のび太君顔負けの生活がすっかり板についてきた。
 起床時間は自由、お腹が空いたらベッドから起き、眠くなったらすぐ横になる。
 遅刻しながらでも小学校に通い、ジャイアンやしずかちゃんと遊んでいるだけ、今の自分よりはのび太君の方が勤勉だろう。

 仕事をしていないことによるストレス軽減と服薬の効果もあってか、よく眠れるようになってきた。夜中や明け方に目を覚ますことも減ってきたし、日中も難なく昼寝ができる。
 昨夜は蒸し暑かったこともあってか、ベッドに入ってもなかなか眠りにつけなかったことを、少し懐かしく感じたほどだ。
 一ヶ月ほどで、すっかり生活は変わった。

 極端な内面があることを自認してはいるが、そのことについて初めて指摘されたのは小学生のころ。通っていた習字塾の先生に言われたからだ。
 毎週土曜日の午後、小学校が終わった後にさぼらずに通っていた人生で初めての習い事は、思わぬ理由で終わった。
 道路の拡張工事のため、先生の自宅兼教室が立ち退くことになったからだ。
 自分なりには真面目に習字に取り組んでいたと思っているが、自分の直筆を見た人間はほぼ誰も信じてくれない。

 すすき梅雨なのか、天気が悪かった日が多かった一週間。
 そんな理由もあってか、ほとんど家から出なかった。雨上がりに少し庭の草抜きをし、歯科医と耳鼻科への通院、スーパーとドラッグストアで買い物をしたくらいだ。散歩さえしなかったし、カメラもほとんど触らなかった。
 日中はほぼ1Fのリビングか和室でゴロゴロしていたが、体重はほとんど変わっていない。
 お酒を呑まなかったことが影響しているのだろうか。甘いものは結構、食べた気はするが。

 ちょっと前までと違って、自分の中のスイッチが切り替わっていることになんとなく気がついていたが、それだけでなくまわりに対する感度を下げていることにも、先ほど気がついた。
 和室で寝転びながら、簾越しに差し込む柔らかい光の中で庭を眺め、秋の虫の声を聞いていたら。
 自分だけでなく、誰もがそんな時が人生には必要なのではないだろうか。

 普通に生きているだけでも、あまりにも多くの情報に触れてしまうので疲れてしまう。
 たまには、一人きりになって目を閉じて耳を塞ぐことも必要なのではないだろうか。

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今日の写真のモデルは宮本はなさん。